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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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*34

 肩口まである、加減によっては緑にも茶色にも見えるまっすぐな髪。整った顔立ちはどこか繊細さのある美であった。体型もフルーエティよりもやや華奢である。着ている服は黒いけれど、体に沿うものではなく、ゆったりとして僧衣のように見えた。


 その悪魔が嫣然と微笑んでいる。この悪魔はフルーエティの配下ではないと、それだけはわかった。そして、ルーノがフルーエティの配下以外の悪魔と対面するのは初めてのことである。


「……あんた、誰だ?」


 ルーノはまずそれを問うた。

 ただし、悪魔は微笑むばかりで答えない。


「私が誰かなんてことは、君には関わりがない。そんなことよりも、君が知りたいことを教えてあげようというんだ」

「なんだよ、それ……」


 眉根を寄せてルーノは悪魔を見上げる。悪魔は、浮いていた。足先が崖のどこにもついていない。

 不躾なルーノの態度にもいちいち腹を立てないこの悪魔は、やはりそれなりに高位の存在なのだろう。圧倒するような威圧感ではないものの、近寄りがたさはある。

 薄く笑みを浮かべた唇で、悪魔はささやく。


「何故、あの娘をフルーエティの配下の者どもが敬うのか、それを知りたいのだろう?」


 知りたいのかと問われれば、知りたい。それは当然だ。

 すると、悪魔は優雅にうなずいた。


「ならば、教えてあげよう。あの娘が誰に似ているのかを」


 勿体ぶった口調に、ルーノは多少の苛立ちを感じながらその先を待った。ルーノの心音が、風の音よりも強く主張する。

 悪魔は翠玉に似た瞳をルーノに向け、そうして言った。


「あれはフルーエティのあるじであった人間に似ているのだ。だからこそ、彼の配下の悪魔にとっては人でありながらも尊い存在だった。その名残だ」

「フルーエティの?」


 あの人間嫌いで気高い悪魔に主がいたと――。

 その主がチェスに似ているというのか。

 しかし、この悪魔の言うことにはまるで現実味がなかった。どうにもピンと来ない。


「そうだ。彼の主は少年であったけれど、よく似ている。とはいえ、成長すればおもかげも薄れそうなものだ。今、この時が似ているに過ぎない。あちらの少年も生き永らえていれば、女と見紛うような優美さも次第に消え、逞しくなっていたことだろうから」

「生き永らえてって、それは死んだってことか?」

「少し違うけれど、まあ間違ってもいない。すでにフルーエティとの契約は切れている。それ以来、彼は誰とも契約を交わすことをしなくなった」


 主が死に、フルーエティはそれから誰も主と頂かなくなった。

 あの人間嫌いはそこに起因するのだろうか。そう考えると、辻褄が合わなくはない。

 そこでふと首をかしげた。


「フルーエティの主のことを誰も覚えてないのはなんでだ? あいつら、気になるくせになんにも覚えてなかったぞ」


 謎の悪魔はフフ、と笑った。


「まあ、そこには込み入った事情があるのだけれど、皆の記憶から抜け落ちるような行為をその少年が犯したからだ。フルーエティはそのことをひどく悔いているけれど、覆せることではないからね。――と、まあそういう事情だよ。ここの誰もがこの真相を教えてはくれないから、少々出しゃばってきてしまったけれど、お役に立てたかな?」


 目が少しも笑っていない。この悪魔はフルーエティにとってどういう存在なのだろうか。

 しかし、とっさにそれを考えるのをやめた。この悪魔もフルーエティのごとく、ルーノの心を読むことなど造作もないのだ。今、あまり考え事をするのは得策ではない。

 ルーノがその結論に達すると、悪魔は面白くなさそうに息をついた。


「おや、余計なお世話だったかい? それは残念だよ、ルシアノ・ルシアンテス王太子殿下」


 キッと悪魔を睨みつけると、悪魔の瞳の奥が得体の知れない生き物のように蠢いた。背筋がゾクリと凍るような感覚がした。


「さて、そろそろ退散するけれど、この話は内緒だよ。フルーエティに心を読まれないようにね」


 ふわり、と軽やかに高く浮き上がったかと思うと、瞬く間に姿を消した。飛んで移動したというよりは、フルーエティがよくするように門を開いて空間を移動したのだろう。肉眼で追うこともできない。

 ルーノはその場で立ち上がり、崖っぷちで風に吹かれながら考えた。


 あのフルーエティがただの人間の少年にひれ伏すなど、どうにも考えられない。けれど、ピュルサーたちがチェスにこだわる理由がそれなのだとしたら、疎かにできないのも無理はない。記憶にはとどまっていないというのに、体に染みついた何かがあるのだろうか。


 そういえば、フルーエティはチェスに関してこう言っていた。

 顔が似ているだけの別人だと。

 その少年がすでにいないことを誰よりもよくわかっているからこその言葉だ。誰も代わりにはなれないのだとばかりに。


 フルーエティは常に落ち着き払い、感情の揺れをほとんど見せない。高等な悪魔とはそうしたものだとルーノは認識していた。けれど、もしかするとそれは違うのだろうか。感情を見せないだけで、本当は心の内では色々なものを抱えているのだろうか。


 だとすると、途端にフルーエティが人間じみて感じられる。あの悪魔が、と――。

 そんなことは今、ここでルーノが考えてもわからないことばかりである。

 ただ、主のことを知ったと、それをフルーエティには覚られたくなかった。間違いなく嫌な顔をする。自分を必要以上にさらすことを好む性質ではない。人の心は勝手に読むくせに、勝手な悪魔である。


 闘技場から出て、身ひとつしか持たぬルーノにとって、今の頼みの綱はフルーエティでしかない。契約もしておらず、興味本位で手を差し伸べただけに過ぎないとして、それでもルーノは救われたのだ。

 それならば、あれやこれやと悩むのではなく、フルーエティが言うように祖国を奪還し、王座に就くべきなのだろう。少なくとも、ルーノがそれを放棄した途端、フルーエティはルーノに興味を失い、放り出すだろうから。


 気乗りなどしないけれど、この血を持って産まれた以上、運命からは逃れられない。ルーノが選べる道は限られている。

 ただ、ひとつだけ気がかりなことは――。


 フルーエティは、ラウルを少しばかり気にしている節がある。顔を合わせるまでは、偽者を排斥するというようなことを言っていたというのに、それを言わなくなった。むしろ、家臣にしろなどと言ってみたりする。

 何がどう気に入ったのかは知らない。けれど、あの謎の悪魔からフルーエティの主の話を聞き、少し複雑な心境になった。


 正直なところ、偽者であるラウルを使ってでも戦火は起こせるのだ。むしろ、ラウルはルーノ以上に大衆に働きかける業に長けている。扱いやすいのはラウルの方かもしれない。 

 フルーエティはかつて、人間と契約を交わしていた。それならば、今後もそれをしないとは限らない。

 そう、その相手としてラウルを選ばぬとも限らない。

 選ぶとも限らないけれど。


 ため息をつき、そうしてルーノは顔を上げた。

 フルーエティが戻る頃には心を読まれぬように気を強く持たねばならないのだ。


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