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一夜明け――早朝。
ここで得た情報は、人の斥候などではなく、フルーエティの使い魔によるものである。ルーノのために用意された天幕の裏側でのこと。一見ただの烏にしか見えなかったが、その烏が木の枝に止まり、フルーエティと目を合わせていた。フルーエティとは思念で話したのか、烏は程なくして去った。
「バディア平野の王都方面にソラール兵は陣を敷いたそうだ。そこから進軍してくるのではなく、こちらを迎え撃つつもりなのだろう」
頭数はソラール兵の方が圧倒的に多いはずだ。それを攻め込まずに待つのは何故か。短期決戦ならばこちらに向けて進軍してしまった方が早い。それをせぬのは、こちらの戦力を警戒しているせいだろうか。
そう考えたルーノの思考をフルーエティが読む。
「要塞とコルドバが落ちたのだから、こちらの兵力を警戒するのは当然だ。そして、戦が長期化して困るのはこちらの方だということもわかっているからこそだろう」
「……まぁ、そうだな」
長引けば、ソラール本国から次々と援軍が投入される。いくらフルーエティたちがいるとはいえ、そうなると厄介だ。
それから、糧秣の問題もある。コルドバや他の町村からの補充は無尽蔵というわけにはいかない。悪魔たちの分は差し引いても、要塞と戦線と町の人間が食べていかねばならないのだ。王都より北の物資が止まる状況なのだから、それも十分とはいえないだろう。戦は速やかに終えたい。
「バディア平野にいる敵将はどんなヤツだ?」
ソラール軍は父を倒し、国を奪った。それならば、武に優れた武将も数多くいたのだろう。あれから十年、兵力がそれほど衰えているとは思えない。
「……王都を領地としているのは、ソラール第二王子、セシリオ・オリバレス。年は三十代の半ばを過ぎた頃か。王族の中では型破りであり、形式にこだわらない柔軟さを持つ。ここを任されているのは、その右腕とされるアラニスという武将だ」
「ふぅん」
そういえば、以前にもフルーエティは言っていた。ソラールの第二王子がティエラ王城を居城としていると。
直接顔を見たこともなければ、噂も聞いたことがない。
それでも、ティエラ王城が陥落した時から将として戦に加わっていたのだろう。少なくとも、実戦をあまり知らないルーノよりは一枚も二枚も上手のはずである。
そんなセシリオ王子が頼みにする武将ならば、手強いのは当然だ。レジスタンスでは歯が立たないと、それだけはわかる。
「アラニスはリゴールに任せておけ」
「そりゃ助かる」
ハハ、と軽く笑った。フルーエティがそう言うからには、そのアラニスとやらは相当に手強いのだろう。
「お前はレジスタンスの人兵を率いて後方だ。まずは俺の配下で敵兵を削ってやる」
「……頼む」
ナバルレテ要塞の時のような惨劇が繰り返される。わかってはいても、悪魔の力を借りなければ死ぬのはこちらの方だ。綺麗事は言えない。せめて早く戦を終わらせることだけを考えたい。
ルーノはそれから、レジスタンスの皆に向け、戦の戦略を告げる。フルーエティに言われたことをそのまま言うに過ぎないのだが。
「レジスタンスは正規兵のように訓練を受けてきたわけではない。まずはビクトルの隊で先に切り込む。敵兵が疲弊した頃に混合部隊が追撃する。武功を焦り、勝手な動きをせぬように」
レジスタンスたちを前にルーノが言うと、皆がかしずいて返事をした。こういう対応をされるのは久し振りで、なんとも居心地が悪いような気になる。
幼い頃は何も考えず、当然として受け止められたのだが、今は違う。かしずかれる存在は、常に人の目にさらされる。見られることが面倒だと思う。
そうしたやり取りからしばらくして、ファネーレ方面の街道から馬車を含む十名ほどの一行がやってきた。その一行を束ねていたのは、見覚えのある男だった。
カミロといった。王都でルーノたちがレジスタンスに加入した時に共に戦った男だ。それほど経っていないというのに、すでに懐かしく感じる。
カミロはセサルたちレジスタンスの仲間と話し、それからルーノの前にひざまずいた。
「まさか、あなた様が王太子殿下だとは露知らず、ご無礼の数々をどうかお赦しください」
「隠してたんだから当然だ。そんなことはいい」
彼は負傷したレジスタンスの仲間を連れて隠れていたはずだ。こうしてここに現れたのだから、今まで無事に逃げおおせていたのだ。
「はっ……。ファネーレにほど近い村に潜んでおりました。そこでナバルレテ要塞とコルドバの町が王太子殿下によって解放されたとの噂を聞き、コルドバまで行くつもりをしておりました。それが、ここでお会いできたのは戦に加われというソラナスのお導きかと……」
村を襲撃したソラール兵を斬り伏せたルーノの戦いに、カミロは臆していた。カミロは逞しい体格をしているが、結局のところ民間人だ。ルーノはその覚悟を問う。
「人は殺せるか?」
「えっ」
カミロはとっさに顔を上げた。愕然とした表情が貼りついている。それでもルーノは言った。
「村を襲ったソラール兵をオレは斬った。あの時のような……いや、もっと悲惨なことが起こる。それでも戦線に加わるか?」
すると、カミロは下唇を噛み締め、そうして言った。
「加わります。……あの時の殿下の御覚悟が、私にはまるで呑み込めていなかったのです。殿下が戦われる理由を知った今、少しでもお力になれたらと思うばかりです」
無慈悲に人を斬ったルーノにうすら寒さを感じていたはずが、そこに大義名分が加わると見方が変わるらしい。祖国奪還の思いが人一倍強く、覚悟を持って敵兵を殺傷したと。無慈悲ではなく、それは信念からであると。
やることは同じ、殺戮だ。行いに差はないというのに。
ルーノは複雑な心境であったけれど、そんなルーノにフルーエティが思念を飛ばしてくる。
『連れていけ。こういう男はお前を裏切らん』
エリサルデもだが、カミロは実直な人間だ。裏切りはしないだろう。
フルーエティはさらに語りかけてくる。
『戦に勝ったあとのことを考えると、悪魔ばかりでは国が立ち行かん。ある程度信頼のおける人間も必要だろう』
戦に勝った後のことなど、今のルーノの頭にはない。
思えば、今後政治を行っていかなくてはならないのだ。それでも、ティエラにいた文官のほとんどは殺されたか、投降して敵に下ったかのどちらかだ。エリサルデは政には向かない。
これもまた今後の課題である。
しかし、そんな先のことを考えるよりもまずは王都を取り戻すことが先決だろう。
ルーノはカミロに向け、うなずいた。
「わかった。共に来い」
「はっ。お供致します!」
カミロはさらに頭を低くした。
それから、コルドバやその他の村などからポツリポツリと志願兵が来た。戦を知らぬ民間人だが、数にして六十ほどだ。彼らに戦わせるというよりも、形ばかりの兵として引き連れての進軍になる。
狭い国土だ。決着がつくまでにそう歳月もかからぬことだろう。
ルーノたちティエラ軍は進軍を開始した。




