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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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26/80

*25

 エリサルデがこの村へ来る時、つき従ってきた男は死んだ。その男が何かと、不自由なエリサルデの世話をしてくれていたらしい。

 エリサルデはコルドバまで馬車を使うというので、ルーノとチェスがそれに同乗し、フルーエティが馭者となった。ピュルサーは、馬車の後ろを馬に乗ってついてきている。


 馬車の中、会話が弾むわけもなかった。特にエリサルデは目を閉じ、置物のようにして座っていた。顔色が優れないのは、ルーノが狭い車内にいるための緊張だろうか。

 チェスはこの重たい空気をなんとかしたいと思ったのかもしれない。


「ねえ、ルーノは私たちと会う前は何をしていたの?」


 その質問に、エリサルデのまぶたが痙攣したように動いた。それをルーノは鼻で笑い、気だるさを隠さずに答えた。


「闘技場の闘士だった。まあ、逃げ出してきたんだがな」


 チェスは大きな青い目を瞬かせた。


「闘技場って……」

「この国にはねぇよ。まあ、もう終わったことだからな。どうだっていい」


 それ以上触れてほしくないとルーノが言っているように思えたのか、チェスは軽くうなずく。


「そう。だからルーノは強いんだね」

「まぁな」


 適当に答えた。

 すると、チェスはそんなルーノに笑いかける。その笑顔は不意打ちとも言えた。


「ビクトルさんたちとはその時からの付き合いなんだ? うん、仲間がいるとつらくても頑張れるよね」

「な、仲間?」


 思わず耳を疑う単語であった。それでも、チェスの顔に悪意はない。


「だって、友達なんでしょ?」

「友達ぃ?」


 あの悪魔が友達、と。

 何も知らぬとはいえ、あまりに現実離れした発想にルーノの方が目を回しそうだった。

 チェスの顔には、違うの? と書いてある。不思議そうに首を傾げる仕草は幼い。

 友達――そんなもの、フルーエティに限らず、いたこともない。レジェスとの繋がりは友情と呼ぶには対等でなかった。


「いつも一緒だし、仲いいんだなって思ってたの」

「……」


 毒気を抜かれる笑みが向けられる。ルーノはハハ、と軽く引きつった顔で笑って、あとは寝たふりを決め込んだ。不快感はないけれど、扱いに困る。

 レジェスとはまた違った性格ではあるけれど、ルーノはそうチェスのことが嫌いではない。ウルタードのことがなかったとしても、それは変わらなかったかもしれない。


 ただ、接し方がわからない。女というよりはただの子供だけれど、少なくとも闘技場にチェスのような無邪気さは見当たらなかったのだから。

 もし妹が生きていたらこうだっただろうか、と思うくらいだ。




 馬車がコルドバに入ったのは、正午を過ぎた頃であった。ルーノが馬車を降りると、馭者台の上のフルーエティは平然としていた。照りつく太陽が悪魔を害することはないのだろうか。

 ルーノが振り返ると、チェスがエリサルデを気遣いながら降りた。エリサルデが腕を失ったのもここ最近のことではなく、馬車を乗り降りする程度の動きに支障があるようでもなかった。


 フルーエティはエリサルデの指示通りの道に馬車を走らせた。ただし、指示などなくともフルーエティは勝手にここへ辿り着けただろうけれど。

 その馬車の後ろを、フードを被ったピュルサーがついてきた。

 馬車が到着したのは、とある食堂の前であった。レンガの壁に木の扉、その付近には鉢植えの花が置かれている。垂らされた看板には『星空亭』とある。


 ルーノが看板を見上げていると、ピュルサーが馬から下り、馬車の後ろに馬を繋いだ。そして、馭者台のフルーエティと少し話をして場所を入れ替わった。フルーエティはルーノの横に立つ。


「馬車を預けてくるように言った」

「へぇ」


 ピュルサーも悪魔なのだから、馬が逆らうこともないのだろう。あっさりと馬車を操っていた。

 ルーノがエリサルデをチラリと見遣ると、エリサルデは血色の悪い顔でつぶやく。


「こっちだ……」


 食堂の入り口をエリサルデは片手で押した。昼時の食堂であるから、中はそれなりに騒がしい。忙しく働く人々が、エリサルデを見た途端に僅かに表情を変えた。けれど、それが気のせいであったかと思うほど、次の瞬間には笑顔になる。


「いらっしゃい、お席はお好きなところへどうぞ!」


 長い髪をひとつに束ねた若い娘が、グラスの載ったトレイを手に、元気よく言った。


「そうさせてもらおう」


 エリサルデはそう答え、カウンターの横の扉に目を向けた。その時、チェスは後ろを振り返る。


「あの、私は外でレオのこと待ってから行きますね。一人じゃ中まで入れないから……」


 フルーエティとしては、中へ入れなくともよいと思っていただろう。ピュルサーが迷子になって心細い思いをするはずもないのだから。

 エリサルデはとにかくルーノの意向が気になるようで、無言のままルーノを見た。ルーノはチェスに向けてうなずいてみせる。


「ああ、そうしてやってくれ」


 チェスを少しくらい外に立たせていたからといって、危険があるとは思わない。すぐにピュルサーがそばに駆けつけ、護るだろう。それをフルーエティも感じたようだ。


「……では」


 賑やかな食堂。客は皆、料理のことだけしか興味がない。ルーノたちがどの席を選んだのか――席につかず、その奥の扉に消えたことさえも気に留めなかった。気に留めないよう、店員たちが気を配ったとも言える。

 扉の奥は細い通路であった。横は酒樽などを並べた倉庫のようだ。ほんのりと発酵した匂いがする。


 ――亡国の王太子を気取るのは、どんな男なのだろうか。

 ルーノは冷え冷えとした頭で考えた。

 この先にいる。そう思うと、ほんの少し心音が強まったような気がした。興味か、怒りか、その感情の正体は知らない。


 エリサルデはひとつの扉の前で立ち止まり、片手を扉の前に上げてから一度下した。叩くのを躊躇ったのだ。その背中にルーノは冷たく言い放つ。


「いきなり斬りつける気はない。どんなヤツだかまずは見極めてやる」


 逆らえるはずもなく、エリサルデはルーノに頭を下げた。震える拳で扉を叩く。


「殿下、エリサルデが戻りました。扉を開けてくださいませ」


 すると、中から物音がした。扉を慎重に開けたのは、偽のルシアノ、ラウルではなかった。それはひと目見ればわかった。

 それは女だった。二十歳前後だろうか。波打つ豪奢な金髪をゆるく束ね、薄い緑の瞳を持つ。シンプルな木綿のドレスから、その女の体の線がはっきりとわかる。ルーノが出会った中でも指折りの美女であった。


 ラウルが出てくるとばかり思っていたルーノは拍子抜けしてしまった。その表情を、女は自分に見惚れているように受け取ったのだろうか。にこりと妖艶に微笑む。


「おかえりなさいませ、エリサルデ様。そちらの方々は?」


 ルーノも生身の男であるから、美女の微笑みにまったく興味がないとは言わない。けれど、今はそれどころではないというのが実情であった。


「新入りだ。腕が立つので今後重用するつもりだ。ララ、殿下はどちらに?」

「奥にいらっしゃいますよ」


 ララと呼ばれた美女は扉を少し押し広げ、中にエリサルデとルーノ、フルーエティを招き入れた。フルーエティの容姿に、ララは一瞬気圧され、ルーノに向けるような微笑さえ浮かべなかったが、それも無理はない。

 ルーノは、背で閉まった扉の音を聞いた。部屋はそう広くもない。けれど、明るい光が窓から差し込み、茶色の板敷の上に落ちていた。その部屋の中、机の前の長椅子に悠然と腰かけていた青年がこちらに顔を向けた。


 ――これが偽者。

 ルシアノ・ルシアンテスの名を騙る者。


 ルーノの髪よりも赤味が少なく、艶やかな茶色の髪をしている。目鼻立ちが整い、品のある風貌と言えた。着ている服は絹であったが、それもエリサルデが与えたものだろう。

 荒んだルーノより、王侯貴族らしく見える。それなりに育ちがよいのかもしれない。武を尊んだ父王の子とするには軟弱ですらあるけれど、それでも涼しげな見目は民衆が好む優雅さを持つ。


 もし、ルーノがあのまま城で順調に育てていたなら、もしかするとこういうふうに育っていたのかもしれない。少なくともそう思わせる程度には似ていた。名を騙るだけあり、容姿にはそれなりの説得力はあった。


「エリサルデ、無事でよかった。レジスタンスの皆は……? それから、そこの二人は?」


 優しく柔らかな声音である。偽者、ラウルの鳶色の瞳がルーノに向けられた。

 ルーノはしばしその目を見て佇んでいた。

 

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