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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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14/80

*13

 ルーノは一人でフルーエティの屋敷に戻った。

 閉ざされていた門は、ルーノのために開いた。主不在であろうと、一応は客人とみなしてくれているようだ。

 ルーノを迎え入れたのは、髪を切ってくれた青い肌のしもべであった。ただいまともおかえりとも声をかけ合う間柄にない。ルーノは何を言えばいいのか困り、なんとなくつぶやく。


「あんた、名前はあるのか?」


 すると、しもべは少し考えるような素振りを見せてから言った。


「ハウレスとお呼びください」

「あるんだな、名前」

「あまり必要はありませんが」


 淡々とそう返してくる。


「あんたのあるじは名前を呼ばねぇってことか」

「ええ、もちろんです。そのようなことを気にされるのは、あなたがヒトだからでしょう。我々の名は、あなたがたとは意味合いが違うのです」


 気軽に訊ねたものの、ややこしい返しが来た。ルーノは軽く首を傾げてみせる。

 すると、ハウレスは鉄面皮を保ったままで言った。


「我々の真名まなは、契約の証としてのみ使います。我々はフルーエティ様のしもべでございますから、契約などとは無縁。ですから、必要がないと申しているのです」

「ハウレスって名をオレが呼んでも契約にはならないのか?」

「なりません。それは真名ではありませんから。便宜上、今、あなたのために用意しました」

「ピュルサーたちの名前も真名じゃねぇってことか」

「そうです。三将の方々は人間と契約なさることもありますから、通り名も真名もございます」


 王太子であったルーノが悪魔に詳しいはずもない。むしろ、そうしたものを忌避していたのだ。

 悪魔など実在すると考えたこともなければ、悪魔と契約する人間が本当にいるということも不可思議に思える。契約者はパトリシオのように力に酔った愚者ばかりなのだろう。

 そもそも、フルーエティのような気位の高い悪魔を従えられる人間などいるはずもない。


 軽く腕を伸ばして伸びをしていると、ハウレスはそんなルーノに言った。


「お食事をご所望でしたら、ご用意はありますが」

「……お前らの食事って、どんなだ?」


 思わず警戒してしまうのも無理からぬことだろう。ハウレスはルーノの杞憂を先読みして答える。


「私どもの食事ではヒトのあなたには毒でしかありません。あなたには特別に、フルーエティ様の指示に従ってご用意させて頂きましたので、ご安心ください」

「ああ、そりゃどうも」


 人間が嫌いなわりに気の利く悪魔である。

 ハウレスに連れられて、ルーノはしもべたちが使っている木目の浮いた机のそばに座らせてもらえた。他のしもべたちはいない。殺風景な部屋であった。ハウレスはゼンマイ仕掛けなのではないかと疑いたくなるような、淡々とした動きでルーノの前に食事を並べ始めた。

 全粒粉のパン、チーズ、ベーコン、葡萄酒――簡易食ではあるものの、至ってまともであった。


「あなたがフルーエティ様の客人であることを知らぬ者はこの屋敷にはおりませんが、あまりフラフラされますと、血気盛んな者もおりますので、安全は保障できかねます。お行儀よく過ごされてください」


 このハウレスは理知的に見えるが、皆がこう知性を持ち得ているわけではないのかもしれない。

 悪魔の館で行儀よく過ごせと言われたことが、ルーノにとって少々複雑である。

 仏頂面でパンを頬張る。人間が作ったものと遜色ない。もしかすると、地上から持ってきたのだろうか。


「フルーエティは何を食べるんだ?」


 何かを食べるところが想像できない悪魔である。訊ねてみたところ、やはりその通りであった。


「あのお方は我らやヒトのような下等な生物ではございませんから。食事などなさいませんよ」

「本人目の前にして下等とか言うなよ」

「それは失礼」


 しれっとハウレスは顔を背けた。本当に、最低限度の礼節しか保っていない。人間は、自分たち以上に下等だと思っているのだろう。それが王族だろうと庶民だろうと興味もなさそうだ。

 とりあえず、ルーノも腹を満たせて久し振りにひと息つけた。そのことに感謝すべきではあるのかもしれない。

 その時、ハウレスがピクリと体を小刻みに動かした。


「……フルーエティ様がお戻りのようです。お迎えに上がりますので、ここで少々お待ちください」


 ハウレスがそう言った時、ルーノは腰を上げた。


「食事なら終わった。オレも行く」

「では――」


 二人して向かうと、エントランスにはすでにしもべたちが並び、頭を垂れていた。フルーエティはそんな中を颯爽と歩いている。ルーノに目を留めると、フルーエティは歩みを止めた。


「なんだ? 何か訊きたいことがあるようだな?」


 あえて訊ねずともわかっていそうだが、ルーノは口に出した。


「訊きたいっていうんでもねぇけど。あのピュルサーって悪魔、妙に取り乱してどっか行っちまったけど、いいのか?」

「取り乱して……」


 フルーエティが、どういうわけか少し驚いて見えた。とはいえ、瞬きが何度か繰り返された程度のことではあるのだが。


「ん、あのチェスってガキを見てると落ち着かねぇんだと」


 ルーノが見た限りでは、ただの子供であった。整った顔立ちではあったけれど、逆に言うならばそれだけだ。

 フルーエティは鼻で笑うと思った。けれど、笑わなかった。柳眉に表れた僅かな感情は、一体何であったのか。


「そうか。ピュルサーがな」


 もしかすると、フルーエティにはその理由わけを知っているのだろうか。ルーノがそう感じるだけの何かがフルーエティの言動にはあったように思えた。


「……あのガキがなんだってんだよ?」


 素直に答えてくれるとは思わない。それに、ルーノに直接関わることでもない。それを訊ねたのはただの気まぐれに過ぎなかった。

 フルーエティは紫色の目を伏せ、そうして、ため息とともに吐き出す。


「少し、見知った顔に似ていた。それだけのことだ」

「見知った? 人間の知り合いか?」


 見知った顔なら、何故ピュルサーはそれを知らぬのか。理由がわからぬから取り乱しているように見えた。

 わかるような、わからないような説明に、ルーノが再び口を開きかけると、フルーエティはさっさとルーノの前を通り過ぎて行ってしまった。もう答えてやるつもりはないということだろうか。

 その背中を追おうとすると、フルーエティはぽつりと言った。


「似ているだけで明らかな別人だ――」


 声に苛立ちが含まれていると、そう感じたのは気のせいではなかったはずである。


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