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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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*37

 それから二人とも自室に戻って休んだ。魔界は地上ほど時間の経過がはっきりとしておらず、どれだけの時間を休息に当てたのかは体感で計るよりない。半日以上はここで過ごしたのではないかと思われる。

 フルーエティはルーノとチェスを応接間に呼びつけ、そうしていつものごとくソファーでくつろぎながら言った。


「そろそろ地上に行く。ラウルを下げてお前が前に出る頃合いだ」


 と、向かいに座ったルーノに言い放つのだった。

 淡々とフルーエティは告げるけれど、ルーノにとってそれは、ルーノの人生において何度目かの転機である。闘技場に放り込まれたことを思えばマシかとも思う。けれど、もしかするとそれは違うという気にもなる。


 闘技場に入ったばかりの時はつらかった。力もまだ弱く、手加減を知らない男たちの憂さ晴らしの道具でしかなかったと言える。けれど、つらかったのはルーノただ一人だ。

 けれど今後は、ルーノの行動次第で多くの巻き添えが出る。不幸になるのは自分一人ではない。民が道連れだ。


 それがどうした、と少し前までなら言えた。けれど、今はそういうわけにもいかない。

 チェスがルーノを信じるから、たったそれだけのことで逃げ場を失ったと、そんなことが起こり得るのだ。チェスを巻き添えにはしたくないし、逃げて失望もされたくない。

 少なくとも真剣にそう考えている自分がいた。


「ラウルはどうする?」


 ため息交じりに問うと、フルーエティはうなずいた。


「あれはお前の『影』とすればよい。もとより王太子の名を騙るなど重罪だ。それを、お前が承知の上で代わりに矢面に立っていたことにしろ。そうすれば、尊い王太子の命を身代わりとなって敵から護っているのだと、周囲の者たちも納得するだろう」


 やはり、フルーエティはラウルを処罰をせずに残せと言うらしい。どこに使い勝手を見出しているのかは知らないが。

 ルーノは今、考えを読まれたくなかった。ラウルが気に入らないのはルーノ個人のことと切り捨てられるのが嫌だった。気を引き締め、ルーノは口を開く。


「まあ、生かしとけってんならいいけどな。処罰するとエリサルデもぐだぐだ悩みそうだし」


 エリサルデも責任を感じて真相を詳らかにさらすだろう。あれはそうした男だ。腹の奥に秘め事を抱えるつらさに耐えられない。そんな男がついた嘘は、それこそ大義名分があればこそのことだったのだろう。


 斬首などの惨たらしい刑罰がラウルに下されるとなれば、チェスも平然とはしていられないだろう。ルーノの言葉にほっとした様子であった。偽者とはいえ、言葉を交わし、共に戦った相手なのだから、その程度の情はあるはずだ。

 ただ、ラウル自身はどう考えるのか、ルーノにはわからない。


 本物が現れたと、あっさり引き下がるだろうか。ラウル自身はエリサルデのような愛国心から王太子の名を騙っているとは思わない。自分の利となるものが大きいか、そうでないか、判断基準はそこにあるという気がする。

 それならば、フルーエティやエリサルデが説いたところで納得などするだろうか。


「今後、王座を奪還した後、それなりの役職に就けるとでも約束してやればいい。あれは失脚するよりもそちらの方がマシだと、そこの計算ができる男ではある」

「……口約束を信用するか?」

「お前が言っただけでは無理か。エリサルデや俺からも根回しはしておくとする」

「そんな扱いにくいヤツ、要らねぇ……」


 ルーノがぼやいても、フルーエティは聞き入れない。

 チェスは心配そうにルーノをチラリと見た。


「でん……じゃなくて、ラウルさん、優しい人ではあるんだよ。少なくとも、私には優しくしてくれたの。でも……時々、ちょっと引っかかる時があって。前は疑ってもみなかったから、自分の中で気のせいかなって片づけたり。偽ってることの大きさを思ったら当たり前だよね。完全には難しいと思う」

「引っかかりって?」


 そう問うと、チェスはうなずいた。


「ルーノ、手を見せてもらってもいい?」

「うん?」


 両手を面に向け、広げて見せる。すると、チェスはそれを見ながらつぶやいた。


「闘技場にいたんだから、手は肉刺まめだらけだよね。でも、ルーノがもし無事に落ち延びていたらどう? 十年間、剣なんか握らなかった?」

「……いや、家臣連れてて剣の鍛錬ひとつしなかったら士気が下がる。本心じゃ無理だって諦めつつも、形だけはソラール兵に一矢報いるとか言って剣を振ってただろうよ」


 戦局を覆すことなどできないと頭で理解しつつ、それを家臣に読まれたくはないと考えただろう。王太子が希望を失っていないと、表向きは捉えていてほしかった。

 チェスは苦笑した。


「ラウルさんの手、剣を握り続けたような跡がなかったの。王太子殿下なら幼少期から剣術を教わるんでしょう?」

「そうそう、エリサルデの息子にな、ビシビシやられた」


 ラウルは庶民だとエリサルデが言った。豪商の子であったと。それならば、剣など握る必要もなかっただろう。ラウルは普段、そうしたことを覚られないようにしているのではないのか。

 ララであればきっと気づかなかった。けれど、生憎とチェスは武人の娘なのだ。若い娘だからと侮り、気を抜いて接してしまったのだろう。

 それならば、剣などまともに扱えない。カブレラ流派の剣術などもってのほかだ。


 すると、フルーエティは脚を組みつつ感情のこもらない様子で言った。


「しかし、それを人前で暴露するな。ラウルも恥をかかされては今後お前に従うこともないだろう。敵対すればそれなりに厄介だ」


 ここへ来て、フルーエティの考えがおぼろげに見えたような気がした。

 ラウルは繊細な容姿に似合わず、堂々と嘘をつく豪胆さを持つ。人を騙すことに長けているのなら、それこそ抵抗組織でも立ち上げてルーノに盾突くかもしれない。要らぬ恨みは買わず、飼い殺しにしておいた方がいいと、そういうことであるのか。


「……わかった」


 素直に納得したルーノに、フルーエティは軽く眉を動かした。自分が提案したくせに、それを呑んだのが意外だとでもいうのだろうか。けれど、それから言ったことは悪魔らしからぬ戦略であった。


「レジスタンスの者たちが負傷し、散り散りになっている今、当座のところは動けないとラウルは言っていた。だが、あのコルドバの町よりさらに南下すればナバルレテ要塞がある。サテーリテ王国との国境付近だ。ここにもソラール兵がいる。まずはこの要塞を落とし、背面の憂いを失くしたのちにコルドバに戻り、町からソラール駐屯兵を駆逐する」


 悪魔が軍師かと、ルーノは皮肉めいたことを思った。フルーエティはそんなルーノに構わず続ける。


「体制が整い次第、そのまま王都まで駆け上る」

「あぁ……」


 うなずきつつ、ルーノは唾を呑んだ。王都、と。

 そこまで進むのだ。王都の城に再び足を踏み入れる時が近づく。

 父や母を屠った敵もこの手で貫くことができるだろうか。

 現実味がなかった祖国再建が、徐々に輪郭を得てルーノの中に息づくようであった。


 すぐそこに、怒涛の現実が迫る。ルーノはそれを迎え撃たねばならぬのだ。

 緊張の面持ちのルーノを、チェスが少し心配そうに見ているのを感じた。フルーエティはそんなルーノに向かってはっきりと言った。


「コルドバから駐屯兵を追い払った頃合いを見て、お前は『ルシアノ』に戻れ。その心構えをしておくことだ――」


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