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それからルーノはエリサルデのいる部屋に入った。ただ、いつラウルが戻るか知れないので、会話は細々とした声になる。
「……オレの偽者な。まあ民衆が好きそうな風体ではある」
窓際のエリサルデの横に立ち、クッと小さく笑うと、エリサルデは片手でカーテンの裾を握り締めた。
「申し訳ございません……。して、殿下はラウルを如何様になさるおつもりですか?」
ルーノがラウルをどうにかしてしまうとしたら、それは担ぎ上げたエリサルデのせいとも言える。その責任を感じているのだろう。ぎりぎりのところで助命を嘆願するか、もしくは自分の命を代わりに差し出すなどといった安っぽいことを言い出しそうだ。
ルーノはスッと目を細めた。
「どうするかは今後決める。ラウルはどこで拾った? 素性は?」
「町で働いていたところ、目に留まりました。ごく普通の庶民ですが、以前は父が手広く商売をしており、貴族ほどによい暮らしはしていたそうです。それが父の急死で商売も成り立たず、暮らしは一転して貧しくなったとのことで。ですから、行儀作法も庶民にしてはある程度は身についておりました」
もともとよい暮らしをしていて落ちぶれたのなら、それなりの野心は持っているだろう。エリサルデの申し出に飛びつくわけだとルーノも納得した。
それから、ルーノはついでに訊ねた。
「あのララって女は?」
それを耳にした途端、エリサルデは少し動揺したように見えた。
「彼女が何か? あの、興味をお持ちで……?」
「興味? 顔と体にってか? そこじゃねぇ、素性だ」
すると、エリサルデはほっとしたように見えた。
「ラウルに名乗りを上げさせた後、活動を支えたいと集まってきた中の一人です。まあ、あの容姿ですから目立ちますが、その影響で参入者は増えたというのも事実です」
「おい、んなアホ共ばっかり集めてんじゃねぇよ。しかしあの女もなかなかに高望みだな」
「……ラウルに秋波を送っておりますが、まあ過度に応えないようにと釘は差してあります」
ラウルを本物のルシアノに仕立てるつもりであったのだから、ララと関係を持たれては後々面倒だと思ったのだろう。その言葉にラウルがどこまで従順であったかは知らないけれど。
そこでエリサルデはひとつ嘆息した。
「殿下がラウルを排し、素性を明らかにされた時、ララが殿下にすり寄ることもあるかと思われますが、どうかお気をつけくださいますよう……」
「どんな美女でも腹に魔物を飼ってるような女は要らねぇよ」
厄介だが、今さら放逐したのでは何を吹聴して回るかわからないといったところだ。
「しっかし、あの女のやっかみがチェスに向くとな、さすがに気の毒だろ」
「それは――」
エリサルデが何かを言いかけた時、そのチェスがピュルサーを後ろに引き連れて部屋に来たのだった。ハッとして会話をやめた二人に、チェスは少し驚いた顔をして佇む。
「あれ? ルーノ? 殿下かと思った」
背格好は似ているかもしれない。似ているから選んだのだ。
チェスの手には白い包帯が巻かれている。そこにルーノが目を留めると、チェスは苦笑した。
「ちょっとグラスを割っちゃって。大したことないの」
しかし、後ろにいるピュルサーが、顔はフードで見えないものの、獰猛な獣じみた雰囲気をまとっている。チェスが怪我をした――させられたことが気に入らないのだろう。実際のところ、ピュルサーがついていた方が安心かもしれない。
ただ、チェスにしてみれば、ほとんど口を利こうともしないピュルサーがついてくるのだから不気味ではあるだろう。少しばかり困惑しているようにも見える。
「チェスカ、ここにいる時くらいはゆっくりしていなさい。これからいくらでも忙しくなるのだから」
と、エリサルデはチェスに優しい言葉をかける。心配しているのも事実なのだろう。
「ありがとうございます、エリサルデ様。……そうですね、少し休ませて頂きますね」
それから、チェスはきょろきょろと周りを見た。
「あれ? ビクトルさんは?」
「ん? まだ食堂の方じゃねぇの?」
腹立たしくて放ってきたから知らないが。
すると、チェスは軽く首をかしげた。
「ルーノと離れているのが珍しいなって」
「珍しくねぇよ。んなベッタリしてねぇし」
「そうかなぁ」
と言って笑った。ルーノが嫌な顔をするのを楽しんでいるかのような無邪気さだったが、そのビクトルが悪魔だと知ったらどうだろうか。
そんな話をしていると、当のフルーエティがやってきた。それも、何故かラウルを伴って。
ラウルはニコニコと上機嫌であった。
「ビクトル――彼はとても博識だね。彼と話していると考えがまとまるよ。エリサルデ、次の作戦は彼の提案を交えて行こうと思う。詳しくはまた話すが」
また何かを企んでいる。ルーノはフルーエティの涼しげな姿を眺めつつ顔をしかめた。だが、フルーエティはルーノの方を向かない。
その時、ラウルがルーノに目を向けた。ルーノはとっさに鋭く睨み返してしまいそうになったが、それをラウルに向けきる前に、なんとか無表情といえるところまで顔の筋肉を動かした。
「えっと、ルーノだったね。君にもまた活躍してもらいたい。今日のところはこれといってすることもないけれど、そうだね、せっかくだから町を散策してきたらどうだろう?」
ルーノがコルドバに来たのは、実はこれが初めてであった。自国とはいえ、ルーノが訪れたことがない場所もそれなりにある。こんな形で町を歩くことになるとは、王太子として育った幼少期には思いもしなかったけれど。
「そうですね。そうさせて頂きましょうか」
ここにいて、ラウルが目の端に入れば苛立つのはわかっている。それもいいかと思って応えた。エリサルデはそんなルーノの反応をいちいち気にしている。
その時、フルーエティが口を開いた。
「レオ、お前も行け」
嫌だと、多分フードの下になった顔には書いてある。それでも、主君の命には逆らえないようだ。渋々答える。
「はい……」
チェスはそんなルーノとピュルサーとを笑顔で送り出した。
「……お前な、チェスが気になるっつってもつきまとい過ぎだろ」
外へ出てからルーノは思わずピュルサーに突っ込んだ。しかし、ピュルサーはルーノに敬意など払ってくれることもなく、不機嫌な声で言うだけだった。
「仕方がないだろう。気になるのだから」
「正体がバレたらどうすんだよ」
日が暮れるにはまだ早い町の中、並んで歩くルーノに、ピュルサーは悪魔とは思えないほどきょとんとした顔を向けた。
「どうとは?」
「いや、だから、悪魔だってバレたら普通の人間は大抵怖がる。嫌なモノを見る目つきになるだろうよ」
すっかり堕ちてしまったルーノでさえ、フルーエティの手を取るには抵抗があったくらいなのだ。あんな特殊な状況下でなければ、手は取らなかった。女の子であるチェスなら余計に恐ろしいだろう。
ピュルサーは、少し考え込んでしまった。しかし、ルーノの言い分を受け入れなかった。
「そんなことはない……という気がする」
それは願望だろうに、とルーノは呆れてしまった。
せっかく町を歩いているというのに、辺りなどほとんど見ておらず、ただ歩いているに過ぎない。ここはソラールの統治下となっても、それほど色濃くソラールに染まっているとは言い難い。今後のことはわからないが、今は比較的に落ち着いた町だと思えた。
焼けたパンの匂いや子供の声が平和にすら感じられる。ただ、古びたレンガ色の石畳の道を歩く二人を誰かがつけてくる気配があった。ルーノはハッとしたけれど、ピュルサーは落ち着いたものだった。
「そこの角を曲がるぞ」
薄暗い路地裏へ。
ルーノは深々と嘆息した。




