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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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 そんなことがあった翌朝、フルーエティと顔を合わせた。このところヒスペルトといることが多く、フルーエティと共有する時間は減った。ここへ来る前はむしろべったりだったので、少し会わないと久し振りという気がする。


 フルーエティは人間の姿になってばかりも窮屈なのか、ルーノの部屋にいる時はいつもの悪魔らしい姿に戻った。青みがかった銀髪をサラリと揺らす。


 ――チェスとのことがあったばかりだ。フルーエティにそれを読まれたくはないのだが、ルーノが未熟なのか、フルーエティはルーノの顔を見た瞬間に皮肉な笑みを浮かべた。


「な、なんだよ?」

「まだ何も言っておらぬだろうに」


 ルーノがグッと呻いて黙ると、フルーエティは嘆息した。


「お前が浮かれているところに水を差すようだがな」

「浮かれてるって――」


 反論したいところだが、事実浮かれてはいたのだ。そういうふうに言われると疚しさも湧いた。

 今はまだ戦が終わったわけではない。気を引き締めねばならない時なのだ。

 しかし、フルーエティが告げた言葉は、戦とは関わりのないものであった。


「エリサルデのことだ」

「は?」


 エリサルデには新兵の教育、管理を任せた。エリサルデなりにやることが増え、張りきってもいた。それがなんだというのだろう。

 フルーエティは淡々とした声で言う。


「あれは、そう長くは持たん」


 その言葉の意味が、ルーノには呑み込めなかった。眉根を寄せると、フルーエティは重ねて言った。


「病んでいる。お前も気づいていなかったようだな?」


 気づいていたかと問われるなら、まるで気づいていなかった。まさかと思う。変わった素振りは特に見せていないのだ。


 けれど、フルーエティが言うことに誤りなどあるのだろうか。

 愕然とした。そのくせ、まだどこかで信じていない。


「……顔を見てくる」


 近頃は、毎日顔を合わせているわけではない。それでも、まったく会っていないこともないのだ。最後に会ったのも高だか数日前で、その時の様子はどうだっただろうか。

 やはり、具合が悪いと察知するほどではなかった。




 ルーノは兵士の訓練をしている練習場まで赴いた。城の敷地の西寄りにある。近づくにつれ、練習用の刃のない剣同士がぶつかり合う音が響いた。新兵たちはすぐルーノに気づいてかしずいた。自分たちの様子を見に来たのだと思っただろう。


「いいから続けろ」


 短く言うと、新兵たちは戸惑いつつもルーノの言葉に従った。そこにはカミロもおり、エリサルデの補佐をしているようだった。エリサルデがようやく振り返った。


「これは殿下、お忙しいところをようこそおいでくださいました」


 力の抜けたような笑みを返してくる。こんな表情をする男だっただろうか。よく見ると、少し痩せたようにも思う。

 それなのに、どういうわけか悲壮感はない。病であるとフルーエティは言うが、エリサルデの表情はむしろ柔らかかった。


「……エリサルデ、少し話がある」


 ルーノが言うと、エリサルデはうなずいた。


「はい、畏まりました」


 カミロに後を託し、エリサルデはルーノと共に練習場の柵の外へ出た。離れた場所から新兵たちを眺めつつ、ルーノはポツリと言った。


「調子はどうだ?」


 すると、エリサルデはふと目元を和らげた。


「まだまだ粗削りではありますが、よい逸材もおります。あの中に八人ほどカブレラ流のさわりを学んだことのある者がいるのですよ。もっとも、幼いうちに戦になり、それ以上は学べなかったようですが」


 ルーノがどうだと聞いたのは、エリサルデの体調のことである。けれど、エリサルデはどこか楽しげに新兵の具合を語るのだった。そうではないと突っぱねたかったが、エリサルデはいつになく饒舌に語る。


「こうしていると、息子のセベロに言った言葉が我が身に跳ね返るようです」

「なんだそれは?」

「息子は、殿下の剣術指南役に抜擢された時、自分には荷が勝ちすぎていると言って辞退しようとしたのです」


 セベロは常に動じず、清廉な男だった。そんなことを言うとは、ルーノには意外に感じられた。


「それを私が叱責しました。自らの弱い心を護るためにもっともらしい理屈をこねるのではない。真に国のためを思うのならば、将来を担うお若い殿下の御指南は、戦で武功を立てる以上に大切なことなのだと。……それが、孫のような年齢の新兵の指南に手こずる私を見て、セベロは呆れているかもしれませんな」


 ハハ、と軽く笑った。手こずっているというけれど、そこにはやり甲斐もあるのではないだろうか。ふと、そんなふうにも思える。


「……セベロは厳しかった。そのくせ、時々褒める。オレは常にアイツに踊らされてたようなもんだ。でも、あの年である程度身につけられたのは、師がセベロだったからだ。他のヤツだったらどうだったか。オレは真面目に鍛錬しなかったかもな」


 セベロに認められたいと、幼いルーノは思っていた。王族のルーノがそう認めるほどの男だったのだ。


「勿体ないお言葉でございますが、セベロも喜んでいることでしょう」


 エリサルデは穏やかにうなずく。フルーエティはああ言ったけれど、エリサルデはそれほど悪いようには思えなかった。

 ここで無理をせず休めと、仕事を取り上げてしまう方がよくないのかもしれない。ラウルのことがあって気落ちした後、ようやく今を楽しめているのならば。


 本当は、安静にして少しでも長く生きていてほしいと思う。

 そうだ、ルーノはエリサルデに死んでほしくはない。生きていてほしい。

 闘技場から出て初めて再会した家臣なのだ。腹立たしさから酷な言葉も投げつけた。扱いもぞんざいであったかもしれない。


 けれど、ルーノはエリサルデを信用していた。ルーノをルシアノ本人であると認めた以上、裏切ることはないと今も思っている。その家臣を喪うのだ。

 王都を奪還し、平穏な暮らしまであと一歩というところでエリサルデの命の灯火が消えるのだとしたら、この男はどこまで不運なのだろう。


 忠誠を誓った父王に殉ずることもできず、剣を振るう大事な腕を失くし、最愛の息子を喪った。そうして、自分が引き込んだ若者ラウルも死んだ。ようやく落ち着いて老後の暮らしができるかという今になって終焉とは。


「……エリサルデ、俺はまだ王座に就いてもない。治世は始まってすらないんだ」


 苦々しく、ルーノはつぶやいた。エリサルデはそんなルーノの様子に戸惑ったようであった。


「どうかなさいましたか、殿下?」


 どうかしたのはお前の方だと言いたくなった。ルーノは喉の奥底から声を絞り出す。たったそれだけのことに痛みすら伴うようだった。


「だから、長生きをしろ。エリサルデ」


 エリサルデはハッとした様子で、それから顔をクシャリと歪めて笑った。それは歴戦の勇士というよりも好々爺の笑みであった。


「ええ、もちろんでございます」


 ――嘘つきめ。

 と、後にルーノはエリサルデの墓前で悪態をつくことになる。


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