*27
ラウルはチラリとルーノたちに目を向けた。それから、エリサルデに言う。
「今回のことも含めて、今後の話をしたい。悪いが、エリサルデ以外は席を外してくれないか」
その言動のひとつひとつにエリサルデが過剰に反応する。そんな武人らしい正直すぎる気質を持つエリサルデが、よく偽者を担ぐなどという大それたことをしようとしたものだ。
いつ誰に見破られても不思議はない。むしろ、ラウルの方が役者が上だ。
「承知しました。では食堂にて待たせて頂きましょう」
と、フルーエティが答えた。ルーノにしても食事が取れるので異存はない。
エリサルデは最早、本物の王太子であるルーノに逆らうことはしないだろう。だから目を放したところで困りはしない。第一、フルーエティがその心中までも探り当てるのだから、謀略など立てようもない。
ララは面白くなさそうに見えたが、ひとつため息をついてから言った。
「チェスカ、仕事を手伝ってくれるかしら?」
「え? うん、わかったよ」
ピュルサーは部屋を出ていくチェスを追わなかった。フルーエティがそこにいる以上、つき従うべきはこちらであり、追う理由がない。
ルーノは去り際にエリサルデに視線を投げ、そうしてから部屋を出た。食堂の一角に陣取ると、頼みもしない料理が運ばれてきた。
「話は聞いたからね。さあ、食べて食べて」
と、ウェイトレスが元気に言う。
羊や牛の肉の煮込み料理をルーノは口いっぱいに頬張った。柔らかく、味つけも濃くて美味かった。洗練された料理とは言えないが、それがいいと思える。驚いたのは、ピュルサーも一緒になって煮込み料理を食べていたこと。いや、驚くこともないのか。何せ獅子なのだから。
ただ、ルーノが食べている間にフルーエティが頭の中に語りかけてくる。
『無事、偽者との対面を果たしたが……。さて、どうしたものか』
食事の不味くなるひと言である。
「うるさい。メシが不味くなる」
傍目には、無言の相手に言いがかりをつけているようにしか見えないことだろう。
無言で指先ひとつ動かさないままのフルーエティに、ルーノは思いきり顔をしかめてやった。しかし、フルーエティはお構いなしに語りかける。
『お前にその気があるのなら、家臣にしてみてはどうだ?』
またおかしなことを言い出した。ルーノはスプーンを握っていた手を止めた。
「なんだよ、会ってみたら案外使えそうだとか言うのか?」
無能そうではない。王太子に成りすますのだから、それなりに度胸もある。しかし、いかにルーノが本物であるとはいえ、その事実が発覚した後にラウルが大人しく従うだろうか。
『お前が名乗りを上げた後、ラウルが処罰されるのを救ってやればいい。恩義を感じてお前の手足となるかもしれん』
「仮定の話だろ。逆に寝首をかかれる可能性だってある。別に要らねぇよ」
フルーエティは声に出して話さない。誰に聞かれるとも知れないからだろう。けれど、そのせいでピュルサーが会話の置き去りになっていた。それがなくともチェスのことが気になって仕方がないのだろうけれど。
そのチェスが奥から顔を覗かせた。グラスをトレイに載せて運ぼうとしている。あれもララの手伝いのうちだろう。ピュルサーは手を止め、その様子を見守っていた。その間もルーノは食事を続ける。
その時、フルーエティがぽつりと言った。
「ピュルサー、あれは違う。あまりこだわりすぎるな」
すると、ピュルサーはまるで叱られた子猫のように縮んで見えた。
「違うとはなんなのでしょう? フルーエティ様はこの苦しさの理由をご存じなのですか?」
フルーエティは嘆息し、そして黒い目をスッと細めた。
「ああ、知っている。お前が気にすることではない」
突き放すような物言いをする。それはピュルサーのために思い出させないのか、フルーエティ自身が語りたくないことなのか、部外者のルーノには測れない。
フルーエティがそう言うのなら、配下のピュルサーが口答えできるわけもない。しょんぼりと下を向いていた。悪魔の将もこうなると形無しだ。
しかし、その時、ピュルサーはハッと顔を上げた。フルーエティも僅かに顔をしかめる。
「どうした?」
只人のルーノは置き去りのまま訊ねるしかなかった。けれど、ルーノがその答えを得る前にピュルサーは席を立って奥の扉に向けて駆け出した。
切羽詰まった慌てぶりにルーノはただ驚いてスプーンを落としそうになった。フルーエティは、呆れているのとも少し違う、なんとも複雑な表情でつぶやく。
「フランチェスカの血の臭いだ。まあ、指を切った程度だろう」
「それだけかよ……」
ルーノは脱力して頬杖を突いた。そのまま半眼でフルーエティを見遣る。
しかし、フルーエティがピュルサーの過剰反応の理由を説明してくれるでもない。
「オレもそろそろ奥を見てくる」
ラウルとエリサルデがどういう話をしたのか、エリサルデから聞きたい。
最後のひと口を頬張ると、ルーノは立ち上がった。行儀が悪かろうと、誰も咎めない。今さらだが、今後は作法も覚え直さなくてはならないのかもしれない。
奥の扉へ出入りすることを止められはしなかった。もうレジスタンスの一員であるという認識はされているのだろう。
通路を進むと、ララに会った。ただし、その顔は不機嫌そのものである。それでも、通路にルーノがいたことに気づいたララは表情を改めた。ふわりと匂い立つような笑みを浮かべる。
「あら、ルーノさんでしたわね。ここのお食事はお口に合いまして?」
気取った物言いをする。それでも美女であるから様にはなった。
男が自分をどう見るのかを熟知している。視線から感じる賛美でさらに磨かれるのだろう。
「ああ、美味かった」
闘技場の食事に比べればなんでも美味く感じられる。それでも、ララはクスクスと笑った。
「それはよかったですわ。あなた方はとても頼りになりそうですし、これからよろしくお願い致しますわね」
その声には媚びを含んでいる。ラウルという存在があっても、多数の男を虜としたいのだろうか。ただし、それでは高貴な男の妻には選ばれない。少なくとも貞淑さを装うべきではないのか。
ふと湧いた疑問に、予測もしなかった方向から答えがあった。
ララの後ろからラウルがやってきた。ララはハッとして振り返る。ルーノと二人で話し込んでいることを疚しく感じたための素振りかと思ったけれど、それは違ったようだ。
ラウルは穏やかに言った。
「チェスカなら少し手を切っただけで、大した怪我ではないから大丈夫だと言っていたよ。むしろ、ララが気にしないといいと心配していた」
その時、ララの顔に浮かんだ笑みがどれだけ必死に作ったものであったか、ラウルにはどうでもいいことだったのだろうか。そばにいたルーノの方がその横顔に苛立ちを強く感じた。
「え、ええ、傷など残っては大変ですから、よかったですわ」
チェスが手を切った際、このララが何か関わったようだ。そして、ラウルがチェスのところへ駆け寄り、心配した。それがララは腹立たしかったと、そういうことだろう。
だからか、ララが通りかかったルーノに思わせぶりな態度を取ったのは。
若く、これから美しく育ちそうなチェスをラウルが気に入っているのが許せないのだ。自分の方が女として上だと、それを確かめるようにしてルーノにも笑みを振り撒いた。ルーノこそが本物のルシアノだとも知らずに。
滑稽な役者たちの一幕に、ルーノは呆れて声を立てて笑いそうであった。どこか残忍な気持ちになって笑いを堪えながら、独り言のようにして言った。
「レオが心配して飛んでいっただろ? ま、チェスはどういう経緯で怪我をしようと人のせいにはしねぇだろうしな。あれはいい女になるぞ、きっと」
その途端、ラウルとララの表情が強張った。そんな二人を通り過ぎ、ルーノは奥へ進んだ。
フルーエティが聞いたらなんと言うか。
長い闘技場暮らしのせいで他人に気を許さず、相手の心理を読み取ろうとするくせは中途半端にある。それでも、ルーノはフルーエティのように正確に人の心など読めぬから、些細なことから罅が広がることを知らなかった。




