第80話 サリカの町の聖教と昌長の意思
カレントゥ城下町サリカ、聖教神官居館
サリカの町の外れに設けられた聖教神殿。
その居館の中の主室にエウセビウスがどっしりとしたその尻を落ち着けていた。
そして、傍らに控えるのは、その配下であるところの聖教の神官達である。
「やっかいなことになったわい」
嘆息するエウセビウスの気持ちも尤もであろう。
タゥエンドリン王という亜人王と密約まで結んで仕掛けたカレントゥの乗っ取り策が頓挫したのだ。
亜人排斥を教義に設ける聖教として正に危ない橋を渡ったのだが、その成果は無かった。
タゥエンドリンやこのグランドアース大陸全体で見ればそれ程大きな力を持っている訳ではないが、平原人に受け入れられやすい素地を持っている聖教。
それは教義に平原人こそがこのグランドアース大陸の支配者種族であり、他の人族は平原人に数段劣るというものがあるからである。
平原人の国家であればいざ知らず、大陸中央部から東部に掛けて平原人は少なく、少数派である現状が平原人の聖教への傾倒を後押ししていたのだ。
そこに現れたのが月霜銃士爵の的場昌長と、彼の者が率いる月霜銃士隊である。
平原人である昌長はマーラバントのリザードマンを撃破し、タゥエンドリンの爵位を手に入れ、青竜王と結び、大河水族を従えて逆撃に出て来たマーラバントを撃破して討ち滅ぼした。
タゥエンドリンやその周辺のドワーフやエルフ国家において、決して良い環境にいなかった多数の平原人達は、自身と同じ平原人であるマトバ・マサナガの活躍に大いに励まされて希望を持ち、自信を持った。
自分達平原人でもリザードマンや竜を討ち、森林人や坑道人に比する活躍が出来るのだ。
平原人達がそう言う思いを強く持ったのである。
聖教の神官達は昌長達の名声を大いに、それでいて勝手に利用し、少数派の地位に甘んじる他なかった平原人を密かに糾合し、月霜銃士爵領へと潜ませた。
それでなくともカレントゥ城に平原人は集まりつつあったので、自主的に集まった平原人を教化して味方にも付けた。
最後の仕上げに聖教側自らが軍を催してカレントゥ城へ進駐しようと試みたが、昌長が討って出ただけでなく、蚕興国を主体とする聖教軍を撃破してしまったことでその計画は半ばで果たせずに終わってしまったのである。
「それではトゥエルンスレイウンからの援軍は、よりによってマサナガに阻止されてしまったと言うことじゃな?」
エウセビウスは聖都から派遣されてきた大神官グレゴリウスの使者を引見し、その口上を聞いてから再確認の質問を発した。
使者は特に悪びれるでもなく、簡素に返答する。
「はい、誠に申し訳ございません」
エウセビウスが帯同し、現在このサリカの町において聖教の財務や庶務を担っている神官達が憤るが、エウセビウスは部下達の憤りを知ってか知らずしてか、穏やかな声色で問う。
「それで大神官様はカレントゥ城とマサナガめをどうなさるおつもりか?」
「現在、聖都に周辺の聖教諸国から軍兵を再度集めているところでございます。軍兵が整い次第、再びカレントゥ城へ送り込むとのことでございました」
使者の淀みない答えに、エウセビウスはグレゴリウスが月霜伯の力の源泉を手に入れることを未だ諦めていないことを理解した。
「ほう、まだこの地を目指しなさるか」
驚きの声を上げるエウセビウスに、使者は無言で頷く。
しかしエウセビウスから見ても策が稚拙すぎる。
1回失敗した策をもう一度、それも失敗の原因を究明せず、考慮もせずに実行するというのは愚かと言う他ない。
何か策があるのだろうか?
自分であれば利あらずと早々に撤退を決めるところだが、さすがに聖教の悲願である平原人の地位向上と大陸制覇の糸口を掴みかけた状態では諦めが付かないのか、大神官グレゴリウスは執念深くその糸口の大本である的場昌長とその武力の強い原動力となり得るカレントゥ城を手に入れることを狙い続けている。
ここで諦めるという選択肢は、グレゴリウスに無いようだ。
しかしながら、そうは言ってもエウセビウス自身は元より、その部下達の命や財産が損なわれてしまうのであれば本末転倒だ。
宗教組織でありながら、現実世界における世俗的な権限も持つ聖教。
その聖教組織に属する者達も、宗教人ではあるが同時に大俗物でもある。
エウセビウスは使者の回答を聞き、それからゆっくりと息を吐き出す。
昌長は、非常に厄介な将だ。
その昌長を押さえ込めというのが今回のグレゴリウスからの司令だが、そう簡単に事が運ぶはずもない。
それどころか援軍の失敗で聖教の本当の意図が知られてしまった。
当然マサナガが戦地から戻ってくれば、聖教の行動の理非を厳しく問われるだろう。
今までのように曖昧な態度は許されまい。
「1つ問いたいのだが、兵は集まりそうか?」
エウセビウスの再度の質問に、無表情だった使者の顔が歪む。
そして、しばらくためらった後、ゆっくりと答えをため息と共に吐きだした。
「正直に申しまして、分かりませぬ」
「分からないとな?」
驚いた様子を見せるエウセビウスに、使者が益々顔を歪める。
そして、再度溜息を吐きながら、使者は言葉を慎重にはきだした。
「はい、軍兵の優れた国へは最初に声を掛け、限界一杯の兵を供出させ、蚕興国からはそれに加えて灌三丈将軍を出させましたが、月霜銃士爵に迎撃されて上神官カンナビス殿と共に行方不明。兵がまだ残っているのはいずれも強国とは言い難い諸国です。それで何処までやれるのか、正直に申しまして全く分かりません」
使者の説明に納得しつつも落胆の表情を見せるエウセビウス。
現に蚕興国を中心とした聖教軍を昌長は完膚無きまでに叩いた。
聖教軍を率いていたカンナビスも討たれたという。
熱走王とか言う訳の分からない化け物に相当引っかき回された挙げ句の敗北であり、昌長はあろう事か聖教の上神官であるカンナビスを討ち取った。
理由はどうあれ昌長が明確に聖教に敵対した証になる。
但し現実的な問題として軍事力に劣る国々がいくら兵を出したとしても、昌長に対して何処まで役に立つか分からない。
聖教内で昌長との敵対姿勢をとることに懐疑的な者は、当の本人が明確に敵対意思を表明したことから一掃されるだろうが、逆に言えばそれだけだ。
実行力とも言うべき武力が、聖教には圧倒的に不足している。
しかもこの場所も何時まで維持できるか分からない。
ただ、聖教としてはエウセビウスがようやく押さえた情報収集拠点とも言うべき居館を放棄するつもりはなく、放棄どころかあつかましくもサリカの町を梃子にして聖教勢力の伸張を図る目算なのだ。
その方針は今後も変えないと言うこと、そしてエウセビウスにしばらく堪え忍ぶことをグレゴリウスは期待していた。
そしてその期待を伝えに来たのが、エウセビウスの目の前にいる使者という訳だ。
「なるほど、あくまでもこのカレントゥ城とサリカの町を手に入れるつもりであると、大神官様はそう考えておられると言うことじゃな?」
「はい、そのとおりでございます。この地は平原人の大陸制覇を容易にするために必要不可欠であると……大神官様はそう仰っておりました」
使者から満足のいく回答を得、エウセビウスは安堵のため息を心の中でつく。
下手をすれば裸一貫でサリカの町から逃げ出さなくてはいけないところだったが、聖教がここの居館をあくまでも維持する方針をとるのならやりようはある。
「あい分かった、それでは我らは月霜銃士爵の失脚と情報収集、月霜銃士爵領への浸透に主眼を置いて行動するとしよう……それから、参考品となる雷杖はすぐに用意させるわい」
「よろしくお願い致します」
エウセビウスの言葉に、今度は使者が心の中で安堵のため息をつく。
打算的なエウセビウスに居館を維持させることも大きな役目だったが、月霜銃士爵軍の力の源である雷杖を持ち帰るのも負けず劣らず使者の大きな役目であったからだ。
ひょっとしたらエウセビウスは自分の価値を高め、聖都から確実な援軍を得るために雷杖を出し渋るかも知れないとも考えられたのだが、それは杞憂に終わったようだ。
そんな使者の様子を見て、エウセビウスは居並ぶ神官の中にいたエクセリアと木箱を持った配下の神官兵士達を前に進み出る出す。
そして使者とエウセビウスの前で、その箱を開かせた。
「おお……これが」
「雷杖じゃ。入手には相当の犠牲と金銭が掛かった、疎かにしてくれるでないぞ?」
「無論ですエウセビウス殿、大変に感謝致します……おい、慎重に運べ」
使者が自分の配下の兵士達に命じ、エクセリアの手で閉じられた箱を丁寧に運び出す。
その後ろ姿を見送り、使者は振り返ってエウセビウスに頭を垂れた。
「それでは失礼致します」
「道中は危険が伴うじゃろうからの、十分気を付けて行かれるが良い」
本来は敵国であるタゥエンドリンを抜けていくのだ。
エウセビウスの掛けた言葉は決しておかしなものではなかったため、使者は丁重に礼を述べて立ち去った。
その姿を目を細めて見るエウセビウス。
「獣人奴隷を使いなさい……サリカからそれほど距離を置かなくても構いません」
「ははっ!」
「トゥエルンスレイウンへの使者は別に立てるようにせよ」
「承知致しました、直ちに準備致します」
エクセリアが配下の兵士に命令を下し始めたのを見て、エウセビウスは満足そうに頷くと、どっかりと椅子に深く腰掛け直して言った。
「哀れな使者殿じゃ……が、そう易々とわしらの優位を渡してなるものか」
一方、カレントゥの城下町も活気ある様相を見せていた。
もう夕方も近いというのに、商いを諦める様子の無い商人達や、買い物を楽しむ人々に生活必需品や食材を求めてやって来る人々は、途切れる様子が無い。
工房では武具が鍛えられ、生活雑貨が製造されている。
全てが活気に満ちており、カレントゥに集った民達はタゥエンドリンの混乱の始まりを知っていながらも昌長らの勝利を信じて疑わず、この活気ある日常が続くことを信じ、願っているのだ。
訓練を終えた兵士達が町中で買い物をしたり食事をしたりしているため、その経済効果も大きい。
そんな喧噪を眺めてゆっくりと、そしてうっすらと笑みを浮かべ、昌長はカレントゥ城の周囲を見回す。
何処をみても日の本の地形や風景は無く、あくまでも異なりし世界の山野と町並みが広がるばかり。
改めてこの場所が自分達の慣れ親しみ、家族と共に暮らし、そして戦塵にまみれて駆け回った日の本とは違うことを思い知らされる。
しばらく周囲の風景を眺めていた昌長が、ぽつりと独り言をこぼす。
「こっちへ来た時のことが思い出されるわえ」
天下人となりつつある強大な豊臣秀吉に抗い、最後の奇襲を掛けようと試みた同志たる雑賀武者達はどうなったのだろうか。
戦場に倒れた者もいるが、今回の紀州征伐で恐らくそのほとんどが命を落としたであろう。
「紀州人の悪い癖が出たんやろうなあ……」
独立独歩の気風が強過ぎる紀州人。
何もこのような時に発揮せずとも良いのにと昌長は思うが、これもまた運命か。
しかしながら本来その豊臣秀吉の紀州征伐で命を散らしているはずの自分が、この世界で生き存え、そして着実に権力者への道を歩んで来ている。
それもまた運命。
命を落としたであろう雑賀武者達のために、そして何より滅びたであろう雑賀のために、自分はこの地で成し遂げるべきことがある。
そしてその最大の障害となっている、聖教を始めとする強力な敵を討たなければならない。
「みんなでここまで来たんや」
廃地を接収し、エンデの地を取り戻し、青竜王を解放してサラリエルと盟約を結び、未開地を開発しつつマーラバントを撃ってその国土を手に入れ、ハーオンシア地方を切り取ってリンヴェティを屈服させた。
このままいけばタゥエンドリン全土を自力で切り従えることも夢ではない。
しかも敵は豊臣秀吉ではない。
まだ抜きん出た統一勢力が存在しない、グランドアース世界なのだ。
付け入る隙はいくらでもあるはずだ。
沈む夕日を背に、昌長は楼台を下りるべく踵を返した。
まとった陣羽織の錦が翻り、夕日の赤い光を浴びて静かに、しかし鋭く光を放つのだった。




