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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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*4

 ルーノが放り込まれた闘技場は、非合法の場であるのだろう。けれど、有力者たちがこぞって金主となり、娯楽の一環として上流階級の者たちまでもが観戦に来る。完全に取り締まるのは難しいようだ。


 この闘技場はティエラ王国――旧ティエラ王国の国土にはない。獅子の形をした大陸の尾の部分、離れた半島にあると聞く。あの荒くれたちはどうやら敗北色濃(いろこ)いティエラ王国に見切りをつけ、このサテーリテ王国へ遁走したのだろう。


 ここに売られた後、買い手がつくまで檻に入れられていたルーノは、あの男たちと二度と会うことはなかった。

 皮肉なことに、こんな場に亡国ティエラの王太子がいるとは誰も思わぬのだろう。出自を見破られたことは一度もないが、念のために周りから学び、なるべく粗野な口を利いた。


 ルーノは少し育つまで真剣での戦いからは遠ざけられていた。最初に出たのは十四くらいの頃だった。

 そこからは負けなかった。傷を負うことはあったが、負けなかった。負けなかったのは、生きたかったからではない。くだらないこの世に傷をつけるようにして、何かを痛めつけたかったのかもしれない。

 死闘はそんなルーノに合った。自然と体に馴染み、そうしてこの下賤な場に溶け込んでいった。


 死ぬならそれまでだ。生きたとしても、祖国再建などもう考えていない。

 この闘技場に入れられてから、世情が遠い。国がどうしたなどという話は別世界だった。


 ずっと、このままなのだと思った。年老いる間もなく、いつか闘技場にある無数の屍のひとつになるのだとしか思わなかった。

 それなのに、今になって、それも人外の悪魔が言うのだ。


「祖国再建など望まぬと言うのか? お前にその気があるのならば手を貸してやってもよい」


 悪魔がささやく。

 これは何かの罠だろうか。

 凛と妖しく、美しい容姿をした悪魔が、黒い手袋をはめた長い指をルーノの前で畳んでみせる。


「この地で朽ち果てるなどと、つまらぬことを言うな。這い上がり、大陸に動乱の渦を起こしてみせろ」


 ドクン、と胸が強く打った。今、まさに生きていることを主張するかのごとく。


「手を貸すって、お前がか?」


 声が震えぬよう、ルーノははっきりと問うた。

 悪魔は握った拳をルーノに向ける。


「ああ。上級悪魔六柱が一、このフルーエティが力を貸してやる」


 拳が、黒い花のように開かれる。差し出された手を、ルーノはレジェスの骸を抱き、ただ見上げた。


「……オレには悪魔と契約する作法も何も知識がない。剣を振るうしか能がねぇからな。そんなオレに手を貸すってのか?」


 すると、フルーエティはクスリと小さく笑った。それは悪魔らしい、冷え冷えとした微笑であった。


「俺は契約などせん。ヒトなんぞを(あるじ)と頂くつもりはない。ただ手を貸す、それだけだ」

「契約のない悪魔をそばに置くってぇのは、頭のイカれたヤツのやることだな。いつ裏切られるかわかりゃしねぇ」


 それくらいのことはルーノにもわかる。パトリシオが組んだ円陣は失敗作であったが、本来であれば悪魔を従わせるだけの契約を結んで使役するつもりだったのだ。

 フルーエティは、ルーノの言葉にどこか感心した様子だった。


「ほぅ。いつ死んでも構わんと刹那的に過ごしていたわりに、真っ当な心配をするのだな」


 嫌な悪魔だ、とルーノはしみじみ思った。悪魔に人間性など期待する方がおかしいのだろうけれど。


「少なくとも、今のお前に失って困るものはもうないはずだ。この無情な世界に盾突いてやろうという気概はないのか? それならば、この掃き溜めで生涯を終えるがいい」


 少なくとも悪魔の手を取れば、この闘技場からは出られるということだろうか。ルーノが望んでここにいるわけではない。出られるのならば出たいと思わないわけではない。


「――ああ。外へ出るなど容易いことだ」


 フルーエティが不意にそう答えた。それはまるでルーノの思考を読んだかのように思われて、ルーノはギクリとした。


「外へ出してくれると言うのなら、まず出してくれ。そうしたらお前の言うことも多少は信用できる」


 試しにそう言ってみた。すると、フルーエティは軽くうなずいた。


「いいだろう。その抱いている骸は捨てていくのか、連れて行くのか、どうする?」


 レジェスをここに残していくのは忍びない。思えばレジェスの故郷など知らないけれど、どこか眺めの綺麗なところに葬ってやりたい。この薄汚れたパトリシオの骸のそばに並べておきたくはなかった。


「連れていく。まずはどこかに埋葬したい。それも手伝ってくれるってのか?」


 フルーエティは意外なことに否とは言わなかった。


「それでお前の気が済むのなら好きにするといい。では、行くぞ」


 指先をヒラリと動かしてみせる。

 ルーノは――。

 血が流れて以前よりもずっと軽くなったレジェスの体を縦に抱えたまま立ち上がると、フルーエティの手を取った。それは、手袋一枚を隔てているせいなのか、熱はまるで感じなかった。


 悪魔を相手にそうしたものがあると予測したわけではないが、やはりこれは人ではないのだと再認識した。無機質な、整いすぎた顔が満足げに微笑む。


 ここから、ルーノの時は動き始めたのかもしれない。

 それが幸か不幸か。


 悪魔の手を取らず、ルーノはこの地で朽ち果てていた方が、もしかすると世間のためにはよかったのかもしれない。

 けれど、動き出したものを今さら止めることなどできぬのだ。


 運命の輪は、廻る。


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