第69話 ハーオンシア河畔の戦い3
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どうしてこのような目に遭うのか?
上神官として順風満帆の人生を歩んでいたはずが、まさかの転落。
聖教の軍を率いるように言われた時、手を上げた自分が悔やまれるが、あの時は更なる出世への糸口と感じたのだ。
自分の選択は間違っていなかったはず。
全てを狂わせたのは、異邦の将官であるマトバマサナガとその一党だ。
奴らが自分達に従っていれば、このような森林人を王に頂く異境の地で這いずり回らずとも済んだのだ。
率いていた軍を全て見捨てて逃げ帰ることが出来ればよいが、自分は全ての功績と地位を失ってしまうことになるだろう。
聖教の大神官グレゴリウス肝煎で各国から兵や将、物資を集めた今回の遠征が失敗に終われば、聖教の更なる権威低下は避けられず、その責任をカンナビスが取らされるのは言うまでもない。
栄達を目指して慣れない軍事行動に身を投じたが、それも今正に全てが無駄になろうとしている。
平原人でありながら聖教に従わないマトバマサナガへの逆恨みとも言うべき怨念がカンナビスの中に満ちる。
「お、おのれっ……マトバマサナガめっ……!」
目もくらまんばかりの怒りと、陥れられたことに対する怨恨が、カンナビスを染める。
その時、仰向けに寝転ぶカンナビスの耳朶を、低く不吉な声が打った。
『妬ましいか?羨ましいか?恨めしいか?』
「なっ……何っ?」
驚いて首を上げようとするカンナビスの首元、上方から押さえ付けるのは、鱗で覆われた鋭い爪を生やす4本の指。
そして、その顔をのぞき込んだのは、闇色の瘴気をまとった、巨大な駝鳥の首。
巨大駝鳥の目が黄色に光り、驚愕するカンナビスの瞳孔を射貫く。
『我は熱走王……我を怨嗟の炎にて解き放て』
「あれが大将かえ。ほな一発喰わしちゃろ」
昌長は正面で見合った騎乗の老将がこの部隊の要である事を察し、静かに火縄銃を構える。
そして周囲の喧噪を余所にひっそりと、そしてゆっくり静かに引き金を落とした。
昌長の構えた火縄銃が自分を指向していることを見て取り、灌三丈は背筋に強い怖気を感じると同時に、その正体にはっと気付く。
迫る殺気と悪寒。
「うぬっ!」
灌三丈が同時に馬の腹に自分の身体を滑り落とすようにして沿わせた。
その瞬間、昌長の火縄銃から真っ赤な閃光と白煙が噴き上がり、次いで轟発音が轟くと同時に狙い澄ました一撃が灌三丈を襲う。
「ぬぐっ!?」
「灌将軍!」
側近が悲鳴を上げると同時に、灌三丈のこめかみから血が噴き出した。
馬の影に身体を滑らせる途中に昌長の放った銃弾を受けたのだが、幸いにも初動が早く、額のど真ん中を狙った昌長の銃弾はこめかみをかすっただけに終わった。
護衛兵が呼び集められ、灌三丈が射程外に退いていくのを見て昌長は悪態をつく。
「ちっ、勘のええやっちゃ!」
一方の灌三丈は錏や結び緒が千切れ飛んだ兜をそのままに叫ぶ。
「湿地帯の入り口まで後退せよ!歩兵は左右に分かれ大盾を構えるのだ!騎兵は1列で道の真ん中を駆け抜けよ!先行した騎兵は陣を構えるのだ!」
灌三丈が素早い撤退に方針を切り替えたことを知り、昌長は不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、敵の大将は逃がしてしもたが、まだまだ終わらんで?」
そう言うと昌長は後方の義昌に頷くと、義昌も頷き返して自分の火縄銃に鏑矢型の棒火矢を差し込んだ。
そして銃床を地面に付けて筒先を空中に向けると、引き金を無造作に引く。
鏑矢と同じ形の棒火矢が撃ち出され、独特の甲高い音を発しながら空高く上っていく。
その合図と同時に、湿地帯の藪という藪、土塁という土塁、林という林から一斉に火縄銃の閃光がきらめき、轟発音と白煙が噴き出した。
湿地帯の間道を囲む左右の茂みや土塁、あるいは藪の中からひっきりなしに銃声が轟き、閃光と白煙が発せられる度に蚕興国を主体とした聖教軍はばたばたと人馬の区別無く撃ち倒される。
敵の姿は全く見えず、目に映るのは閃光と白煙、そして次々と倒されていく味方の姿だけだ。
聖教軍はすっかり戦意を失い算を乱して後退しようとするが、逃げ道は間道のみであり、また周囲は進退に著しく不自由を来す湿地。
人馬が一斉に逃走を図り、ごった返した場所を狙って轟発音と共に鉛弾が飛来する。
悲鳴と絶叫に人馬の倒れ伏す音が重なり、血飛沫と泥土が跳ね上げられて宙を舞う光景は煉獄の有様を呈していた。
「退けえい!湿地帯の入り口まで退くのだ!」
灌三丈は逃げ惑う味方の中で、声を涸らしつつ何とか戦意を保っている兵達をまとめ上げると、大盾を左右にかざさせて後退を続ける。
無駄と分かっていても心理的に何か物に守られているというのは心強い。
歩兵を細い間道の左右に配し、騎兵を先行して後退させる灌三丈の指揮により、ようやく湿地帯の際まで後退がかなった聖教軍。
しかし既に戦意と体力は失われ、また軍自体も大きく傷付いていた。
「損害を報告せよ!けが人は程度の酷い者を優先して後方へ送れ!」
すぐに軍を掌握すべく灌三丈が各部隊に指令を飛ばし、負傷兵の切り離しを図る。
湿地帯の後方、メテルシセスとハーオンシアの境にある関所は聖教軍が進軍の際に押さえており、十分とは言えないが医療品や食料品などの物資もある。
灌三丈は負傷して戦力と成り得ない兵を関所まで先行して後退させることにしたのだ。
「逃げてきた馬は出来るだけ確保せよ!余裕のある者は周囲の村落から荷馬車を徴発してくるのだ!急げ!」
「はっ!」
灌三丈の指揮を受けて兵達が周囲に散り始める。
負傷兵が乾いた土地の上に敷かれた天幕へ横たえられ、簡易的な治療を受け始めるが圧倒的に物資も人手も足りない。
おそらく重傷者はこの場で死んでしまうことになるだろう。
うめき声を上げて包帯を巻かれている兵を沈痛な表情で見つめている灌三丈の背中に、叱声とも取れる声が掛けられた。
「灌将軍!敵が追撃してくるかも知れません!その様な悠長なことをしている余裕はないと思うのですが、如何!?」
灌三丈の指揮に聖教派の小国から派遣されてきている部隊長が異見を唱えるが、灌三丈は振り返ると厳しい顔で首を左右に振る。
「追撃はあるかも知れぬがすぐではない。少なくとも我らが態勢を整え、退却するのであれば敵は追撃しない可能性が高い」
「異境の民や森人、抗人、小人ごときがその様な深き思慮をするとも思えませんが……」
「待ち伏せている場所は分かりました!不信心者の卑怯な振る舞いにこのままむざむざ後退する訳にはいきません!敵の追撃を跳ね返し!今一度攻めましょう!」
「まともにぶつかれば、神のご加護を受けている我らが不信心なる異人共に負けることなどあり得ませんからな!」
これだけの大敗を喫していながら未だ敵を侮る発言をする別の隊長を見て、灌三丈はため息をつく。
しかも相手に対する判断基準が軍事的才覚や兵の強さ、兵器の質といったものではなく、あくまでも聖教の信徒であるか否かというものである。
聖教派の国がすべからく小国で留まり、大国へ成長出来ない理由が垣間見える。
聖教同士で争うことが厳に戒められているのが理由であると信徒達は思っているようだが、それは違う。
盲目的な聖教派の国々は判断の基準を聖教に求めているが故に、正しい情勢判断や情報収集が出来ないのが大きな理由だ。
たとえ戦になったとしても正面からぶつかるしか能の無い、実に愚かしい国が多いのである。
唯一総本山を有する聖教国だけが謀略に長けているが、それも硬軟併せた政策ではなく、聖教を大陸に布教し聖教が配している他人族の排斥を行うためのものであるため、一時的に成功しても長い目で見た政治勢力の伸張や聖教の浸透には繋がっていないのが実情である。
灌三丈は聖教の信徒であるが、盲目的ではない。
他から盲目的と言われるほどでなければ出世出来ない聖教派の蚕興国では、珍しい型の高位軍人なのである。
聖教の篤い信徒でなければ出世出来ないのは他の聖教派の国でも同様で、それ故に今この時に至っても冷静で客観的な判断が出来る者は灌三丈以外にいないのだ。
本来ならば信仰が他の将軍や隊長より篤くない灌三丈が聖教軍の総指揮を執ることは出来なかったのだが、聖教の最高位にあるグレゴリウスが軍事的才覚に優れたる者をと言う特注付の書状を蚕興国に寄越したことから彼が総指揮官となった。
尤も灌三丈自身はこの無謀な作戦に異を唱えており、また実質的には総指揮官でも、名目的にはカンナビスという最高指揮官が別におり、決して全てが灌三丈の自由になる訳でもない。
正直言ってやる気の出ない戦だ。
ただ灌三丈自身、聖教派の他国から派遣されてきた将官達よりも自分の指揮能力の方が数段ましであるということは自覚していたので指揮権は譲らなかっただけのことである。
本来なら辞退しても良かったのだが、その後自分や家族が被るであろう不信心者や背教者と言った悪名や、それに伴う数々の不利益と兵達の不遇を思うと辞退はとても出来ない。
灌三丈はやむを得ず火中の栗を拾ったのである。
その灌三丈。
負け戦にも拘わらず何故か意気軒昂な将官達を見回してから再度深い深い溜息を吐く。
「諸兄らは現状を正しく理解しているのか?」
「な、なにっ?」




