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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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11/80

*10

 この地を離れた歳月の方が鮮明で、幸せだった記憶は澱のようにルーノの深くに沈んでいる。

 ソラール王国に侵略された王都を見たくないという気持ちもどこかにあったのだ。道の先から王都へ近づくにつれて見えてくる景色に、ルーノは胸を詰まらせた。


 そこから見える、ひと際の高みに聳え立つ王城は、ルーノが知るものとなんら変わりはなかった。ただ、塔に立てられた旗の色が、紋章が違う――。

 あの青く輝く屋根の色も、青空によく映える壁の白さも、変わらない。強固な護りと美しさを両立した城。


 けれど、その護りを持ってしてもティエラ王国が落ちることは避けられなかった。それを父はわかっていた。早々に負けを認めたのは、いたずらに戦を長引かせ、民や土地を疲弊させないためであったのか、父自身が疲れたのか。今となってはわからない。


 いつの間にかルーノは歩みを止め、ただ遠くに想いを馳せていた。

 そんなルーノに、人に化けたフルーエティは言うのだった。


「ソラール王国は、ティエラ王国の王都ベレスの名を『コルテス』と改めた。城は今はソラール王国第二王子の居城だ。お前が取り戻すまで、この地はコルテスのままだ」


 そんな名は口にしたくもなかった。

 しかし、ティエラ王国が侵略されてそれなりの歳月が経った。この地は、ティエラ王朝の再建を望むだろうか。民はソラールに飼いならされ、尻尾を振っているのではないだろうか。

 そうだとするならば、ルーノの存在など何の意味もない。


「それを確かめてこい」


 心を読む悪魔に、ルーノは殺気を向けた。百戦錬磨の闘士であろうとも、高位の悪魔に叶うはずもなく、軽くいなされただけであったのだが。

 そんなやり取りの間、ピュルサーは不思議そうに一歩引いて眺めていた。人間嫌いの主が人間に構うのが珍しいのだろうか。


 幕壁に近づけば、当然のように番兵がいる。石を積み上げた門の開かれた箇所に番兵がおり、道行く人々の身元を確かめては通している。馬車の内部もすべて検閲する。

 近づくにつれ、ルーノはこれ以上近づいては咎められると思った。けれど、フルーエティはルーノを見ることなく、正面を向いたままで言った。


「このまま行け。立ち止まるな」


 立ち止まるなとは言っても、見るからに怪しい三人である。見咎められても、ルーノがティエラの王太子だなどと、そんなことまで一介の兵士に見破れるはずがないというのだろうか。


 心音が乱れる。今までの死闘でも平静を保って切り抜けてきたというのに。

 フルーエティの黒い瞳がふとルーノに向く。この悪魔に臆したと思われる方が、この先に待つ何かよりもずっと嫌なことに思われた。チッと軽く舌打ちして、ルーノはまっすぐに歩調を速めて進んだ。


 しかし、そんなルーノを誰も呼び止めなかった。番兵たちはそれぞれの通行人の対応に追われているせいか、ルーノたちにまったく目を向けなかった。むしろルーノの方がそんな番兵を凝視した。けれど、その視線にさえ番兵は振り向かない。番兵ばかりでなく、誰もルーノたちに目を向けていなかった。フルーエティのような目立つ男がいてもだ。

 お前が何かしたのかとフルーエティに問いたくなったルーノの口を、横から伸びたピュルサーの手が塞いだ。


「っ!!」


 ふるふる、と首を横に振る。喋るなということだろう。

 声は周囲に聞こえてしまうのかもしれない。それをルーノは理解したけれど、ピュルサーは手を放してくれなかった。どちらかといえば小柄なのに、ルーノが振り払えないほどの力である。フルーエティよりは劣ったとしても、彼もまた悪魔の将であり、ルーノが敵う存在ではないらしい。

 そんな二人に囲まれ、一体自分は何をしているのかと、そんな気になりながら門の下の日影を歩いた。



 門の影が切れると、その先は城下町の大通りである。

 賑わいだ華やかさがルーノの耳と目に飛び込む。


「もういい」


 ピュルサーがそう言って手を放したけれど、ルーノは口を利きたい気分ではなかった。

 昼の明るい太陽の下、大声で笑い、通り過ぎていく人々には悲哀など欠片も見受けられない。やはり、ルーノの父王のことなどもう忘れ、日々を生きる民ばかりなのかもしれない。

 人は軽薄なのだ。そんな民に愛着のないルーノ自身もまた薄情である。


「……今さらだしな。とっくの昔に死んだと思われてたオレが戻ったからって、別に誰も喜びゃしねぇだろ」


 故郷の懐かしさを感じたのも束の間、冷めた気持ちになるのも正直なところだ。年若い花売りの娘が台車を引きながら通りかかった。その花の香が平穏の証のようで、ルーノの心には虚無だけが広がる。

 その時、礼拝堂の鐘が鳴った。青い空に響き渡る音色。白い鳥が羽ばたく。

 通りの人々はハッとして手を組み、祈り出した。


 ルーノが城にいた頃、このような習慣はなかった。城下の民だけが行っていたとも聞かない。これはソラール王国に侵略された後に強要されているのかもしれない。

 しかし、信仰は国土を侵略するように容易く塗り替えられるものではない。ああして祈りを捧げる人々のどれだけがソラール王国が望む思想を持ち、心から祈っていることだろう。人の心だけは力では変えられない。


 愚かしいことだと、ルーノはぼうっとその光景を見ていた。

 祈りを捧げていなかったことが知られると、何かとうるさく咎められたりするのだろう。皆、型通りには祈っている。

 そんな中、何故だか荒々しい複数の足音がした。


「そっちへ行ったぞ! 追え!」


 誰かが追われている。それだけは立っていただけのルーノにもわかった。

 ただ、逃げているのは一人ではなかった。三人ほどのフードを被った男が通りを横切る。その慌ただしさに、黙祷していた人々も目を開けていた。三人を追っていたのは、兵士たちであった。兵士に追われるのならば、何かをしたのだろう。

 通り過ぎていった彼らと兵士の足音が完全に消える前に、ルーノはフルーエティに訊ねた。


「あれは?」


 フルーエティは一拍置くと、表情を浮かべずに唇を動かした。


「あれは――レジスタンスだな。ソラール国旗を矢で射て逃げる際中らしい」


 それはまた、白昼堂々勇気のあることだとルーノは少なからず驚いた。

 そして、ソラールの旗に弓を引くのなら、この現状を不服としている。そうした者もいるのだと安堵もしてしまった。


「レジスタンスか。どういう意志を掲げて活動してるんだかな」


 興味をそそられた。それをフルーエティはすぐに察知する。


「気になるなら会ってみればいいだろう?」

「居場所なんて知らねぇよ」


 と言ってみたものの、フルーエティにかかればそんなものはすぐさま調べがつくのだろう。


「まあな。少なくとも走っていった方角に隠れ家はない。レジスタンスの隠れ家は――西通りの民家だな」


 兵士を撒くためにでたらめな道を走って逃げたようだ。ご苦労なことだ。


「今から向かうと先回りできそうですね」


 ピュルサーがぼそりと言った。それに対し、フルーエティがうなずいてみせる。


「ああ、なかなか面白いことになりそうだな」


 などと言って不吉に笑った。


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