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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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20/80

*19

 負傷者がこう多く出る予定ではなかったはずだ。彼らを村に運び込んだのはいいが、寝床もろくに用意できなかった。負傷者ですら全員を寝台に寝かせられないのだから、その他の者たちなど雑なものだ。行き場がなく、ルーノは馬屋の干し草の上に座り込んだ。

 臭気にはそのうち慣れた。ただ、フルーエティたちがどうだったかはわからない。どちらも顔には出さないだけだ。


「――で、()()()()殿()()は出てくんのか?」


 皮肉を込めてフルーエティに問う。フルーエティは壁際にもたれたまま腕を組んだ。


「さあな」

「さあなって……」


 顔をしかめてみせても、フルーエティは気に留めない。ピュルサーは黙ってそのそばに控えている。


「お前が身分を証明できるものは何もない。お前にあるのは記憶のみだ。下手を打つとお前の方が偽者にならざるを得ないが」


 フルーエティが言うように、ルーノには身分を証明する持ち物がない。実を言うと、落ち延びた時に王家の紋章の入った何かを持つべきかという話もあった。ただ、それを持っているがために身分が知られ、身に危険が及ぶとも考えられ、結局何も持たなかった。ウルタードたちがいれば、ルーノが本物であることの証明になるはずであったけれど、誰一人として生き残ってはいないのだ。

 ルーノはひとつ嘆息した。


「じゃあ、その偽者はどうやって自分がルシアノだって周りに信じさせてんだろうな?」


 本物のルーノでさえ、証明は難しいというのに。

 そうしていると、足音がした。その足音にピュルサーが敏感に反応する。


「チェスだ」


 獅子というより犬になったようだと、そんなことを思った。

 馬屋の窓からチェスが顔を覗かせる。


「ルーノ、レオ、ビクトルさん!」


 どうしてだかフルーエティだけ敬称がついている。呼び捨てできそうな雰囲気がまるでないせいだろうか。

 怠けていないで手伝えとでも言うのかと、ルーノが気だるげに目を向けると、チェスは余裕のない顔で窓から身を乗り出す。


「エリサルデ様がいらっしゃったの! ご挨拶しに来て!」


 その名に、ルーノは雷に打たれたかのごとく衝撃を受けた。

 エリサルデの、彼の声が、歳月を経たとも思えぬほど鮮やかにルーノの脳裏に蘇る。



 ――そうです、ルシアノ殿下。その剣筋をお忘れなきよう。殿下のご才覚でございますれば、後十年もせずに私など軽々と超えてしまわれることでしょうな。



 ルーノの剣術の師であった男もエリサルデといった。当時、三十代の初め頃だったか、ルーノの剣術指南役に抜擢されるほどに王の信頼は篤かった。

 もともと、王族の剣術はカブレラ流という流派を習う。これは国の中でも伯爵位以上の爵位を持つ家柄であり、祖先のどこかが王家と血縁にあらねば学ぶことすらできない。ティエラ王家は武力で王座を勝ち取った始祖を持つからこそ、その技を広めすぎることをよしとしなかった。


 エリサルデはその中で取り立て身分が高いということはなかった。身分だけ見るなら、もっと適任は多くいた。エリサルデの決め手となったのは、父親の存在である。エリサルデの父親は、王の片腕とも称される騎士であった。


 ルーノ自身も、師エリサルデを好ましく思っていた。教え上手で、言葉は柔らかいが根っから手懐けるには骨が折れそうな、そんな男であった。筋が通り、間違ったことには決して従わない。自身が納得しなければ、首と胴が離れようとも是としない清さがあった。


「エリサルデ……っ」


 敬称も忘れてその名を呼んだ。まさかまた彼にまみえることになるとは、夢にも思わなかった。

 干し草を散らし、ルーノは飛び起きる。その勢いにチェスが驚いていた。ルーノが馬屋を出ると、チェスは軽くうなずいて背を向け、先導する。

 エリサルデは、ルーノを見て正体に気づくだろうか。長い歳月が流れ、ルーノもすっかり荒んでしまったから、わからないかもしれない。


 しかし、とルーノはふと気づく。

 エリサルデがレジスタンスにいるのなら、何故ルーノの偽者が出たのだ。エリサルデでさえ騙されるほどに偽者はルーノに似ており、巧妙であるのか。

 グッ、と心臓の辺りの服をつかんだ。それくらいで心が落ち着くはずはなかった。


 フルーエティたちも無言でルーノの後に続いた。

 チェスが案内したのは、宿屋であった。宿屋の女将に軽く挨拶すると、頼りなく音を立てる階段を上がり、二階の角部屋の戸を叩いた。


「チェスです。連れてきました」


 短く言うと、中から戸が開いた。その戸を開けたのは、エリサルデではなかった。もっと貧相な男で、ルーノの見知った顔ではない。


「おお、チェスカ。ご苦労だったな」


 チェスをチェスカと呼んだ。その声は、しわがれていた。扉の向こう、質素で狭い宿の一室で、木目の浮いた壁の前に立っていたのは、白い髭を蓄えた老兵であった。六十は越えているが、それでも逞しく分厚い胸板をしている。薄いチュニックの上からでもそれが十分にわかった。


「エリサルデ様、彼らが新入りの三人です」


 エリサルデ――。

 ルーノの剣術指南役であったエリサルデの父、ウーゴ・エリサルデその人であった。

 父王に殉じたと思っていた。生きていたとは知らなかった。

 感情の昂ぶりが体を痺れさせていく。


 話を聞きたい。彼はティエラの最期を見届けたのだろうか。

 愕然と立ち尽くすルーノを、フルーエティが肘で押した。部屋の中へ入りきると、貧相な男が戸を閉めた。会話を垂れ流しては、さすがにまずいのだろう。

 ウルタードの娘であるチェス、そしてエリサルデ。縁のある者が続々と集まってくる。


 ふと、違和感を覚えた。その感覚の正体がわからずにいると、体を斜に構えていたエリサルデが正面を向いた。チュニックの袖がひらりと動く。そこに腕はなかった。右腕の肘から先がない。あれは戦傷だろうか。

 ルーノが袖に目をやったことに気づき、エリサルデは嘆息した。


「この腕は王都への侵略を防ぐ戦いで、剣を持った腕ごと斬られたのだ。それでも死ぬまで戦うつもりではあったが、息子に救われ、今もこうして生き恥をさらしている」


 息子――ルーノに剣を教えてくれたエリサルデは死んだのだろうか。きっと、父親を逃がすために死んだのだろう。そんな気がする。


「して、おぬしらも活動に参加すると志願したそうだな。聞けば、ティエラの出身だと」


 すると、不意にフルーエティが口を開いた。


「はい。私はビクトル、こちらはレオとルーノと申します。ルシアノ殿下が無事に落ち延び、ご存命であるとのこと。我々もティエラ再建のお力となれますなら、と馳せ参じました」


 よく言う、とルーノは呆れた。何かもう、色々なことが目まぐるしく、思考が麻痺してくる。


「ほぅ。それぞれ出身はどこだ?」

「私とレオはファネーレです。ルーノは王都の出身ですが」


 ファネーレは王国の西にある町だ。織物が盛んで豊かなところであり、ルーノも何度か足を運んだことがある。フルーエティが言うことはでたらめだが、人の心を読む悪魔なのだから、何を訊ねたところでもっともらしく答えるだろう。


「そうか、ファネーレの。……おぬしは王都の出だと?」


 エリサルデがルーノに目を向けた。

 色の薄い目が、じっとルーノの目を見据える。


 気づくか。

 気づいてほしいのか、どうなのか、ルーノ自身にもよくわからなかった。ただ、目を逸らさなかったのは、やはり気づけという気持ちでいたからだろうか。


 偽者を信じ、誤って担ぎ上げた。それは王家に忠誠を誓った身としては、道理に外れた行いである。

 その忠誠が本物であるのなら、エリサルデはルーノに従わなくてはならないのではないか。


「……今は少しでも多くの力が必要な時だ。どうか力を貸してくれ」


 エリサルデは下々の者に接するにしては丁寧に頼んだ。

 しかし、ルーノの正体に気づいた様子はなかった。落胆したというべきなのか、胸の奥がむかむかした。

 チェスはそんなやり取りを黙って聞いていた。


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