*56
敵将アラニスの首級をマルティが剣で刺し、天を突くように掲げてみせた。マルティの表情には無邪気な残忍さがある。
アラニスを護っていた兵士はほぼ壊滅状態だった。倒れている負傷者がもし生きているとしても、すでに虫の息だ。助けも来ぬまま野垂れ死ぬことだろう。そのうち野鳥が肉を啄みに来る。残った骨と鎧の残骸はガラクタでしかない。
「我が軍の勝利ですね、ルシアノ殿下」
マルティに悪魔の微笑みを向けられ、ルーノは軽く嘆息した。
「ああ、よくやった」
呆けていた人兵たちもようやく現状を呑み込んだ。その途端、大きな歓声が沸き起こる。目を閉じると、まるで闘技場に戻ってきたような気になった。
これはもしかすると、すべてルーノが見ている夢なのではないだろうか。そんなふうにも思えてしまう。
けれど、まぶたを開いた時、そこに広がる戦の名残は現実でしかなかった。
それならば、進まねばならない。
ルーノが馬上から手を挙げると、兵士たちは静まり返った。
「ここは通過点に過ぎん。目指すは王都だ」
おお、と声が返る。
勝利に酔いしれるにはまだ早い。
しかし、見渡す限りではソラール兵の死骸ばかりである。ティエラ軍の兵力はほぼ欠けていないと言えよう。
戦を知らぬ者ばかりであるから、それがどんなに不自然なことであるのかもよくわかっていないのではないだろうか。
ティエラ軍は寄せ集め。
けれど、大多数が人ではない。人になど負けない。
ただ一人投げ出され、祖国奪還などどう間違っても不可能であったはずのルーノが手にした兵力がこれだ。運命というものは、その時々により人間を弄んでいるようにしか思えない。
それでも、こうして祖国を奪ったソラール兵を追い出し、再び王国を再建することが叶うのだ。現実味はまだ薄いけれど、それはそう遠くない未来である。
死屍累々と積み上がり戦場と化したバディア平野を進み、その端で休息を取った。十分とは言えないが、食事と仮眠を交代で取る。悪魔兵にはそうしたものが不要ではあるけれど、人に合わせてそれらしく振る舞ってもらった。
フルーエティは天幕で眠っていたルーノの起き抜けに、いつの間にそこにいたのか淡々と言った。
「これから王都へ向かうが、攻め込む前にソラールに投降の意思がないか問え」
「そんなの、ねぇだろ」
寝ぼけ眼を擦りつつ答えると、フルーエティはうなずいた。
「だろうな。それから、町人に王太子が帰還したことを知らせ、下手に傷つけないようにしながら王城まで進め。無駄に民を減らしては国力が下がるだけだ」
王都に住む民のすべてがティエラの民ではない。侵略された後、ソラール本国から移り住んだ者もいることだろう。それでも、古くからティエラに住む者も多い。ティエラ王族の帰還に民はどう応えるのだろうか。
ルーノには見当もつかない。
「安心しろ。ソラールのセシリオ王子の評判はすこぶる悪い。お前が取って代わったところでそう変わらん」
呆れたような目をしてフルーエティはそんなことを言った。
「そうなのか……」
「ああ。ソラール本国も手を焼く放蕩王子だ。コルドバで捕虜になった兵たちも、見たところセシリオ王子に忠誠を誓っているとは言い難い様子だった。ただし、戦上手ではある。まあ、戦相手が人であればの話だがな。それがあるからこそ、ティエラ王城を与えられている。これはソラールがいずれサテーリテに侵略するためではあるが、当のセシリオ王子はティエラの地が気に入ったらしい。そこで華やかな生活を送っている」
「……戦よりも贅沢に慣れたって?」
「そういうことだ」
と、フルーエティは冷酷な笑みを浮かべてみせた。その王子を引きずり降ろすのに遠慮は要らぬということだ。
「別に遠慮なんてしねぇよ」
親兄弟を殺され、国を奪われたのだ。同じ目に遭わせてやりたいと思いこそすれ、遠慮などするはずがない。
フルーエティは満足げにうなずいた。
「では、行くぞ」
そうして、ルーノたちは王都を目指し進軍する。
その間に、さらに志願してきた兵士の数は増えた。この戦いを、人々はどのように見るのだろうか。少数でソラール兵の精鋭を破るほどに士気が高かったとでもいうのだろうか。
ルシアノ・ルシアンテスには鬼才の軍師がいたとでも記されるかもしれない。
歴史家の誰もが、きっと真相には到達できぬことだろうとルーノは失笑した。
一日もあれば王都の外郭付近に進軍中のティエラの全軍は辿り着くことができる。
ソラールも平野でかなりの数の兵を失ったとはいえ、王都にはまだまだ兵力があるはずだ。負けるつもりなどないが、油断もできないだろう。
黙々と進軍を続けた。王都から兵が送られてくる気配もない。こう容易くアラニスが破れるとは、セシリオ王子も思ってもみなかったのだろうか。
王城の外郭から少し距離を置き、立ち止まった騎兵が掲げるティエラの旗が風に翻る。ソラール兵は塔からそれを見ているはずだ。包囲というにはまばらな囲みでしかないが、それでも王都の東西南北の門を押さえるように兵を配置した。
ルーノは少しばかり前に馬を歩かせ、腹の底から声を張り上げる。
「我が名はティエラ王太子、ルシアノ・ルシアンテス。奪われた祖国を奪還しに戻った。大人しくこの地を明け渡すのであればよし、渡さぬのであれば武力をもって攻め落とす。返答は如何か? 翌朝まで待つ」
返事などあるとも思っていない。このまま攻めることになるだろうが、しばらくは待つ。それだけのことだ。
ティエラ軍はその場で朝を迎えた。夜、王都の灯りは乏しく、静まり返っていた。
レジスタンスのカミロたちが言う分には、王都の中にはまだレジスタンスも残っているとのこと。攻め入ったらこちらに呼応するはず――と言うけれど、そんな彼らが知る王太子とはラウルである。その事情を説明する暇があるとは思えず、戸惑うのは目に見えているが、使えなくともそう困らないだろう。
外郭の胸壁から、朝日を背にした影がいくつも見えた。それは、弓兵である。矢を一斉につがえた。そうして、武将らしき甲冑の男が王都の外へ向けて言った。
「この地はすでにソラールのもの。亡国の、真贋定かでない王太子など恐れるに足らず。皆の者――」
そこまで言った頃だろうか。武将の兜の庇のすぐ下を、一本の矢が射抜いた。見事眉間に突き刺さった矢は、ルーノの隣から放たれた。
涼しい顔をして、下から上へと不利な位置から、驚くべき飛距離で矢を射たのはフルーエティである。
「前進あるのみ! 行け!!」
ルーノは剣を掲げて叫んだ。兵たちの野太い叫びが戦乱の始まりを告げる。
固く閉ざされている南門の前に、リゴールたちが雨のようにして降る敵兵の矢をかい潜りながら近づいた。大柄な悪魔兵たちがいつ調達したのか、丸太状の衝角を抱えてぶつかっている。
悪魔兵たちの怪力では、人の作った門など物足らぬようだった。ぶつかった回数もそう多くはなかったはずだが、門の鉄具はひしゃげ、後ろに開いた。土嚢や木材を積み、門を押さえ込んでいたようだが、それすら大した役には立っていない。
高みから矢をつがえていた兵士たちも、衝角がぶつけられる衝撃でろくに立ってもいられず、まして矢を放つどころではない。胸壁に寄りかかって立っているのがやっとであった。
その隙に、ティエラ軍は王都の中へと攻め入る。
ようやくだと嘆息し、ルーノは馬の腹を蹴った。




