*44
ラウルを要塞へ送り出した。チェスとピュルサーも同じ馬車に同乗する。そう長くはないが道中、険悪な空気が流れていそうで、チェスの気苦労を思うと可哀想ではあった。
世話を焼くための人員と食料も積み、別の馬車もそれに続いた。『星空亭』の働き手は女将以外が要塞へ向かった。女将は、この町で戦いが起こると聞いたら、絶対にここを動かないと言い張ったのだ。この店に敵兵を近づけるつもりはないと言っても、頑なに首を横に振る。
ルーノは説得を諦めた。それよりもここへ敵兵を寄せつけないようにする方が簡単だ。
部屋に下がると、ルーノはフルーエティと二人で話す。ルーノが床に座り込んでも、フルーエティは壁際にもたれかかるだけだ。
「なあ、要塞にいる悪魔兵は勝手に魔界へ帰るのか?」
「半数は戻し、半数は潜んでいるようにマルティとリゴールに指示してある。ラウルたちには姿を見せるなと言い含めてあるが、なるべく人に似た姿を取れる者を残しているはずだ」
ラウルの関心はどちらかと言えば今、チェスに向いている気がする。よそよそしく感じられるその変化がもどかしく、内心で苛立っているのがわかる。だから、悪魔兵などを気に留めないかもしれない。
「ところで、ソラール兵の動きってどうなってるんだ? 模擬戦の時にレジスタンスの襲撃を受けた後の動きは迅速だったからな。村でソラール兵を返り討ちにしたのに、追撃がねぇよな。これって、ガッチリ準備をして備えてから潰しに来るつもりってことか?」
ルーノはついでに気になっていたことを訊ねる。その準備万端の戦力とぶつかるのは骨が折れるだろう、と。
すると、フルーエティはクスリと不敵に笑った。
「あのララという女を捕えに行った時、いくつか小細工をしておいた。ソラール兵がこの国に巣食う盗賊どもの根城をひとつふたつ潰してくれたのではないか?」
つまり、そうなるように噂を撒くなり、疑惑を持たせてきたのだろう。用意周到なことだ。
ただし、ソラール兵もそのうちに盗賊とレジスタンスが別であることに気づくだろう。そうすれば、虱潰しにレジスタンスを探し、各方面へ兵を向かわせるはずだ。
「そうだ。だから急げ」
フルーエティがルーノの思考を読み、告げる。ルーノは顔をしかめた。
「まず、町の住人にこの町で市街戦が起こることを事前に知らせておかないとな」
そうしなければ、巻き添えを食う民間人が出る。至極真っ当なことを言ったつもりが、フルーエティはかぶりを振った。
「それはその時まで行わない。直前に家から出ぬように通達するだけだ。あらかじめ知らせては、どこから情報が漏れるかわからん」
「まあ、そうだけど」
「被害を最小に抑えるためには迅速に兵を仕留めることだ。すべて殺せとは言わぬが、戦闘力は削げ」
ルーノはどうしたものかと考えかけたが、敵の兵にまで情けをかけるゆとりはないと気づき、やめた。
「ラウルたちが要塞に着いた後、こちらも動き出す。リゴールには市街戦に加わるよう言いつけてあるからな、そのうち合流するだろう」
「マルティは?」
「あいつに市街戦なんぞ向いてない」
呆れたようにフルーエティは吐き出す。それもそうだ。家屋が焼かれて火の海になる。
「この町に潜むレジスタンスへの通達はエリサルデに頼んだ方がいいだろう」
「ん、わかった」
軽くうなずく。そんなルーノに、フルーエティはさらに言った。
「お前は目立つように戦え。わかっているな?」
「わかったって言ってるだろ」
市街戦だから、悪魔たちを大っぴらに使いたくないのだ。前にもルーノが戦うようにと言っていた。気を引き締めてかかれという意味だろう。
そう何度も言われずともわかっている。ルーノは顔をしかめた。
それから二刻とせずにリゴールがやってきた。力は使わず、ライムントも呼ばず、ただの馬に乗ってきたことが意外であったけれど、人目があることを思えば当然だろうか。いつかのようなつば広の帽子を被っている。
「ラウルは無事、要塞に入りました。ピュルサーが毛を逆立てて待機しております」
『星空亭』の前でフルーエティにひざまずき、リゴールはそんなことを言った。ピュルサーのその様子が目に見える。フルーエティは満足げにリゴールに告げる。
「今度の戦いは、お前が先陣を切れ」
「はっ」
「ただし、適当には零せ。そいつらはルシアノに片づけさせる」
「……いや、要らねぇよ。零すなよ」
ルーノがぼやいても、二人の悪魔は意に介さない。そんなやり取りをしていると、エリサルデが中から出てきた。不審そうな目つきでひざまずいたリゴールを見ている。
フルーエティはそんなエリサルデに振り向く。
「これは私の配下で、ライムントと申します。腕は確かですので」
その偽名にルーノは笑い出したくなったが、なんとか耐えた。
「そうか。よろしく頼む」
エリサルデは少し寂しそうに返した。失くした片腕を、もう片方の腕が探しているような仕草をする。
腕が揃っていようと老齢なのだから無理はせずともよいと思うが、そう思われることがきっと我慢ならないのだろう。できることならば馬を駆り、轡を並べて祖国奪還の戦いに加わりたいと見える。
根っからの武人だと、ルーノは呆れたような、感心したような複雑な心境だった。
「エリサルデ様ですね? ご高名はかねがねお聞きしております。私はライムントと申します。以後、お見知りおきを」
傭兵という設定にしては騎士のように礼儀正しい。ライムントという名のフルーエティの戯れにも動じない。つまらない悪魔だとルーノは心の中で悪態をついた。
エリサルデはリゴールの慇懃さを気に入ったのか、うるさくは言わなかった。
「では、準備にかかりましょう。動ける人員をすべてここへ集めてください」
フルーエティの指示に、エリサルデはルーノを見た。ルーノはうなずいてみせる。
「直ちに……」
エリサルデはそう答えた。もちろん、エリサルデが町を駆け巡って知らせるわけではない。伝令役は別にいる。エリサルデはその伝令に伝えに行くだけだ。
その背中を見送りつつ、ルーノはフルーエティの方を見るでもなくエリサルデの背を眺めたままでつぶやく。
「お前ら、なんでいちいち偽名使うんだよ? 危うく腹抱えて笑うとこだっただろ」
それでも、フルーエティもリゴールもにこりともしない。リゴールは肩に落ちた黒髪を払いながら言った。
「それは我らの名を知る人間もいるからですよ」
「そんな有名かよ?」
「その筋では。人が作り上げた魔術書にはフルーエティ様のお名前に加え、我らの名も記されておりますので」
ルーノはフルーエティが喚び出された時を思い出した。パトリシオが持っていたあの本がその魔術書だったのだ。
それを思い起こしたルーノに目を向け、フルーエティはかすかに笑った。
「人が手探りで我ら悪魔のことを書き記した魔術書など、誤りだらけだ。その通りに術を行ったところで成功するとは限らん」
「ああ、なるほどな」
その魔術書の記載に誤りがあったからこそ、ルーノは助かっているのだが。もし、あの術が成功していたらと思うとゾッとする。レジェスが無駄死をしたことは悔やまれるけれど。
ひとつ息を吐くと、フルーエティはそんなルーノを何か言いたげに見て、そうして何も言わなかった。




