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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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24/80

*23

 ルーノは明け方、燃え残った宿の中で、膝を突いたままこうべを垂れたエリサルデに告げる。


「オレのことは、オレがいいと言うまで誰にも漏らすな。……そうだな、まずはお前が担いだ偽者と会わせてもらおうか」


 エリサルデはハッとして顔を上げた。老いた顔に表れているのは、困惑以外の何物でもない。

 しかし、今となってはルーノの言葉を断れるはずもない。


「はっ。御意のままに……」


 ルーノはエリサルデに背を向け、戸口に立つフルーエティのそばを通り抜けた。フルーエティは何も言わず、ただルーノの後に続いてきた。


 外へ出ると、もうそれほど暗いとは感じなかった。どんな惨劇の後も、太陽は変わらず空に上り、夜は明ける。それはルーノが肉親をすべて失い、闘技場の中で絶望に浸っていた時でさえ同じであった。誰かにとっての最愛の人間の死が今ここにあったとしても、朝は来る。


 ピュルサーは、地面に寝ころんだ怪我人らしき男を気遣うチェスのそばに突っ立っていた。フードで顔は見えないものの、見守る様子はどこか優しげにさえ感じる。

 ただ、フルーエティが戻ったこともあり、ピュルサーはチェスを気にしつつもフルーエティのそばに駆け寄った。そんなピュルサーに、フルーエティは特別なことは何も言わない。


「ようやく偽者に会える。楽しみだろう?」


 などとルーノに言って意地悪く笑う。何が楽しみなものかと、ルーノは言葉を返す代わりに顔をしかめてみせた。

 ルーノは朽ち果てる場であったはずの闘技場から出され、そうして故郷に戻った。本来あるべき場所へ導こうとするのは、この悪魔だ。


 しかし、それをしてフルーエティになんの得があるというのだ。

 何もない。ないはずが、手を差し伸べ、ルーノを導こうとする。

 そこでフルーエティは嘆息した。


「俺は私欲に塗れた人間が何より厭わしい。そうした者を滅ぼすだけで胸がすく、それだけの理由でお前に手を貸すに過ぎないとでも言えば満足か? そう難しく構えるな」

「……見返りは要らねぇってのか?」

「見返り、な。俺は俺が望むままに動く。それだけだ」


 暴れられればそれでいいと言うのなら、あのマルティとそう変わりない。似ているふうではないけれど、やはり主従だけあってどこか似ているのかもしれない。


「しかし――」


 そこで言葉を切ると、フルーエティはピュルサーに視線を向けた。


「ピュルサー、あまりあの者に肩入れし過ぎるな」


 ピュルサーがギクリとした。けれど、フルーエティは咎めているようには見えなかった。それはピュルサーを気遣ってのことであるようにも感じられる。悪魔が他者を気遣うなど、まさかとは思う。けれど、案外悪魔同士であればそうしたこともあるのだろうか。


「フルーエティ様……」


 しょんぼりと、ピュルサーはつぶやく。その様子は叱られた子供のようで、悪魔らしくはない。

 ピュルサーは、チェスを護りたいと思うのだろうか。それは、ルーノがレジェスに感じていた思いにも似たものであるのだろうか。


「なあ、チェスはオレを護って死んだウルタードの娘だ。オレもできることなら無事に生きていてほしい」


 ルーノがそう言うと、フルーエティは僅かに眉根を寄せてルーノを見た。


「ああ、そうだったな。それならば、それとなくレジスタンスから離れ、平穏な暮らしをするよう仕向けることだ」


 フルーエティが言うことも一理ある。チェスがもがいたところで何ができるでもなく、いてもいなくても現状は変わらない。こう言ってはなんだが、幼いルーノが正当な血を持とうとも無力であったように、チェスにどれだけの熱意があろうとも、一個人にできることなどたかが知れている。


 それならば、安全なところで自分の幸せだけを考えて生きていけばいい。

 ルーノも小さくため息をつくと、介抱を続けるチェスに目を向けてそちらに近づいた。ピュルサーは、フルーエティを気にしてついてこなかった。


「……チェス」


 名を呼ぶと、弾かれたようにチェスが顔を上げた。ルーノを見てほっとしたように力を抜いた。

 寝ころんでいる男は眠っているのか、昏倒したのか、意識はないようだ。それでも、チェスは手を動かす。肩の固まった血を拭いている。包帯を巻く前に血を落としているのだろう。


「ああ、ルーノ。無事でよかった」


 視線は男の傷口に戻しつつ、そんなことを言った。


「あんな雑魚ザコ程度でどうにかなるか。お前こそ大丈夫なのか?」


 敵に襲われたり、高いところから飛び降りたり、何かと疲れはあるだろう。

 チェスは少しだけルーノに顔を向けた。笑顔を貼りつけてかぶりを振る。


「私は平気。レオが助けてくれたしね」


 そう言ってから、チェスは困惑気味に口をゆっくりと動かす。フルーエティのような読心術はないけれど、その唇が言わんとすることがルーノにはなんとなくわかった。


「あの、レオって……」


 言いかけて、結局言わなかった。


「ごめん、なんでもない」


 そんなチェスにルーノは告げる。


「あいつの見た目のことか? 少なくとも、あいつはお前の敵じゃない」


 悪魔だというのに、敵にはならない。むしろ、この少女を守護しようとさえした。その対象に気味悪がられるのはさすがに気の毒なような気がした。


「あ、うん。それはわかってる。そうだよね、ちょっと変わってるけど、変わってるだけだよね」


 まさか悪魔だなどとは思いもしないはずだ。少しばかり特異な見目を持って産まれたという程度の認識をしたようだ。

 心根の優しさは、ウルタードにも似ているのかもしれない。そこにルーノは安堵していた。

 それならば余計に、血腥ちなまぐさい戦いには加わらなくてもいい。


「……なあ、お前は直接戦闘に関わるようなことはやめた方がいいんじゃねぇの? 後方支援してりゃいいだろ」


 ぼそりとルーノが言うと、チェスはルーノを見ずに白いうなじを覗かせながら手を動かした。


「戦闘員が足りないの。わかってて下がれないよ。私は自分にできることを精一杯やりたいの」


 柔らかな口調の中に頑なな意志が窺える。人から何を言われようとも信念を曲げるつもりはないのだろう。

 それで身を滅ぼしてからでは遅いというのに。

 どうしたものかと思ったルーノにチェスはそっと顔を向けると、目元だけを和らげた。


「心配してくれてるの? ありがとう。でも、ごめんね」

「お前の父親が、お前が戦うことを望んだかどうか」


 ウルタードは、望まなかっただろう。平凡な幸せをつかめばそれでよいと。

 そんなことは言われるまでもなくわかっている。チェスの苦笑にはそれが表れていた。


「少しも望まなかったと思う。それでも私はティエラ王国の再建をこの目で見たいの」


 王国を再建したとしても、そこにウルタードが蘇るわけではないというのに、それにこだわる。

 このレジスタンスに単身でポツリといることでわかる。チェスには他に何もないのだ。

 父が仕えた王国を再建する。それだけが生きる道しるべであるかのようにして。


 エリサルデにしろ、チェスにしろ、皆が勝手に希望を掲げる。そこにルーノは関わらざるを得なくなる。

 しかし、祖国再建を最も強く願うべきルーノの心が未だ置き去りのようで、どうにも居心地が悪かった。


「再建を見てぇと思うなら、簡単にられんなよ」


 ぼそりとそれだけ言ったルーノに、チェスは少し笑ってうなずいた。


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