*26
この巡り合わせに意味はあったのか。
その答えはまだ得られない。ただ、ルーノは少しだけ愉快な気分にもなった。だから薄く笑った。
「お初にお目にかかります、ルシアノ殿下。オレはルーノという剣闘士上がりです。それ故に粗野なところもありますが、まあ育ちが悪いと思ってご容赦ください」
ルーノの言葉をエリサルデがどんな心境で聞いていたかと思うと可笑しくなる。顔色が冴えないのは当然か。
何も知らないラウルはルーノの言葉を真に受けた。
「ああ、そんなことは構わないよ。剣闘士とは、それなら腕が立つのだろう。君のような人が仲間に加わってくれるのならば心強い」
柔らかな言葉はもっともらしい。高貴な王太子から優しい言葉をかけられれば、庶民は感激してこの王子についていこうとするだろう。エリサルデがラウルにそう振る舞うように言い含めたのかもしれない。
そんなラウルをララはうっとりと見つめていた。恋人同士か、一方的な恋慕か。
王太子と恋仲になり、王妃として何不自由のない暮らしをと夢見るのだろうか。美しいだけの女に王妃という大役が務まると思っている程度には世間知らずのようだ。
少なくとも、ルーノの母は美貌だけでなく教養も持ち合わせ、時には敵の戦術を看破することすらあった。父の信頼は絶大で、逆に言うならそれほどの存在でなければ容色が衰えればそれまでだということだ。
それも、王太子が偽者とは知らない。ララの浅はかさが可愛げではあるのかもしれない。
ラウルはルーノたちが低頭しなかったことなど気にも留めず、エリサルデを見遣る。
「レジスタンスの皆はどうだった? 今回の作戦は過激なものになったということだが、そこまでのことを命じた覚えはない」
「は……。それが、ソラール兵が村まで攻めてきまして、数名の死傷者を出してしまいました。ホセも倒され、このルーノが私を助けてくれたのです」
そういうことにするらしい。エリサルデの恩人だとすれば、組織内での地位も信用もある程度は与えられる。ホセというのは、エリサルデが連れていた貧相な男だろう。
ラウルは一度眉をひそめ、目を閉じた。悲哀に満ちた表情は、そのホセとやらを始めとする数名の死を悼んでいるということを演じているのか。しかし、ラウルはハッとしてまぶたを開いた。
「そうだ! チェスカは無事なのかい?」
何もかもの動きが芝居じみて見える。それまでは偽者だとしても道化を見るような気分で眺めていたルーノだったが、チェスの名が出た時にふと気に入らないと感じた。
それを知ってか知らずか、絶妙のタイミングでチェスはやってきた。コンコン、とノックをする。
「フランチェスカです、殿下」
「ああ、無事だったようだね!」
ラウルが自ら扉を開きに向かった。その動きは王族には見えない。とっさに素が出ている。
けれど、目が曇っているララには見抜けないらしい。ルーノもフルーエティもエリサルデも事実を知っているから、たいした問題はなかった。
「チェスカ、無事でよかった……」
ほっとしたラウルの背中が見える。あれはもしかすると本心だろうか。ララが面白くなさそうに顔を強張らせる。そして、チェスのそばにいるピュルサーはフードに隠れて顔も見えないけれど、いい気はしていないのではないだろうか。
「私は大丈夫ですけど、怪我人も多くて……。殿下があちらにいらっしゃらなくて本当によかったです」
と、胸元を押さえてささやいたチェスの声が、ルーノの心をざわつかせる。その心配は、『ルシアノ』に向けたものなのか、ラウルに向けたものなのか――。
それを受け取ったラウルは嬉しそうに見えた。
「ありがとう、チェスカ。けれど、犠牲になった人々もいることだから、彼らの命を無駄にしてはいけないね。私はどんなことをしても王座を奪還する。どんなことがあってもだ」
力強く言いきる。その太々しさにルーノの血がほんのりと熱を持ったような気がした。どういうわけだか、指先が痺れる。
王座に座ればそれに相応しい王になれるわけではない。王座の方が人を選ぶのだと父が言った。だからお前は選ばれるに足る存在になれと。
このラウルはどうだ。あの父ほどに優れた才を持つか。ラウルという名を完全に捨て、ルシアノとしてその生涯を生きる覚悟があるのか。地位に目が眩んでいるだけではないのか。
今のルーノも王に相応しいわけではない。ルーノもまた、父に比べれば愚物に過ぎないのだ。ティエラ王国にとって、明るい未来は誰に託されるべきなのか、そんなことはわからない。
けれども、フルーエティはルーノをあるべき場所へ戻すと言った。
ルーノが国を導くことが正しいと考えるのだろうか。
――悪魔が人々の安寧など望むわけもない。ルーノが王座に就くことでさらなる動乱が起こると、だからこそフルーエティはルーノを王にと言うだけだろう。
そのフルーエティの願望通り、この大陸全土に戦を巻き起こしてみるか。そのために罪のない子供や弱い人々の命が散ろうとも。その命のひとつずつにルーノはなんの愛着もないのだから。
魔界に魂が落ちるようにして、ルーノの思考が暗い方へと傾いた時、どこかの悪魔のように心を読むわけでもないくせにその降下を止めたのは、祈るようなチェスの声だった。
「私は誰もが無暗に命を奪われることのない国が作れるのなら、どんな苦労も厭いません。最後までお供致します」
亡骸すら弔えずに父親を喪ったチェス。
ルーノも目の前で姉や妹を殺されたのだ。ゆっくりと悲しむ間もなかったけれど、少しも悲しくなかったわけではない。あの時の肉親に対する情や、レジェスに感じたものを思い起こすなら、フルーエティが望むような戦火は起こしてはならないのかもしれない。
ルーノは無言で指にはめたレジェスの指輪を反対の手で撫でた。優しかった姉たちやレジェスなら、争いなど起こすなと言っただろう。
その時、頭の中にフルーエティの声が響いた。
『俺はお前をあるべき場所へ戻してやると言った。そのためにソラールと戦をすることになるのは避けられないことだ。ただ、その後まで戦を続けろとまでは言わん。そこまでで十分だ』
また勝手に思考を読んだ上、頭の中にまで語りかけてくる。動揺を顔に出さないように、ルーノは顔をしかめた。その表情にエリサルデが冷や汗をかいているのがわかる。
王座を奪還するにあたり、戦は避けようがない。その戦こそがフルーエティの目的であるのか。
だとするなら、王座を奪還した後にはフルーエティはルーノに手を貸すことをしないつもりなのだろう。
それならば、王座に就いた時にルーノは誰を頼ればいいのだろう。
誰もいない。頼れる者など誰も。
『そう思うのならば信頼を築け。今のお前に必要なのはよりどころとなる人間だ』
闘技場でレジェスがそうであったように、誰かを護る、誰かに認められようとする、なんらかの関りを持てとフルーエティは言うのか。
知るか、とルーノは笑い合うラウルとチェスを眺めながら思った。




