*11
西通りの民家。
そこは貧民窟のように見えた。高い壁を背にしており、光が入りにくく、そのせいか悪臭が漂う。足元の石畳の上には生塵が散り、見るからに薄汚い。こう汚い場所は、昔から汚かったのだろうか。侵略とは関係なく、もとよりあった貧富の格差がこうした場を生み出すのか。
それともこれは、兵士たちが寄りつきにくいように汚しているに過ぎないとも考えられる。よく――わからないけれど、汚いことだけは事実であった。ただ、残念ながらルーノも汚らしい暮らしを長年続けてきたのである。今さらここで足踏みすることもない。
ピュルサーは人一倍鼻が利くのか、困った顔をしているように見えた。フルーエティは忌々しいほどに顔色を変えない。
「……来たようだな」
足音が近づく。こうして改めて聞くと、思った以上に軽い。まだ子供かもしれない。
現れたフードの三人は、ようやく逃げ帰った隠れ家の前に見知らぬ男たちが立っていることに驚いた様子だった。けれど、ルーノたちは兵士には見えないはずだ。気にせずやり過ごすべきかと思ったのか、少しずつ距離を縮めてくる。
その中の一人が何を思ったのか口を開いた。
「あなたたち、どこから来たの?」
高い声だ。やはりまだ子供なのだろう。
どこからと問われると、どう答えていいのかわからないルーノである。フルーエティたちの方が返答に困るのは間違いのないところだが。
「……ここはオレの故郷なんだが」
嘘はつかずにそう答えた。すると、その子供はルーノたちのそばにいるピュルサーに目を向けた。フードを被った彼の顔が見えたわけではない。ただ、自分たちも同じようにフードを被って顔を隠している。仲間だと勘違いされたのだろうか。
「故郷って、ティエラ王国? もしかして、仲間になってくれるの?」
仲間が加入希望者を連れてきたと、そんなふうに思われたのだろうか。けれど、その子供の連れはそれほど楽天的ではなかった。子供の服の裾を引き、つぶやく。
「おい、余計なこと言うなよ。下手打ったら取り返しがつかないだろ」
真っ当な意見だ。レジスタンスなど、所詮民間人の集まりにすぎない。いつ瓦解してもおかしくはないのだから、もう少し慎重になるべきである。
「そうだけど、味方は一人でも多く欲しいから……」
すると、ずっと黙っていたフルーエティが口を開いた。
「ティエラの再建を望むのならば手を貸してやらんでもない」
ルーノは耳を疑ったけれど、フルーエティはルーノを王座に据えてやると言った。どの道国をかき回すのだから、レジスタンスの有無などどうでもよいのだろう。ただ、このレジスタンスの何かに、フルーエティが興味を持った。
この子供たちの思考を読み、何かを見つけたのだろう。それが何なのか、ルーノにはまだ読めない。
「なんでそんなことを知ってる? あなたたち、何者なの? そこの子が言ったの?」
やはり、ピュルサーを仲間の一人と勘違いしている。
フルーエティは小さく笑った。
「事情は聞き知っている。会わせてもらおうか、『ルシアノ殿下』に」
「は?」
ルーノが思わず声を漏らしても、子供たちとフルーエティは向き合ったままである。ただ、その名を出したことにより、子供たちが信用したことだけは伝わった。
「それを知ってるってことは、間違いないか……」
三人のレジスタンスはうなずき合う。
「わかったよ。会わせてやる。でも、武器は預からせてもらうからな」
武器を持っているのはルーノだけ。フルーエティから与えられた真新しい剣だ。ちらりとフルーエティを見遣ると、フルーエティは静かにうなずいた。ルーノはベルトを外すと、子供の一人に剣を預けた。
フルーエティは何も持たないが、存在自体が凶器のようなものなのだから、この程度で安心するのは甘い。それでも、子供たちは大人に指示を仰ごうとしているのか、ルーノたちを促す。
「じゃあ、こっちに来て。さすがにすぐに会わせるってわけにはいかないけど、ちょっと話を聞きたいから」
会わせるも何も、殿下などという敬称を使われる『ルシアノ』という存在が、ルーノの他にいるのだろうか。国王の嫡子としてルーノが産まれた時、ルシアノという名を他者が使うことは禁じられた。ただし、それはルーノよりも年少である場合だ。年長者のルシアノまでは取り締まらない。
ただの同名か、それとも、亡国の王太子ルシアノ・ルシアンテスの名を騙る偽者か。
十中八九、偽者だろう。民間人を騙すなど容易い。このレジスタンスを利用して王座に就こうとするか。
座った途端に首を刎ねられる覚悟があるのならば止めはしないが。
ルーノを軽く見遣ったフルーエティの目が、珍しく笑ったように見えた。
子供たちは裏手で、中へ向けてぼそぼそと声をかけていた。それから施錠が解かれる音がした。レジスタンスたちは素早く中へ入り、ルーノたちもそれに続く。三人が中へ入った直後、扉は閉められた。昼間だというのにカーテンはすべて閉めきられ、薄暗い室内であった。中はムッとするほどの熱気がこもっている。
暗くはあるが、見えなくはない。狭い室内に人が犇めき合っている。そのすべてが男であった。若い者もいれば、壮年の者もいる。扉の前にレジスタンスの一人が立ち、ルーノたちの退路を断った。ルーノたちを取り囲む男たちの中にはナイフを手にした者もいた。
「いきなり信用するってわけにゃいかねぇんだよ。まずは話を聞かせてもらおうじゃねぇか」
筋骨たくましい髭面の男が、ナイフをピタピタと手の平に叩きつけて鳴らす。レジスタンスというよりもただの荒くれ者にしか見えなかった。そんな中、後ろに下がったフードの三人は叱られていた。
「お前らなぁ、この大事な時に勝手に出歩くなよ!」
本来ならば大声で怒鳴りつけたいところだろう。声を抑えているのは、潜んでいるつもりがあるからか。
「だって」
「だってじゃない!」
「でも、チェスの矢はソラールの旗を射たんだ。兵士たちの間抜け面、見せてやりたかったな」
「お前ら、そんな危ない真似してきたのか!」
などという声が聞こえてくる。
ルーノはそちらに気が削がれがちであった。フルーエティはため息交じりに言う。
「この地はティエラ王国のもの。それを正当なる王者のもとへ戻すための闘いならば手を貸したい」
「……誰から話を聞いた?」
「ダリオという男だ」
フルーエティはよどみなく答える。周囲がざわりと騒いだ。
「ダリオは兵士に捕まった」
「最近のことだろう。だから、捕まる前に聞いた」
大方、誰かの思考を読んで喋っている。この悪魔の嘘を見抜く術など、このレジスタンスたちが持ち合わせるはずもない。
「……そうか。ダリオは強いヤツを仲間にしてぇって言ってたからな。あんたら強そうだし、声かけたのかも」
と、細身の男がつぶやいた。
ルーノが預けた剣を抱き締めたままの子供は、ここへ来てフードを外した。他の二人も同様に外したけれど、そちらには目が行かなかった。
まっすぐな青い瞳が、ルーノたちを見ている。年の頃は十代半ばほどだろうか。黒髪の、整った顔立ちをした少年であった。少年の顔は庶民にしては品がある。
「仲間になってくれるの?」
少年はそう問いかけてきた。




