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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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3/80

*2

 ルーノはハッとしてフルーエティを見上げた。その先にあった紫の瞳は、ルーノを見透かすようであった。フルーエティの薄い唇が僅かに開き、クスリと笑った。


「ルシアノ・ルシアンテス」


 ドッ、と胸元を殴られたほどの衝撃を受けた。あまりのことに涙も止まった。


「俺は贄など求めておらん。くだらぬことで俺をび出した咎は重い。術者は死んだが、この代償をいかにしてくれようか――」


 ただただ瞠目するばかりのルーノに、フルーエティは何故だかほんの少し楽しげに言った。


「ほぅ。ヒトの生涯を思えば、なかなかに長い歳月をこの掃き溜めで過ごしたようだな。本来ならばヒトにかしずかれていたはずのお前がな」

「な、何を――」


 何を言い出すのか。それは最早、誰も知るはずがないことだ。

 しかしそれならば、その名を、どうしてこの悪魔が呼ぶのか。


「誰も知らないと? お前自身が知っているではないか。それならば俺に隠し立てできることではない」


 悪魔はすべてを見通すとでも言うのか。

 この部屋が、日常と離されて感じられた。部屋の外のことなど、最早ルーノには何の意味もなかった。ここにあるふたつの骸と、対峙する悪魔、それだけがルーノの現実であった。


「……過去はもう関係ない。オレが死のうと生きようと、何ひとつ変わらねぇよ」


 涙を肩で拭って吐き捨てると、フルーエティは目を細めた。


「つまらんことを言う」


 死を覚悟したせいか、不思議とこの悪魔に対する恐怖は薄れていた。

 ルーノは眉を顰めた。それでも、フルーエティは言った。


「お前はこの大陸における戦の新たな火種となれる。取り戻したくはないのか、祖国を」


 祖国――。

 平穏に過ごせていたのはほんの幼い頃までだ。厳格な父と、美しい母と、姉、妹、弟。

 皆、死んだ。惨たらしく。


「今さら取り戻して何になる?」


 それはルーノの本心であった。故郷を取り戻したところで、そこに見知った誰かがいるわけではない。歳月は過ぎ、気概も衰えた。民草の一人一人にまで愛着を持つ前にルーノは堕ちたのだ。


 祖国、ティエラ王国。

 戦に呑み込まれた小さな国。ルーノが継ぎ、統べるべきであった故郷。

 美しい場所ではあった。もう、記憶もおぼろげだ。


 ルーノの言葉に、フルーエティは鼻白んだ。


「お前の肉親たちはお前に望みを託し、お前を逃がした。お前だけが唯一の――」

「黙れ!」


 ルーノが蓋をした過去を、この悪魔は容易くさらしてしまう。心臓が今にも血を噴き出しそうなほど痛んだ。この痛みの原因など知らない。


「子供一人生き延びたからって国が取り戻せるわけがねぇだろ!」


 あれは、ルーノがまだ十になるかならぬかという頃。

 忘れたい記憶が、否応なしに蘇る――。




 父王が王太子であったルーノを呼び、戦になると告げた。


「ルシアノ、勝ち目の薄い戦いになる。余は死ぬやもしれぬが、それでもそなたは落ち延びよ。そうして、ティエラ王族の誇りを胸に、いつの日にか祖国を再建せよ」


 この時、父は四十を少し超えた頃であった。小麦色の肌に金色の髪をした、獅子を思わせる王。剣を取っても並の兵士などよりはよほど強く、その威厳に満ちた姿は不可侵の象徴に思えた。

 その父が勝てぬと言う。ティエラ王国の砦を破竹の勢いで落とし、王宮目がけて進軍してきたソラール王国の兵たちを止める手立てが何もなかったのだ。


 攻め入られた理由わけは、今さらとでも言うべきか。

 以前から危うくはあったのだ。このオディウム大陸は、北と南とで信仰の対象が違う。北のソラール王国は太陽神をソラナスとする。ティエラ王国を始めとする南の諸国は、太陽神はソラナスではなく、その子、シエルラとする。ソラナスは一度沈み、新たに昇った太陽はシエルラだと。


 その思想のずれは、かつてから幾度となく歩み寄りを求めながらも折り合いがつかなかった。特に宗教色の強いソラール王国は、南の諸国をまつろわぬ異教徒の国と蔑んだ。溝は埋まらぬまま、ソラール王国の新王即位から六年――頃合いであったのだろう。


 しかし、幼いルーノにとって戦など、歴史として習ったそれだけのことであった。だから、なんの実感も湧かなかった。


「畏まりました。必ずや」


 父を失望させぬためにその時は、たどたどしい声でもっともらしいことを言った。

 けれど、幼子の言うことだ。身を伴うはずもない。父もそれは承知していただろう。

 ただ、ルーノが成長した時にこの言葉を思い出してほしいと願ったのだろう。



「母上は共に来てくださらないのですか?」


 甘えた声でルーノは母のガウンにすがった。


「陛下と民を捨て、わたくしが逃げることなどできましょうか。まだ幼いあなたには酷なことですが、王太子である以上、どうか皆の希望となってほしいのです」


 母は女神のように美しく、凛とした笑顔でそう言った。就寝前、癖のない栗毛は結わずに肩から滑る。ルーノは母の艶やかな髪に触れるのが好きだった。

 瑪瑙を象嵌したような瞳は、ルーノと同じだ。

 鏡写しのこの瞳を、こうして間近で見ることはもうない。それを認めたくなかった――。


 ルーノには姉と、妹と弟がいる。一番下の弟は産まれて間もない。その赤子のみ母は手元に残すという。弟は逃げたところで生きられない。両親と運命を共にするよりなかった。なんのために生まれたのかと問いたくなるけれど、誰に問えばいいのかもわからない。



「ルシアノ、あなたはお父様によく似ているわ。あなたならきっと、立派な王になれるはずよ」


 四つ年上の姉、ロベルティナは、いつもそう言ってくれた。母譲りの美しい姉である。

 しかし、その美貌もこの時ばかりは目立つだけで、あえて薄汚く汚し、浮浪者じみたローブを被せられた。ルーノと妹のエミリアナも、闇に紛れて逃げた城下町の一角で農民の服に着替えさせられた。


 エミリアナは四歳、聞き分けがいいとは言えない年齢であった。それでも、母と離れた不安と恐ろしさを小さな胸にしまい込んで懸命に耐えていた。ルーノなりに姉と妹のことも護らねばと考えていた。


 この時、ルーノは幼年にしてすでに天賦の才と褒めそやされるほどには剣術が達者であった。そのつもりでいた。剣を振るう姿は父によく似ていると言われるのが何より好きだった。

 しかし、そんなものは平穏であるからこそのぬるい馴れ合いであった。


 なるべく、昼間は鳴りを潜め、夜間に動いた。供はウルタードという騎士を筆頭に、年若い兵たちだ。老年の家臣たちは父と命運を共にすることを選び、ウルタード他数名が涙を呑んでルーノたちの護衛の任に就いた。それから、乳母が一人。幼い姫たちのためにだ。


 落ち延びる先は、大国と渡り合えるようなところではない。それをルーノは知っていた。ウルタードたちはルーノがそれに気づいていることを知らなかっただけの話だ。

 このオディウム大陸の中、ティエラ王国は大陸の国土の十分の一にも当たらない小さな国なのだ。それも滅ぶ国の王族を匿って何の得になるのか。それをルーノなりにわかっていた。


 大陸を出るという選択はないに等しい。妹が船旅の耐えられるはずもなかった。庇護してくれるあてはないのだ。だから、僻地へと向けて旅立った。目立つことを避け、当座は細々と身を隠して生きていくしかないと。

 そこからどう力をつけるかが問題ではあるけれど、生きてさえいれば希望はある。


「けれど、王族が揃って逃げたのだから、追手が来るだろう?」


 ウルタードにそう問うた。そうしたら、ウルタードは困った顔をした。黒髪で凛々しい顔立ちの彼がすると、その表情は情けなく見える。すると、姉が急にルーノの腕を引いて耳打ちした。


「そういうことを訊ねるのはおよしなさいね」


 この時は意味がわからなかった。けれど、長じてから察するに、身代わりとなる子供が用意されていたのではないだろうか。


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