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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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33/80

*32

 キィン、と耳鳴りがした。

 その途端、チェスは右手を押さえながら甲高い声を上げる。ルーノはギクリとしたけれど、フルーエティの抑揚のない声が近くから聞こえた。


「契約の印が刻まれた。少々痛みはあるが、一時のことだ」


 ルーノは安堵して首を振ると、チェスのもとへ駆け寄った。ピュルサーは、切ない目をしてチェスを見つめていた。それは色恋とはまた違ったものではあるのだろうけれど、悪魔にとってのあるじとはそこまで情を移すものなのだろうか。


「ウルタードが知ったらなんて言うか……」


 思わずそんなことをつぶやいてしまった。けれど、チェスはそれどころではなかったのか、潤んだ瞳でルーノを見上げた。その表情は、今まで子供だとばかり思っていたチェスにしては艶めいて見えた。そのことに少し驚いていると、チェスは口を開く。


「ルーノは、いつも一緒にいたんだから、レオ――ううん、ピュルサーたちの正体を知っていたんだよね?」

「まぁな」

「……もしかして、ビクトルさんも?」


 その言葉に、ピュルサーが答える。


「上級悪魔六柱が一、フルーエティ様。俺はその配下だ」

「フルー……エティ」


 ポツリ、とつぶやく。まだピンと来ない様子であった。


「ルーノは、フルーエティさんと契約しているの?」


 チェスは自分の手の平を見つめながら言った。そんなチェスにルーノは、自分の肉刺まめだらけの手を見せる。


「いや。オレは誰とも契約してねぇよ。力を貸りてるだけだ」

「そうなの?」


 途端に不安そうな目をする。ルーノも同じだと、悪魔と契約したからこそ、そばに置いているとでも思っていたのか。仲間がいると思って、軽はずみに禁忌であるはずの悪魔との契約などしたのか。

 チェスの浅はかさにルーノは言いようもなく胸がむかついた。それを吐き出すようにぶつける。


「お前な、軽率だろ。もうちょっと考えろよ。オレは今さらなくすもんもねぇし、一応やることもあるからな、悪魔の力も借りるが、お前はただの民間人なんだから、その線は越えねぇ方がよかったんじゃねぇの?」


 黙って聞いていたチェスは、右手の拳をグッと握り締めた。そうして、うつむきがちに零す。


「私だってやることがあるよ。戦わなきゃ。強くなりたいの。そのためならどんな力だってほしい」

「は?」

「祖国を取り戻さなきゃ。殿下を、正当な王を、王座に……。それが父の娘として、私がやるべきことだと思うの」


 勝手な責任感を抱いて、軽はずみなことをする。若さ故のことだと言えばそうだが、危うい。そして、愚かだ。


「バカが」


 ルーノが思わずそう吐き捨てたのは、もっと自分を大事にしろと言いたかっただけかもしれない。それが上手く言えない。

 それと、担ぐ王太子が偽者と気づかないままであることも含めて愚かではある。

 ルーノがため息をつくと、背後から声がかかった。


「……いつまでもここにいても仕方がない。一度戻るぞ」


 フルーエティの声に振り向くと、そこにいたのは、人の装いを解いた悪魔である。銀の髪が夜によく映える。チェスは驚きつつもそれどころではなかっただろう。自由奔放に遊び歩いていたマルティが戻ってきたのだ。

 その途端に目を丸くする。


「お? あれ? おい、ピュルサー、契約したのか?」

「そう」


 短く答えたピュルサーとチェスのそばに、マルティは驚くべき速度で近づいた。ほとんど残像にしか見えないほど速い。


「ずるい!」

「うるさい」


 子供の喧嘩のようなやり取りにチェスが呆然としていると、マルティは改めてチェスに向き直る。そうして、道化じみた仕草で礼をした。


「フルーエティ様の配下、三将が一、マルティと申します。以後、お見知りおきを」

「フ、フランチェスカ・ウルタード、です。よろしくお願い、します……」


 怯えながらも丁寧に返したチェスをマルティはじっと見つめ、そうしていつもの陽気な笑顔を消した。ハハ、と乾いた笑いを零す。


「なんだろな、これ。見てよ、手が震える」


 マルティの青白い指先が小刻みに揺れた。

 フルーエティは嘆息すると、会話を遮るようにして空間を歪めた。魔界へ続く門、魔法円が出現する。


「戻るって、魔界かっ?」


 思わずルーノが訊ねても、フルーエティは当然だとばかりの顔をした。ルーノはとっさにチェスの方を振り返ったけれど、その隣にはしっかりとピュルサーが控えている。最早、チェスは部外者ではない。連れていくつもりなのだろう。ルーノにもため息が零れる。

 そうして、チェスを連れて魔界へ赴くのだった。




 いつもの反り立った崖の上。チェスは呆然と魔界の光景に目を見張っていた。一瞬にして移動したその場所は、先ほどまでいた地上とはまるで違うのだ。


「いちいち驚いてたら身が持たねぇぞ」


 崖の上にへたり込んだチェスにルーノはつぶやく。


「こ、ここ、が、魔界?」

「そう。俺たちの故郷だ」


 ピュルサーがチェスに視線を合わせて言った。不安げな様子はそれでも拭えない。


「すぐに帰れる? 私、殿下のお力にならなくちゃいけないから……」


 その言葉に、フルーエティは淡々とした声で告げた。


「こうなった以上、お前には真実を告げよう。――あのルシアノは王太子の名を騙る偽者だ」


 え、とチェスの口から声が漏れた。


「にせ、もの?」


 目まぐるしく、自分と周囲とが変化していく。その流れにチェス自身はまるでついていけていない。奔流に溺れかけているように見えた。

 フルーエティはそんなチェスの心を読んだのか、冷えた声で告げる。


「信じぬか。あの男の本来の名は、ラウル。ソラールに祖国を占拠され、ティエラ王家が絶えることを危惧したエリサルデが立てた偽者だ」

「そんな……」


 両手で口を押え、チェスは精一杯頭を整理しようとするのか、うつむいた。その揺れる細い肩をピュルサーとマルティが気づかわしげに見ている。


「じゃあ、本物の殿下は……もうご存命ではないの? だから、エリサルデ様は……」


 チェスが零す言葉は、魔界の風の音に消されそうに儚い。


「エリサルデは王太子が死んだものと思い込んで偽者を立てた。ただし、王太子は生きていた。他国の闘技場に放り込まれ、そこで生き永らえていたのだ」


 闘技場、というひと言にチェスはハッとして顔を上げた。そうして、青い瞳をルーノに向ける。

 ルーノは逆に顔をしかめた。それをフルーエティは嘲笑うようであった。


「長い闘技場暮らしですっかり品格などなくなったがな、この男がルシアノだ」

「うるせぇな」


 いちいち腹の立つ言い方をする悪魔だ。ルーノが苛立っても、チェスはルーノから視線を逸らさなかった。ただ茫然と、焦点の合わない目で見つめてくる。


「ルーノが……ルシアノ殿下……?」


 信じたくもないのだろう。現実を受け入れがたい様子だった。

 ルーノはガリガリと頭をかくと、その場に膝を突いた。


「悪かったな、それっぽくなくて。でもな、これでお前にウルタードの最期を語れる」

「え?」

「お前の父親はオレたち姉弟を護って落ち延びた。その先で賊に襲われて果てたが、最期まで勇敢で誠実だった。そのことに感謝している」


 チェスの目から、ポロポロと涙が零れる。その涙が魔界には似つかわしくないほどに清らかなものに思われて、ルーノはなんとも言えない心持ちがした。

 

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