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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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23/80

*22

 燃え跡の、荒れた村。火が消えて辺りは暗くなったが、焦げた臭気は漂っている。むしろ、暗がりだからこそ強く感じる。とはいえ、真夜中というほどの暗さでもない。空が少しずつ白み始めている。朝は近い。


 ピュルサーのそばでチェスはうつむいて立っていた。やっとのことで立っているといったところか。

 そんなチェスをピュルサーは気づかわしげに見ている。ただの人間を相手に、悪魔が、だ。

 それほどまでに、その(おもかげ)は色濃いものだとしても、ルーノには異様に感じられた。


 しばらくして自身が落ち着きを少しばかり取り戻した頃、ルーノは煤を吸わぬように口を肩に押しつけながらチェスに問う。


「エリサルデは?」


 敬称をまたしてもつけ忘れたけれど、この非常事態にあってチェスも気が回らないようであった。ハッと顔を上げた。


「宿の二階! 隣の部屋だったから、ご無事かどうかまだわからないけど……。隣で争う声とかも聞こえたの」


 いつの間にか戻ってきていたフルーエティと目が合った。軽くうなずく仕草で、エリサルデが無事であることを確信した。


「……見てくる」


 宿に火はついたものの、燃え尽きてはいない。フルーエティが火を消したのは、人には到底できぬ早さであった。宿の部屋で争ったというのは、兵士とだろうか。

 入り口に回り込むと、宿の扉は外れていた。施錠されていたところを破ったのだろう。蝶番がひしゃげている。


 入ってすぐ、人気(ひとけ)はなかった。兵士か火のどちらかに怯え、外へ逃げたか隠れているのだろう。床に焦げ跡は広がっているものの、二階へ上がる階段は無事であった。その先へ上がっていくと、部屋の扉はすべて開け放たれていた。


 エリサルデがいた一室へルーノが意を決して踏み入ると、そこにはいくつかの屍があった。

 うつぶせに倒れているのは、エリサルデのそばに控えていた貧相な男だ。もう一人は知らない。宿の者かもしれない。


 それから、兵士が一人。エリサルデは――ショートソードを床に突き立てて片膝を突き、顎を剣の柄に預けるようにして荒く息をしていた。肩が激しく上下している。

 それでも、生きている。年を取ろうと、片腕を失くそうと、この程度の敵に後れを取ることはなかった。

 しかし、辛勝といったところである。あまりにも無様だ。


 もしここが闘技場であったなら、ルーノは間違いなくこの老兵にとどめを刺した。

 過去の栄光を汚さぬために。ルーノの父王と共に果てていた方がよかったのではないだろうかと、そうした思いが沸々と湧く。


 エリサルデはやってきたルーノたちに目を向け、剣を杖にしてよろりと立ち上がった。


「お前たちか……。チェスカや皆は、無事なのか?」

「チェスなら無事だ。他は知らねぇよ」


 ルーノはぞんざいな口を利いた。それに怒る気力が今のエリサルデにはなかったようだ。ヒュウヒュウと隙間風のような息遣いが聞こえる。


「そうか。まさか、こんなことになるとは……。殿下をこちらにお連れしなかったのが不幸中の幸いだったが、多くの犠牲を出してしまった」


 エリサルデが『殿下』と口にした。

 そのひと言にルーノの神経が逆撫でされる。偽者だと知っているくせに、恥ずかしげもなく――。


 ルーノの手の平に、握り締めた爪が食い込んだ。

 身分など、もう今の自分とは関わりない。王座に執着したくない。

 そのはずが、目の前の老臣が偽者を担いだことに憤る心も確かにあった。


「エリサルデ」


 冷ややかな声で呼ばわった。若造に見下され、エリサルデは白くなった眉を寄せた。

 その顔に向け、ルーノは言う。


「お前の行いは息子のセベロに顔向けできることか?」

「なっ……」


 あまりの無礼さに絶句したのか、セベロの名に驚いたのか、判然としない。ただ髭に覆われた口元をわななかせている。

 そんなエリサルデにルーノは厳しく追及した。


「答えろ、エリサルデ」


 カッと見開いたルーノの目に、エリサルデは過去を見ただろうか。杖にしていた剣から力が抜け、剣が床に倒れた。エリサルデの額から汗が伝う。


「わ、わしは――、どんな時も祖国のためを思い、生きてきた。恥じ入ることなど、何も……っ」

「偽者を王座に据えることが祖国のためだと?」

「に、偽者とはっ」


 フルーエティはこの茶番に割って入る気もないようだった。面白がっているのかもしれない。振り向きたくもなかった。


「お前が担ぎ出したルシアノは偽者だ。違うとでもいうつもりか?」


 窓から僅かな光が差し込む。その光がエリサルデの救いとなることはなかった。むしろ、頼りない光がルーノの姿を照らし、否応なしに事実を突きつける。


「まさか――っ」


 老臣の弛んでいたまぶたがカッと持ち上がった。ルーノはエリサルデを見下ろしたまま冷淡に告げる。


「オレを前にして、そいつこそが本物だと言えるか? とんだ忠臣がいたものだ」


 姉は、ルーノは父によく似ていると言った。すっかり荒んでしまった今も、その片鱗は留めているだろうか。

 エリサルデは震えていた。カクリと膝を折り、片手を床に突いた。ルーノに目を向けず、額を床に擦りつけんばかりに低くする。エリサルデは認めたのだ、ルーノのことを。

 それが手に取るようにわかった。


「ル、ルシアノ殿下……。よもやご存命とは――」

「代替えが利くようだから、死んでいた方がよかったか?」


 いたぶるように言葉を投げた。労わる気持ちはない。

 ルーノは辛酸を舐めて生きていた。その間、この男は本物の王太子を探すことを諦め、死んだものとしてあっさりと代わりを立てた。

 エリサルデは顔を上げず、床に向かって切れ切れに零すばかりだった。


「ソラールの者共を、ティエラの地から追い出し、国を再建するために、ついた嘘では、ございます」

「再建と。形を整えただけの器を作ればそれで国と呼べるのか? お前はその洞のような国で祖国を救った英雄にでもなるつもりだったのか?」


 頭の血が沸き立つどころか、冷えていく。今、ルーノは自分が喋っているような感覚がしなかった。ルーノの体を借り、ルーノの中の王族の血が、祖先が、この老臣に問いかけているような気がしてしまう。

 エリサルデは顔を上げた。皺の深い顔に流れた涙が滲んでいる。


「そのようなことは、決して! 私はただ、私心を捨てて祖国のためだけを願って参りました。その心だけはどうかお疑いくださいますな」


 疑うなと言う。エリサルデの言葉を信じろと。

 しかし、あの薄暗い場所で長く過ごしたルーノがそう簡単に人を信じられるはずもなかった。レジェスやチェスのような子供ならまだしも、老獪な旧臣をそう易々と信じることはできない。


 ただ、ここでエリサルデを葬り去ることをためらう気持ちもある。それは、剣の師である彼の息子の存在があるせいだ。それこそが、ルーノとエリサルデの間にある蜘蛛の糸ほどの細い繋がりであろうか。


「セベロはオレの剣の師だった。その師に免じて一度は赦しを与える。ただし、二度とオレを裏切るな。裏切ればその首は叩き落す」


 有無を言わせなかった。腹立たしさが勝り、ただ口に出しただけのことであったかもしれない。

 しかし――。

 エリサルデは震えていた。それは怯懦(きょうだ)ではなかった。絶えたかに見えた王家の血が蘇った、その喜びに打ち震えていたのだとしたら。


「すべてはティエラ再建のために……っ」


 かすれた声だった。その響きに、ルーノはようやく血が静まった。

 何気なく振り返ると、フルーエティが微笑した。含みのある口元に、ルーノは顔をしかめる。

 ルーノはいつも、この悪魔の手の平で踊っているだけに過ぎないのだろうか。


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