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ルーノは用意された馬に跨り、先を行くフルーエティたちに続く。
亡国の王太子には正規兵などいない。いるのはレジスタンスと、フルーエティの悪魔兵である。悪魔たちは顔を覆う兜を被り、黒鉄の鎧を身につけている。烏合の衆でしかないが、傍目にはそれなりの体裁を保っていると言えるだろうか。
先陣を切るリゴールがティエラの旗を掲げていた。それが風にはためく様を目に焼きつけつつ、ルーノはコルドバを抜けた。
コルドバの町人がルーノの声に奮起し、戦に加わる覚悟を決めたとしても、支度をして駆けつけるのにしばらくかかるだろう。民間人が多いのだ。それほどあてにはしていないが、悪魔兵の隠れ蓑として頭数がほしいとは思う。コルドバから、西のファネーレなど各地に情報が伝わり、そちらからも志願兵は多少ならば来るだろう。
兵力として期待はしていないが、それでも祖国を取り戻さんとする気概のある民がどれくらいいるのかをルーノはこの目で見てみたかった。
ルーノ自身に人望がないのは知っている。けれど、父王に恩義を感じている民がいるのではないか。それとも、ソラールに飼いならされて過去など忘れたか。今さら戦などして波風を立ててくれるなと思っている民も一定数はいるのかもしれない。
進軍は緩やかである。王都からの兵とはまだ遭遇していないのだ。物資を積んだ荷馬車を後方に、ルーノはその中間を行く。
最初にコルドバへ来た時は馬車を使った。チェスが隣にいて、あまり外の景色など見ていなかった。広がる道の横を木々の緑が彩る。果樹園だろうか。綺麗に手入れされていた。
太陽の下、爽やかに風が吹く中で悪魔兵たちは淡々と進軍する。騎乗している者もいれば、徒歩もいる。リゴールに槍を預けられた悪魔兵はリゴールの横を歩いている。マルティも騎乗しているが、今は大人しかった。
二人がこれから戦に赴く中、三将の一人だというのにピュルサーは後方の守備である。チェスを危険にさらしたくない以上、それも仕方がないのだが。
そんなことを考えていると、いつの間にやらフルーエティが横にいた。
「ナバルレテ要塞がサテーリテから牽制されることはあれど、こちらの前線に比べればいくらかマシだ」
ルーノの思考が駄々漏れであったようだ。あちらは心配要らないからもっと身を入れて進軍しろと言いたいのだろう。
「サテーリテな……。ピュルサーくらいしかいねぇのに大丈夫か?」
本格的な戦になれば、あの闘技場の闘士たちも担ぎ出されるだろう。
ルーノが問うも、フルーエティは落ち着いている。
「ピュルサーが必要とあらば魔界から配下を喚ぶだろう。あれがいれば人兵の一、二部隊くらいは潰せる。それでも、もし手に余るようならばこちらに知らせてくるから、そうなれば一時的に俺が向こうへ行く。ただ、サテーリテとしてはまだ様子見だ。こちらも受け流す程度でいい。ピュルサーもそこはわかっているだろう」
それならば、チェスに危険は及ばないだろうか。エリサルデが合流したところで戦力にはならない。だが、エリサルデがいることでチェスも安心ではあるだろう。
そんなことばかり考えてしまったせいか、フルーエティは呆れたような目をしていた。
「それならばさっさと王都を落とすことだ。再会はその時になるだろうからな」
「なんにも言ってねぇだろうが。勝手なこと言ってんじゃねぇよ」
顔をしかめると、フルーエティは嘆息した。
「形だけ改めたところで本質は変わらぬな」
ひと言もふた言も余計な悪魔である。
ティエラ国土を縦断するエルゲラ公道を半日かけて進んだ。そして、牧草地が広がる辺りに陣営を構える。まだ日が暮れてもいないが、今日はこの辺りでいいとフルーエティが言った。
もともと、ティエラの国土はそう広いわけではない。王都から寄り道をせずに南へ馬を走らせれば、三日もあれば辿り着ける。山や谷のない平原地帯なのだ。王都から北側は多少の障害もある。森と山とがあるのだが、山を迂回して森を抜けてソラールはティエラへ進軍してきた。こう、逆に攻める立場になってみると、南からの方がよほど攻めやすい地形をしている。
馬から降りたルーノに、フルーエティが言った。
「明日はバディア平野まで進む。そこで本格的な戦いになるだろう」
レジスタンスに参加したての頃、フルーエティが焼いたバディア平野である。
ルーノが、ん、と軽く返事をすると、フルーエティはルーノから離れていった。リゴールとマルティは主君についている。ルーノは突然、ポツリと取り残されたような気分になった。
けれど、そんなルーノにレジスタンスの面々が声をかけた。おずおずと、遠慮がちにだ。この三人には見覚えがあった。『星空亭』で顔を合わせていたはずだ。要塞を落とす前、宴席で口を利いた。
「なんだ?」
ルーノはごく普通に返事をした。それは王太子と名乗る前から変わらぬ態度であった。それでも、レジスタンスたちはそう受け取らない。まるで叱られたかのようにして首をすくめる。
ルーノが本当に王太子であるのか、疑う心はないのだろうか。エリサルデが認めた以上、やはりそこに嘘はないと思うのか。
ルーノよりもふたつみっつ年上だろう。針金のような黒髪と逞しい体躯をしているが、どちらかといえば単純そうな顔つきである。
「あ、あの、何も知らずにご無礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした!」
無礼だったかどうかも覚えていない。ルーノは少し考えてから口を開く。
「そんなことは気にしなくていい。それよりも、戦いに加わってくれたことに礼を言う」
自ら志願して戦いの場に赴くことは、すべての民にできることではない。それをしようとした心意気にはそれなりの敬意を持とうかとルーノは思った。
少なくとも、当たり前ではない。当然と受け取ってはならないことだと。
「も、勿体ないお言葉でございます!」
ついこの間まで上から目線で話しかけてきたくせに、すっかり萎縮してしまった。何度もへこへこと頭を下げる。身分や血筋といったものが持つ力は、目に見えない圧力となる。おかしなものだと思うのは、ルーノが遜るところを持たないからだろうか。
「と、ところで、その、以前、殿下として振る舞われていたあの方は……?」
気にならないはずもない。当然だ。
ルーノは言葉を選びながら言った。
「もういない。けれど、あれはオレが頼んで行ったことだ。彼はよくやってくれた」
要塞にいた面々はこちらに合流していない。ラウルの死を全員が知るわけではないのだ。隠すわけではないから、いずれ知ることになるだろう。
「そうでしたか……」
それ以上のことは訊ねてこなかった。しつこく訊けたものでもないのだろう。
頭を下げ、背を向けた男に、ルーノは言った。
「セサル、今後ともよろしく頼む」
振り返ったセサルはカッと顔を朱に染めた。その顔に、ルーノは軽くうなずいてみせた。
セサルは、はいっ、と大きく返事をして再び頭を下げてから去った。連れの二人もその後に続く。
ふと、父王のことを思い出したのだ。父は家臣の名を下々の者までよく覚えていた。
――臣に敬われよう、立派な行いをせねば、などと何も難しいことを考えずともよい。
まずはその者の名を覚え、呼んでやるといい。
そうすれば、その者は王族に名を覚えられたことを誇るだろう。
心を我々に寄せるだろう。
何、そう難しいことではないのだ。
あれやこれやと、人心をつかむために躍起になるよりも先に、そうしたことから始めるといい。
何気なくそんな話をルーノに聞かせたのは、いずれ国を引き継ぐ立場であるからだろう。その時のルーノには父の言うことがあまりよくわからなかったけれど、今になってなるほどと思う。
今回はセサルが周りから名を呼ばれていたのをたまたま聞いていたに過ぎないけれど、今後ともそこは気にしておくべきことのようだ。
そんなやりとりを、フルーエティが少し離れた位置から見ていた。その顔がどこか満足げに見えるのは、気のせいだろうか。




