*43
ナバルレテ要塞は悪魔の軍勢の前に陥落した。悪魔たちの雄叫びが響く夜、ルーノは星の瞬く夜空を見上げながら昂る心を静めようとした。
その傍らでフルーエティが言う。
「早朝、コルドバに行き、ラウルを要塞に待機させる。そして、俺たちでコルドバを解放する」
「なんでいちいちラウルを動かすんだよ? 『星空亭』で待たせときゃいいだろ」
「手順というものがある。コルドバ解放にラウルがいては、どうしてもそちらに民衆の意識が行くからな」
「めんどくせぇなぁ」
そうぼやいてみせたが、ルーノにフルーエティの策を突っぱねる気などないのは伝わっているだろう。
「フランチェスカも要塞へ置いていく。コルドバが落ち着くまでラウルの気を逸らしてもらうとしよう」
「はぁ?」
顔をしかめてしまった。チェスの困った顔が目に浮かぶようだ。
しかし、フルーエティはそんなことには頓着しない。
「ピュルサーをつけておく。今回はマルティも要塞に残す。フランチェスカの身に危険はない」
「……そりゃあわかってるけど」
身の危険はなくとも、あまりラウルのそばに置きたくないと思ってしまう。こんなふうに思うのは、ピュルサーに感化されたせいだろうか。
フルーエティはそんなルーノに呆れたような目を向けた。
「お前が気にすべきことは戦局だ。これから祖国を奪還しようかというのだから、気を引き締めろ」
あまりに正論であり、ルーノは黙るしかなかった。その代わりに顔をしかめてみせる。それでもフルーエティは淡々と続けた。
「今度の戦いはお前も十分な働きをしろ。今回のような楽ができると思うなよ」
町中での戦いは、ひと目で悪魔とわかるような者は使わずに行うつもりなのだろう。
「……へいへい」
軽く答えてみせたものの、ルーノが内心で動揺していることなど、フルーエティはお見通しだろう。
市街戦など、経験もない。どうしたものかと思うが、やるしかないのだ。
戦の気に当てられ冷めやらぬままの心にさらなる油が注がれたようで、ルーノは心臓の辺りをグッと押さえ込んだ。
その晩は、要塞の室内で眠った。司令官が使う上等の部屋で、魔界のフルーエティの屋敷にいるよりはいい扱いをしてもらえたのが皮肉なところである。
早暁。
ルーノとフルーエティは要塞に繋がれていた馬に跨り、コルドバへと走らせた。要塞にはマルティとリゴール、悪魔兵たちをそのまま残してある。ラウルが来る頃には魔界へ戻すが、今は要塞を空にしておくわけにもいかない。サテーリテ王国がこの段階で情報を掴んでつけ込んでくるかどうかは定かではないが、念のためだ。
戻って早々、馬を留めて星空亭の中に踏み入ると、そこには手伝いをしていたらしきチェスがいた。ララもいないので手が足りないのだろう。
ピュルサーは手伝うでもなく、食堂の片隅に座り込み、そんなチェスを見守っていた。
「あ! ルーノ!」
パッとチェスの表情が明るくなる。ルーノはそれがくすぐったかった。
「ん、ただいま」
らしくないことを口走りつつ照れていると、フルーエティが淡々とした様子で女将に訊ねた。
「殿下は奥か」
「そうだよ。ねえ、あんたたち、もう要塞を落としたなんて言うのかい?」
信じられないといった様子で女将は呆然と立ち尽くしていた。ピュルサーはフルーエティのそばに駆け寄る。
すると、二人の帰還を感じ取ったらしく、ラウルが食堂まで出てきた。背後にエリサルデもいる。
その時、ラウルの目が一度ルーノに留まった。チェスが親しげな様子でそばにいたからかもしれない。それも、ルーノならば近づいてもピュルサーが気に留めない。ラウルにはその扱いの差が腹立たしかったりするのだろうか。
「殿下、要塞は無事に陥落いたしました。今は私の配下を滞在させております。今度はこのコルドバからソラール兵を駆逐致しますので、しばらくあちらの要塞にてお待ちください」
「ナバルレテ要塞は国境近くにある頑強な砦だ。あそこを落とした後、立て続けに戦う、それだけの余力がお前の部隊にあるというのか……」
エリサルデが愕然としてつぶやく。フルーエティはそれでも淡々と言った。
「コルドバでの戦いにはレジスタンスの人々にも協力してもらいますが」
「ビクトルが言うのなら、勝算はあるのだろう?」
ラウルは驚きつつもフルーエティを疑わない。
今、彼はどんな心境でいるのだろう。レジスタンスだけでは動かなかった現状が、今になってついに動き出した。本当に王座に手が届くかもしれない。偽りの血を生涯隠し通す覚悟はあるのだろうか。
「ええ、十分に」
そう言って、フルーエティは微笑する。ルーノからすれば、不吉な笑みである。けれど、ラウルには頼もしく見えたようだ。
「君は我がティエラ王国の生まれだが、諸国を旅しサテーリテ王国の情勢にも詳しい。伝手もあるという。君が私のもとへ現れてくれたことをソラナスに感謝しよう」
また適当なことを吹き込んだものだとルーノは呆れたけれど、ラウルは疑っていないようだ。神も感謝などされたくないだろうに。
この分なら、何の疑いもなくラウルはフルーエティの指示通り、要塞に移動するだろう。そうしたなら、この町の解放だ。エリサルデの手前ああ言っただけで、レジスタンスの戦力など本気であてにはしていない。どの程度の兵力がこの町にあるのか、フルーエティはすでに調べてあるのだろうけれど。
ラウルはふと、チェスに顔を向けた。ピュルサーがチェスよりもフルーエティのそばに寄り、いつもよりは少しばかり声をかけやすいのかもしれない。
「チェスカも要塞の方においで。ここはしばらく危険だから」
「え、あ……」
返答に困ったチェスがとっさにルーノを見た。チェスは最初から要塞に行かせるつもりであったから、ルーノはうなずいてみせた。それを見たチェスがその意図を酌んで返事をする。
「お供致します」
その様子に、ラウルは一瞬表情を消した。
「そう。では、こちらのことは頼むよ、ビクトル」
「畏まりました」
淡々と返すフルーエティであったけれど、何かを気にするようにルーノを見た。そこでエリサルデが発言する。
「殿下、私はこちらに残りましょう。市街戦なら、レジスタンスの皆の方が動けるはずです。私はその助けとなりましょう」
ツ、とラウルの視線がエリサルデの欠けた腕に行く。それでも、ラウルは微笑んでみせた。
「そうだね。でも、無理はしないように」
「はっ」
エリサルデが残ると言い出したのは、フルーエティが気になるからだろうか。あまりに鮮やかに要塞を陥落したことが逆に不安の種となったのかもしれない。だからルーノのそばにいようとするのだろうか。
昔ならいざ知らず、今のエリサルデは戦力とはなり得ない。ルーノは年寄りの冷や水と言ってやりたい気分だったが、当人もそれなりの覚悟を持っているのだろうと、何も言わずにおいた。




