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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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37/80

*36

「一人か? ピュルサーは?」


 思わずルーノが問うと、チェスは苦笑した。そのままルーノの隣にしゃがみ込み、座って脚を伸ばした。


「うん……フルーエティさんが、私のことはこの屋敷で休ませるから、ひとまず帰れって」


 ピュルサーにとって、ここはあるじの館である。長々と居座れる場でもないのだろう。実際のところ、フルーエティがついているのだから、心配は要らないのだろうけれど。


「そりゃあ逆らえねぇな」


 ハハ、とルーノも軽く笑った。すると、チェスはため息をつく。


「フルーエティさんって、位の高い悪魔なんだよね。お部屋が立派すぎて落ち着かないよ」

「……」


 二人の部屋には格差があるような気はした。何もそれはチェスのせいではないのだが。

 ルーノが一度沈黙してしまうと、チェスも何を話せばいいのかわからなくなった様子だった。急に静かになった。魔界の風の音だけがかすかに聞こえる。


 何かを言うとして、ルーノはチェスの現状に気の利いたことが言える気がしなかった。言葉を探しているうちにチェスの方がポツリと切り出す。


「あのね、少し聴いてもらってもいい?」

「うん?」

「そんなに面白い話じゃないの。私の話……」


 前置きからして、愉快な内容ではなさそうだ。それでも、チェスが語りたいのなら構わないとルーノはうなずいた。チェスはルーノに少しだけ笑いかけると、それからはルーノの方を見ずに語り出した。その仕草から、過去に想いを馳せていることが伝わった。


「……父様は戦で戻れないことが多かったから、最後の日、神妙な顔をして私に今生の別れみたいな言葉をかけたのを、幼すぎた私はちっとも真剣に聞いてなかったの。父様は強いんだから、敵をやっつけてすぐに戻ってきてくれるって思ってた」


 ルーノでさえ幼かったのだ。当時のチェスには無理もないことだっただろう。


「それ、オレたちを連れて田舎に逃れるためだったから、もし無事だったとしてもそうそう家には帰れなかっただろうしな。ウルタードなりに覚悟してくれていたんだろ。……まあ、ウルタードの死にはオレにも責任があるから偉そうには言えねぇけど」


 すると、チェスは大きくかぶりを振った。


「ううん、ルーノを護るって、父様はとても名誉な役割を託されたんだから、それは誇らしいことなんだと思う。……って、今の私ならそう思えるんだけれど、きっと母様も詳しくは聞かされていなかったんじゃないかな。安否不明とだけ伝えられて、それでもう生きていないんじゃないかって毎日泣いていたの」


 過去は過去だ。そうは思うけれど、チェスの語りがルーノに重くのしかかる。しかし、チェスはルーノに責任を感じてほしいわけではないのだろう。淡々と続ける。


「その時、母様のお腹には私のきょうだいがいて、毎日不安で泣いていた母様のお産は難産で、結局どっちも助からなかったの。あの時は王都が落ちたばっかりで、悲しんでいる間もないくらい周りが慌ただしかった。……それで私は、親戚のところへ連れていってくれるって人に手を引かれて他所の土地に行ったの」


 じわりと手に汗をかいた。ルーノはそれを覚られないように平静を保つ。

 そんなルーノにチェスは一度視線を戻す。


「うん、親戚っていっても全然交流もなくて、他人とほとんど変わらなかった。私は使用人としてそのお屋敷でお世話になってたの。田舎だったんだけど、町の人たちは国を護れなかった兵士たちが悪いって、武人なんて戦いに勝てないならなんの価値もないって、ふた言目にはいつも言ってた。王都から離れた田舎だったからだと思う。何も知らない人たちに父様を馬鹿にされるのは我慢できなかった……」


 チェスはあまり感情を込めすぎないように気をつけながら語っているふうだった。

 それでも、ここまで語って、言葉をただ紡ぐ以上の疲れをチェスのため息に見た。それらを今になって吐き出そうとするのは、今日を区切りとするためかもしれない。

 一度言葉を切ったチェスはゆっくりと続ける。


「でも、田舎だったから女がはしたないとか言われずに馬術や弓術を習えたのはよかったかな。それから風の噂で、殿下がソラール兵に対して名乗りを上げられたって耳にして、どうしても駆けつけたくなって暇乞いをして出てきちゃった。そこに行けば、父様の消息を知る人がいるかもしれないって思ったのもあるんだけど、それがなくても、私にできることがあるなら、国の再建のお役に立ちたいって」

「女子供が首を突っ込むには危険すぎるけどな」


 思わず言ってしまった。チェスの思いを否定する言葉である。

 けれど、チェスは悪くは受け取らずにいてくれたのかもしれない。表情は穏やかだった。


「……父様は本当に忠誠心の強い人だったから、息子ができたら自分と同じように騎士として王家に仕えてほしいって思ってたんだって。母様がそう言ってたの。お腹の子は息子だといいって。でも、父様の子供はもう、私しかいないの。だったら、私が王家のために少しでもお力になれたらって。そのためならありとあらゆることをしようって決めて、殿下にお会いしに行ったの」


 背負いすぎだと、ルーノは正直なところ思うだけだった。

 父の名誉を護りたい気持ちが強いのはわかる。けれど、それは娘には重たすぎるものであるのに。

 それでも、その気負いがチェスには生きる張り合いになったのだろうか。ただし、もっと自分を一番に考えていれば、挙句に悪魔と契約するにまでは至らなかったのに。


「ウルタードは娘のお前が戦うことを望んでなかったって、わかってるくせにな」


 苦々しく言うと、チェスはここで困った顔をした。


「だから、髪もバッサリ切って、スカートもはかなくなったの」

「それで男になるわけじゃねぇだろ。好きな男でも作って普通の幸せでもつかんだ方が親孝行だな」


 口の悪いルーノに、チェスはしょんぼりと肩を落とす。ずけずけと物を言いすぎたかと、ルーノは少しだけバツが悪くなった。


「……でも、お前は苦労したわりには荒んでねぇよな。オレなんて、闘技場暮らしで品性吹き飛んだからな」


 まっすぐな気性、優しさ、チェスは歪むことなくそれらを持ち合わせている。こう見えて、心が強いのだろう。


「そんなことないよ」


 そう言って、チェスはクスクスと笑う。その笑顔に少しだけほっとした。


「生きるか死ぬかって暮らしの中で、正直オレは祖国のことなんて微塵も考えてこなかった。今さら祖国奪還だ、王位だなんて騒いだところで、オレには国なんて重すぎる。面倒だし、愛着も薄い。……こんなヤツが血筋だけで王太子なんだからな。残念だったな?」


 これは弱音だと、言ってから気づいてルーノは後悔した。こんなこと、チェスに言うべきではなかった。否定してくれる相手を選んで愚痴を零すなど、みっともないだけだ。

 消えてしまいたいような気分になったルーノに、チェスはやはり首を振ってみせた。そうして、宝石ほどに綺麗な青い目でまっすぐにルーノを見据える。


「ルーノはいい加減なことができないから、重たいとか面倒だとか感じてしまうんじゃないかな。人の暮らしや期待を背負うことの意味を知ってるからだよ。それは簡単なことじゃないから、真剣に向き合うのは大変なことだから。周りにかしずかれたり、贅沢な暮らしをしたり、それだけを望む人なら、そんなふうに言わないよ」


 十分にいい加減な人間だと思うのだが、とルーノは言葉に詰まってしまった。それでも、チェスは笑っている。


「少なくとも、私はルーノが王様に向いてないとは思わない。ルーノでよかった」


 唖然としてしまった。

 こんなに意欲など何もなく、フルーエティに流されるままのルーノに、チェスはこんなことを言うのだ。

 人の期待は嫌いだ。勝手だと思う。

 それなのに、何故だかチェスにそう言われることがそれほど不愉快ではない。ルーノは言い込められたようで気まずく、とっさにチェスの短い髪に指を差し込んだ。


「ひゃっ」


 驚いたチェスが小さく声を上げた。その声はどうしたって女のものだ。短く切ろうと、この艶やかな黒髪も。

 ルーノは絹糸のように滑らかなチェスの髪を指に巻きつけ、そうしてボソリと言った。


「お前、いくつになった?」

「え? 十七だけど」


 十五歳くらいだと思っていた。ルーノとそこまで違うわけでもなかったことに驚いた。


「十七……? 幼く見えるな。髪、伸ばせよ。その方が似合う」

「えっ」


 チェスの顔が、耳が赤い。初心なものだと、ルーノ自身もその反応になんとも言えない気持ちになった。

 心臓が、疼く。どんな戦いでも知らない、いかれた鼓動だった。


「王命だ」


 笑ってごまかすと、チェスは肩をすくめて小さくおどけて答える。


「御意のままに致します、陛下」


 魔界の空の下、二人はそんな他愛のないやり取りをした。


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