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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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13/80

*12

 まっすぐな青い瞳。それはこのような貧民窟の中には相応しくない、王冠に飾られる宝石ほどの価値にも感じられた。


 フードの下の素顔は予想外であったと言える。もっと冴えない子供だと思っていた。

 それはフルーエティたちにも同じであったのだろうか。心は読めても、フードの下の素顔は見えていなかったらしい。フルーエティは、急に押し黙った。その少年を見ていたかと思うと、目を逸らし、そして沈黙したのだ。


「……どうなの?」


 少年が問い続ける。仕方なく、ルーノが口を開いた。


「ソラールのヤツらをここから追い出す。目的は同じなら協力してもいい」

「あなたの名前は?」

「ルーノ」


 ルシアノとは名乗れず、そうやり過ごした。少年はフルーエティにも目を向ける。


「そっちの黒い人は?」


 それを訊かれると、ルーノは何と答えていいのか困った。フルーエティという名の悪魔を知っている者がこの場にいるのかは知らないけれど。

 すると、フルーエティは自ら名乗った。


「……ビクトルだ」


 偽名をあらかじめ用意していたのか、そう答えた。あまりにあっさり答えるから、ルーノの方が戸惑った。

 少年は特に疑うでもなく、回り込んでピュルサーのそばへ行くと、そのフードを押し上げた。それをピュルサーがかろうじて押さえる。尖った耳はさらされていない。金色の目も瞑ってやり過ごしたのだろう。


「あ……メンバーの誰かと思ったら、違う。この人、誰?」


 フルーエティは嘆息すると言った。


「そいつは獅子レオとでも呼べばいい。人見知りなのでな、あまり凝視するな」


 少年は素直なもので、ピュルサーからすぐに手を放した。


「そう。ごめん」


 ピュルサーの見た目は異形というほどではない。人見知りとの言葉を信じたのか、少年は気遣うような様子であった。

 そう相手に思わせたのは、ピュルサーの態度のせいでもあったかもしれない。妙に硬く、緊張しているように見えた。屈強な悪魔が人を恐れるなんてことはないはずだが。


「私のことはチェスって呼んでくれたらいいよ」


 少年――チェスはそう言って少し表情を和らげた。周囲の男たちも多少は信用する気になったのか、顔を見合わせてから言った。


「いきなり殿下に引き合わせるわけにはいかねぇ。ただ、あんたらが本気で同志になってくれるってんなら、そうだな、明後日の正午、またここに来い。あんたらの働き次第では殿下がお会いしてくださるかもしれん」


 そんなまどろっこしいことをせずとも、フルーエティならば偽者の居場所を探り当てられる。ただ、それでは面白くないと言うのだ。その面白いの基準がルーノには迷惑だが。


「わかった。明後日にまた来る」


 ルーノが一応答えると、チェスはうなずいた。


「ここのこと、私たちのこと、わかってるとは思うけど他言無用だからね」

「ああ」

「あなたたち強そうだから、仲間になってくれるなら助かるよ」


 と、チェスは穏やかに言った。そうして、ルーノに剣を返す。ルーノはそれを受け取った。

 その仕草を、フルーエティとピュルサーがじっと見ている。ルーノをではなく、チェスのことを。どうやら二人はこの少年がひどく気になるらしい。


「では、ひとまず帰るぞ」


 フルーエティがルーノとピュルサーを促す。レジスタンスたちは表に人通りがないことを確認し、三人を外へ出した。フルーエティは顎で道の先を示し、ルーノは追い立てられるようにして歩いた。角を曲がった途端、フルーエティは腕を振るい、円陣を描く。赤い文様が浮き上がり、大気が歪む。ルーノはその円陣に飲み込まれた。



 どうにも慣れない。あの円陣が魔界と地上を行き来する入口であるのだ。

 目を開いた時、そこは薄暗く生ぬるい風の吹く魔界だった。フルーエティの屋敷のそばの切り立った崖である。こんなふうに一瞬で居場所が切り替わることに慣れている方がおかしい。誰だって気分が落ち着かないはずだ。そう、慣れているのは悪魔くらいのもの。


 フルーエティは戻って早々、青味がかった銀髪に紫色の瞳の悪魔になっていた。服も違う。ピュルサーもフードを脱いだ。


「お前な、遊びすぎだろ。なんだよあれ? 何がビクトルだ。ルシアノ殿下だ」

「ソラールもだが、偽者も放置しては後々面倒だろう?」


 そう言い放ったフルーエティは、何か不機嫌に見えた。いつも以上に冷ややかな目をしている。

 ルーノの言動が不愉快だとして、けれどそんなものは前からだ。表情のない顔を背け、フルーエティは言う。


「俺は少し出かけてくる。お前は屋敷に戻っていろ」

「はぁ?」

「この魔界でフラフラして、どこかの悪魔に首を刈られても知らんぞ」


 嫌な悪魔だ。ルーノが歯噛みしてもまるで気に留めない。フルーエティはトッ、と軽い音を立て、崖から身を投げた。どういう原理であるのかはわからないが、フルーエティは翼のある鳥のように浮遊する。髪をなびかせ、悠然と空を飛び、瞬く間にルーノの視界から消えた。


 けれど、取り残されたルーノのそばにはピュルサーがいた。言葉を発することなく、ぽつりと立っている。フルーエティ以上に無口な悪魔だ。

 ちらりとルーノがピュルサーを見やっても、ピュルサーはルーノにはまるで関心がなかった。まるでそこにいないかのように扱われる。ただ、胸元を押さえ、ピュルサーは今にも死にそうな顔をしていた。


「お、おい……」


 どこか悪いのかと、そう感じるには十分なほどの苦悶の表情である。ルーノが思わず声をかけたから、ピュルサーはルーノの存在を思い出したようだった。


「なんだ、地上の光は悪魔には毒だとか言うのか?」


 その問いに、ピュルサーはかぶりを振った。その仕草は弱々しい。

 呻くようにしてピュルサーは言った。


「あの子……」

「は?」

「チェスという子」


 黒髪に青い目をした美しい少年。それがどうしたというのだ。

 ルーノが眉根を寄せると、ピュルサーはさらにつぶやいた。


「あの子を見ていると、苦しい」


 なんだそれは、と思わず言いたくなった。けれど、ピュルサーは真剣であった。


「わからない。何故、こんな……」


 当人が言うように、わからないらしい。しかし、思い返してみると、フルーエティもどこかおかしかった。あのチェスという少年に何があるのだろうか。


「悪魔祓いの能力でもあんのかな?」


 思い当たるのはそれくらいである。


「そういうことじゃない。ただ、自分でもわからない。こんなことは初めてだ」


 と、ピュルサーは言い、急に自らの金髪をかき乱すと、その体はうっすらと光を放ち、見る見るうちに変貌した。少年のものだった腕は太く逞しくなり、黄金の毛皮に覆われていく。

 唖然と見守るルーノの前で、ピュルサーは金色の獅子となり、しなやかな後ろ足で岩肌を蹴り、駆け去っていった。


「だから獅子レオ、な……」


 思わずルーノは独り虚しくつぶやいていた。


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