*51
出発前、ルーノはラウルのために祈った。
死ねば恨みも何もない。恨めないのは、レジェスのことがあるからか。
といっても、悪魔に親しんだ穢れた身で神に祈るのも馬鹿らしい。祈ったのは、死後、苦痛が少なければいいというだけのものだ。それも無理なことなのかもしれないけれど。
ルーノはこれから出陣するが、まずコルドバで僧侶をここに派遣するつもりだった。葬儀はエリサルデに一任したい。あの老兵もまた、ラウルの死に心を痛めるだろう。
装いは改めることもなかった。いつものように背には魔界の剣を背負い、要塞の門の前で騎乗しながら皆に告げる。
「オレたちはこれから兵力を集結し、王都まで駆け上がる。ここは南の境だ。サテーリテ王国につけ入られないように警戒しろ」
淡々とした口調。ルーノには威厳などない。優雅さもだ。王族として、それらしいものは抜け落ちたただの人間である。
ただし、ルーノがラウルに勝るものがあるとすれば、それは剣の腕だ。それならば、武力で示すしかない。
「仰せのままに」
皆、恭しく従う様子を見せるけれど、本心などわからない。わからない方がよかったか。本当はわかるのだ。戸惑い、疑い、そして暗澹たる絶望の淵にいる。
ラウルは彼らに希望を見せた。すべては偽りであったけれど、それでもだ。
ルーノは本物であるけれど、だからといってすべてにおいて勝っているということはないのだ。比較されるのはこちらの方でしかない。ラウルの影を背負いながら、ルーノは当分生きていかねばならないのだろう。
「ビクトル」
フルーエティを促し、ルーノは馬を走らせる。マルティもそれについてきた。この悪魔は馬になど乗らずとも走ってついてこれそうな気もするが、人らしく振る舞っている。
要塞から少し離れると、マルティは人間だらけの場所から解放されたためか、清々しいまでに楽しげだった。
「これからでっかい戦が控えてるんですよね。楽しみだなぁ」
マルティにはラウルのことなどどうでもいいのだろう。それも仕方のないことではある。
「お前ら悪魔なら、人間なんて相手にしたって負けるわけねぇんだ。弱い相手と戦って面白ぇのかよ」
不機嫌にルーノが言うと、マルティは小馬鹿にしたように笑った。
「面白いよ。僕たちはそうした生き物なんだから」
人に似た姿を見せている分には勘違いしそうになるけれど、マルティが言うように違うのだ。履き違えているのはルーノの方なのかもしれない。
フルーエティは無言のまま馬を走らせていた。
コルドバに着くと、ルーノの正体を知らせる前から英雄扱いだった。そのことに少なからず驚いた。
「あんたたち、この町を解放したレジスタンスの一員だろ! やっと戻ってきてくれたな!」
騎乗しているルーノたちを見上げ、若い男が嬉しそうに声を張り上げた。
「オレたちがいなくても、兵力は残してあるだろ?」
「そ、そうだけどさ、いつ王都からソラールの大軍が押し寄せてくるかわからないんだから、強い味方がたくさんいてくれた方が安心だし」
町を解放したものの、諸手を揚げて喜ぶこともできない。いつまた攻め落とされるかという不安に怯えている。
フルーエティに目を向けると、フルーエティは軽くうなずいた。
そうして、ルーノたちは兵舎へと向かった。そこへ向かう最中、ルーノはまずエリサルデにどう話すべきかと考える。しかし、どう考えても率直に言うしかないのだ。その覚悟をした。
兵舎へ辿り着くと、門のところにリゴールがやってきた。勝手に察知したのか、フルーエティが思念で呼びつけたのかは知らない。
リゴールの顔を見るなり、マルティが馬から飛び降りた。
「なぁ、リゴール、あっちで色々とあったんだよ。それでルシアノが参っちゃってさ」
アハハ、とさも愉快だとばかりに笑う。時々、絞め殺してやりたくなる悪魔だ。
リゴールは帽子で影になった顔をルーノに向ける。
「色々ですか。ピュルサーとフランチェスカはあちらに残っているようですが……」
「オレは今からエリサルデに話す。お前はフルーエティから聞けよ」
ルーノは自分の顔の筋肉がまるで自分のものではないように感じられた。引き攣る顔では平気なふりもできないが、リゴールは静かに答える。
「そうですか。では、兵舎の中で――」
詰め所は悪魔兵たちが待機しているらしく、レジスタンスたちは町の中に潜んでいるという。詰め所には誰も近づかない。傭兵など荒くれの集団だと思っているのだろう。事実、荒くれどころの話ではないので、近づかない方が賢明だが。
エリサルデは夜間は『星空亭』に戻るが、日中はこちらでルーノを待っていたそうだ。
兵舎の奥へ進むと、陽が差し込む通路の窓辺にエリサルデがいた。ルーノの姿を認め、ハッと息を呑む。そんなエリサルデにルーノは厳しい目をして言った。
「大事な話がある。来い」
「はっ……」
エリサルデは神妙な面持ちでルーノの後に続いた。フルーエティたちはついてこない。
突き当りの司令官の部屋に行き、エリサルデを中へ入れるとルーノは扉を閉めた。見た限り、ソラールの国章が入ったものはない。ルーノが戻る前に皆で捨てたのだろう。毛足の短い藍色の絨毯を踏み締め、ルーノは重厚なオークの机の上に手を突いた。そうして、エリサルデを振り返る。
「エリサルデ、ラウルが死んだ」
結論はそれなのだ。そう言うよりない。
エリサルデは驚愕に満ちた顔で立ち尽くす。口が、何度か動くが、声が発せられるまでしばらくかかった。
「そ、それは……その――」
ルーノが殺したのかと、訊きたいのだろう。うなずいてみせる。
「オレを殺そうとした。もみ合っているうちにラウルは要塞の上から落ちた」
嘘は言っていない。それが真実だ。
エリサルデは虚ろな定まらぬ目をしていた。信じたくはないのだろう。
けれど、現実はどこまでも惨いものなのだ。それをルーノも少なからず味わっている。
「信じられないか?」
小さく皮肉な笑みを浮かべた。
王太子の名を騙ったラウルをルーノが断罪したとしか思えぬとしても仕方がない。
エリサルデは静かに首を振った。
「いいえ。殿下はラウルを生かすつもりだと仰ってくださいました。そのお言葉を疑ってはおりません。ただ、ラウルがそのような行いをしでかしたのなら、その元凶は私でございます。浅はかな私が、彼の生涯を狂わせてしまったのです」
聞こえないことはない声であるけれど、それを言うエリサルデの顔は蒼白であった。血の気の失せた顔でもっともらしく語ったところで、そうかとうなずけるはずもない。
ルーノは嘆息した。
「オレは、あいつを赦す。殺そうとしたが、オレは生きて、死んだのはあいつだ。恨んじゃいねぇよ。だから、要塞に安置したままのラウルの葬儀をお前に頼みたい」
罪の意識に苛まれているエリサルデのためだけでなく、レジェスのためにも、ラウルに真っ当な人間らしい葬儀を上げてやれればいい。
「ありがとう存じます……」
そう言って頭を垂れたエリサルデの目から雫が落ちたけれど、ルーノはそれを見なかったことにした。顔を横に背け、そうしてつぶやく。
「お前がオレの言葉を信じると言った、その心は確かに受け取っておく」
自分の名を騙ったラウルをルーノが殺したのではないかとエリサルデが疑わなかったことを、ルーノなりに評価してのことだ。エリサルデが顔を上げたけれど、ルーノは横を向いたままでいた。
顔を合わせるのが照れ臭かったなどとは今さら言えないけれど。




