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皆、顔が見えないようにフードを被った。激しく動いても外れないような、ほとんど覆面に近いものである。
それから、ルーノは剣を帯びていたから特に何も言われなかったが、フルーエティとピュルサーは一見丸腰である。何かを手渡されていた。村を出た直後、馬を軽く走らせながらピュルサーに訊ねる。
「おい、何を渡されたんだ?」
ピュルサーが渡されたのは、麻袋である。ピュルサーは手綱を握りつつ、脚の間に袋を載せている。
「石が詰まってる」
それを投げつけろというのだろう。フルーエティも袋を渡されていた。石を投げつけるフルーエティたちを想像すると少し可笑しくなる。
チェスはもっと前方を駆けていった。短弓を扱うようだが、馬上でもつがえることはできるのだろうか。
単騎で走った方が、固まって動くよりは狙われにくい。けれど、下手を打って囲まれてしまったら、チェスだけで戦えるのか、やはり気になる。
ウルタードの娘と聞かされたら、まったく気にしないわけにはいかなかった。ウルタードが家族と共に在れなかったのは、ルーノの供をしたためだ。あの最期を、ルーノはいつかチェスに伝えてやるべきなのだろうか。
知らぬ方がいい場合もあると、そんなふうにも思うのだが。
道をいくらか進むと、騎馬部隊が固まっていた。そこにチェスもおり、ルーノたちを待っていたようだ。
「無茶はするなよ。邪魔をする程度でいいんだ」
などと生ぬるいことをレジスタンスの男が言う。邪魔をする程度と、それでは子供の悪戯と変わりない。
兵士にちょっかいをかけて、それでなんだというのだ。ソラール兵の数を削ぐことを考えなければ、ティエラ国土の奪還など夢のまた夢だ。
遠くの木の上で赤い旗が振られた。これが合図なのだろう。レジスタンスたちが気を引き締めたのがわかった。うなずき合うと、手綱を弾ませる。
ルーノたちもその後を追い、馬を走らせた。闘技場にいた時とはまた違った緊張感がある。あそこで戦うことは呼吸をするほどに自然で、心が動くことはなかった。けれど今は、風を切り、馬に乗って広い大地を駆ける、それだけのことに凝り固まった蜜蝋のような心が溶け出す。人並みの起伏を感じたのだ。
馬の蹄の音が、空を飛ぶ鳶の甲高い鳴き声に混じった。
模擬戦を行っている兵士たちは、その音に気づいたようだ。試合の熱気を保ったまま、地に降りて観戦していた兵士たちも素早く騎乗する。
チェスが馬上で矢をつがえる。しかし、地上にいる時ほど正確に矢は飛ばない。ひょろりと飛んだ矢は地面に突き刺さる。続けていくつか放つも、空高く飛び、緩やかに落ちて抜身の剣に斬り伏せられる。
もしかするとあれはわざとなのだろうかと、そんなふうにも思った。攻撃が威嚇にすぎないのは、女のチェスには仕方のないことなのか。
その他にも、麻袋から石を取り出して投げる者、油を撒く者、様々である。ピュルサーは重たい石の詰まった袋を一騎にまとめてぶつけると、後は何もせずに馬を走らせていた。ピュルサーはチェスの動きを気にしている。
ただ、そのぶつけられた兵士は落馬し、もう起き上がらなかった。人並み外れた力でぶつけられたのだから、骨が砕けたのかもしれない。
ここにいるのは人ばかりではない。悪魔がいるのだ。
ピュルサーなど、まだ可愛らしいものであった。その主君がいるのだ。
人の嫌いな大悪魔が。
騎馬部隊が撒いた油に誰かが火を放った。ただでさえ人馬が入り乱れる場で、誰の仕業であるのかは判然としない。けれど、ルーノはフルーエティの仕業であると思った。誰も火元になるようなものは手にしていなかったのだから。
草が燃え広がる。日中の平野が赤く染まっていく。敵味方問わず、人馬は突然の炎に恐慌状態となった。
火の手は、驚くほどに早く広がる。生き物のような炎だと、ルーノはその炎に見入った。熱く、揺らめく熱気の中、ルーノは頬を伝う汗を拭った。
祖国の平野が焼けただれるのは、見ていて楽しいものではない。美しかった緑が醜く焼ける。
「あいつ……っ」
ソラール兵が死ぬのは構わない。それでも、自然が壊れるのは気分が悪い。
レジスタンスたちもこれは想定外のことであったのだろう。火を見て馬は興奮し、人は慌てふためいているのが遠目にもわかる。火は意思を持つように兵士たちを囲み、呑み込んでいく。
もはやルーノは完全に部外者である。剣を抜く暇さえなかった。
火を見て震える馬の首を撫で、落ち着ける。他の者などどうでもよかったが、チェスのことは少し気になる。何人か、レジスタンスも巻き込まれていた。民間人でしかないのだから、このような事態に冷静でいられるはずもない。服の裾に火の粉が飛び、驚いて馬から落馬した男もいた。それをフルーエティが馬の背から眺めていた。助ける気があるようには見えない。
ルーノは結局、怯えて言うことを利かない馬を乗り捨て、フルーエティのもとへ駆けた。
「おい、やりすぎだろ! 見境ねぇな!」
すると、フルーエティは冷え冷えとルーノを見下す。
「ソラール兵は一兵でも減らしておいた方がいいだろう?」
「レジスタンスも燃えてるじゃねぇか」
「ああ。安心しろ、わざとだ」
「お前なぁっ」
味方であるはずのレジスタンスまでわざと炎に巻く。ただ殺したいだけなのではないかと思いたくなる。
この悪魔と手を組んだことは誤りであったのか。
すると、フルーエティはルーノを見ないままポツリと言った。
「フランチェスカはピュルサーが気にかけている。焼かれることはないだろう」
フランチェスカ――チェスの本名がそれなのだろう。本人は名乗っていないが。
一応、ルーノの心配事は読み取っているらしい。しかし、あのレジスタンスもティエラの民であるのだ。焼かずに済ます気はなかったのか。
「殺してはいない。負傷させただけだ」
炎に照らされた横顔が、ルーノの心を読んで答える。ルーノは顔をしかめた。
「負傷させてどうすんだよ」
「レジスタンスを負傷させておけば、レジスタンスの戦力が落ちる。士気を高めるため、お前の偽者か側近が出向いてくるとは思わぬか?」
その気になればすぐに偽者を引きずり出せるくせに、完全に面白がっている。ルーノにはそうとしか思えなかった。ただ、怪我をさせたとはいえ、レジスタンスの命を取らなかっただけマシと言えるのかもしれない。
ソラール兵は――。
ほぼ壊滅状態であった。剣も合わさず、ただ炎に巻かれた。
相手が人ではないから、兵士であろうとも、どんな鍛錬を積もうとも、意味がなかった。
赤く燃える炎は、それでも一定の範囲以上に燃え広がることはなかった。それはフルーエティが操っているせいだろう。パチパチ、と草も人も馬も燃えていく。
それをルーノは立ち尽くして眺めていた。熱風が煤を運んでくる。
フルーエティの瞳が妖しく光を帯びて炎を見据えている。フルーエティがルーノの心を読むように、ルーノがフルーエティの心を読めることはなかった。




