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第65話 聖教軍進撃1

 カレントゥ籠城戦から5か月あまりが経ったカレントゥ城の望楼。

 見える範囲においてサリカの町の復興はほぼ終わている。

 周囲の湿地帯は続々と開拓されて水田となり、その周辺の丘陵地帯は森林人の樹林農業の場となっており、またリザードマン達による街道として使われていた水路は農業用水路へとその姿を変じていた。


 水田や水路では子供を伴った獣人達が農事に勤しんでおり、樹林農地には森林人達が椎や樫、胡桃や橡などの堅果木に梯子を掛けて剪定や除虫作業をしている姿があった。

 視線を手前に転じれば、町中は真新しい建物で埋まり、街道は綺麗な石畳が敷き詰められ、商人や職人、更にはその家族達の行き来が活発に行われている。

 時折兵士が街道を通るが、声援らしきものを送られている風景こそあれ、誰も彼もが笑顔であり、そこに不安の様子はない。


 戦乱は未だ続いているものの、昌長ら月霜銃士爵に対する強い信頼がこの地の安定と発展に大いに寄与しているのだ。

 そんな光景を緩い笑顔で眺めていた昌長の背後に、フィリーシアと護衛役のリエンティンが現れる。


「何かあったんかえ?」


 振り返った昌長が声を掛けると、フィリーシアは無言で頷くのだった。







「ほう、聖教の旗を掲げてなあ」

「あろう事か堂々と聖教軍がタゥエンドリンの国土に踏み込んできたというのであれば、これは由々しき事態です」

「まあ、でもこっちを目指してるかどうか分からんよってなあ」


 一通りの説明をおえたフィリーシアだったが、昌長の言葉に怒りの勢いを削がれる。

 カレントゥ城の外縁近くに設けられた望楼で周囲を見渡して今後の展望を思案していた昌長の下を訪れたフィリーシアとリエンティンは、たった今もたらされた重大情報を急ぎ伝えるためにわざわざ足を運んだのである。


 現在のカレントゥ城は手薄だ。


 湊高秀はカレントゥ城でマーラバント軍を撃破した後、岡吉次が率いていたエンデ方面軍1100名の兵を基幹とし、招集した臨時兵を選抜して2000名の軍として編制し直したものを引き継いだ。

 その後、碧星乃里に停泊していた軍船5隻と水兵500を加えてエンデの東端、かつての東エンデ州の大河中央湖口付近に存在したエウル=エンディアという港湾都市の廃墟を拠点とし、対岸のゴルデリアや大河を通じてリザードマン国家であるコーランドやその北にある、同じくリザードマン国家のシンランドに睨みを利かせることになっている。


 エンデ方面軍を湊高秀に引き継いだ岡吉次は、新たに編制された獣人主体のマーラバント戡定軍を率いて、マーラバントの領土へカレントゥ籠城戦後間を置かず侵攻し、これを順調に切り従えている。

 岡吉次に預けられたのは600の獣人銃兵を主体とした総勢2000あまりの軍。

 大河を大河水族の支援で渡河した岡吉次は、そのままマーラバントの領域に進軍。

 マーラバントに住まうリザードマン達は激しく抵抗している様子だが、既に王を始めとする主要な戦士長がカレントゥ城で討たれているために組織立った抵抗が出来ないまま次々に撃滅されている。


 行き場を失ったリザードマン達は慣れない陸に上がり、更には山脈を越えてコーランド目指して逃れているとのことだ。

 しかし水辺から離れたリザードマン達の足は遅く、獣人兵の追撃に全滅しかねない勢いで討たれており、また陸路で遭難して死ぬ者も多い。

 強勢を誇ったリザードマン国家マーラバントは終焉を迎えようとしていた。

 そんな最中、敵かどうか判然としない聖教の軍勢がタゥエンドリンの領土に侵入したと言う。


 昌長には聖教と敵対しているつもりはないものの、要求についてはその尽くをはね付けている自覚はある。

 平原人至上主義を掲げて亜人排斥を唱える聖教にとって、見た目が平原人の昌長がエルフやドワーフ、獣人や竜と組んで勢力を拡大するのは極めて都合が悪い。

 仲良くする理由や支援を受ける理由は一つも思い浮かばないが、敵視される理由は思い当たるだけでも片手の指だけでは足りるまい。


「直ちに聖教の軍をタゥエンドリンから退去させなければなりません」

「ほやけど、そっちの王さんからの連絡はないのやろう?」


 再び勢いを削がれ、苦い顔でフィリーシアは言葉を発した。


「王どころか……王都から連絡は一切ありません」

「ニレイシンカ族長やったか?そっちからの報せやちゅうしなあ……こっちからもユエンに頼んで猫忍ねこにんを放つか……」


 フィリーシアの言葉に昌長はつぶやくように言う。

 特に身体能力に優れた猫獣人系の獣人達を選抜し、昌長は忍者の育成に掛かっているのだが、持って生まれた能力の凄まじさのせいか、彼ら彼女らはめきめきと腕を上げ、技に磨きを掛け、今や戦国の世に在った日の本の忍者に負けない程の能力を持つに至っているのだ。

 その頭とも言うべき碧星乃里の長であるユエンは、自身が最も強力な使い手となって配下の獣人達を従え、各地に散って情報収集にあたっている。

 しかしいくら優秀であるとは言え育成が始まってまだ間がなく、その数は広いグランドアース世界において十分とは言えない。


 故に今は主にエンデ地域やその北のマーラバント、更にはタゥエンドリンの王都周辺に猫忍が派遣されており、それ以外の地域には主要な都市などにごく僅かな数が派遣されているだけとなっているのだ。

 ただ、交代要員や忍返し要員としてカレントゥ城に詰めている者達が居るので、それを派遣することは出来る。


「おい」

「……はっ!」


 昌長が声を掛けると、望楼の屋根から猫獣人がさっと飛び降りて来て礼をとる。


「ユエンにハーオンシアの聖教軍の動向を探るように言うて来てくれやんか」


 驚くフィリーシアやリエンティンを余所にして、黒装束で身を包んだ猫獣人に声を掛ける昌長。

 昌長からの指示を聞いた猫忍は静かに頷くと、音も立てずに姿を消した。

 呆気にとられているフィリーシアとリエンティンに昌長は続けて問う。


「ハーオンシアの森林人は、聖教に対してどういう感情を持っちゃあるんよ?」

「聖教の排他的な性質もありますが、良い感情は持っていないと思います。各地で徴発もしているようですし……」


 自分の問いにイマイチ歯切れ悪く回答するフィリーシアに、昌長は不審を抱く。


「何や?歯切れ悪いな姫さん。何ぞ隠し事かえ?」

「ふん、大方小人族おおかたしょうじんぞくや平原人のことを気にしているのであろ」


 昌長の言葉に答えたのは、よっこらしょと人間の姿で望楼に登ってきた青竜王アスライルスであった。


「おう、青竜王殿」

「青竜王様っ」


 にっと笑みを浮かべて言う昌長と、驚くフィリーシア。

 アスライルスは嬉しそうにはにかみながら、しかし羞恥の交じった声で昌長に言う。


「うむ、久しいの昌長。お、お主の言うとおり、竜の姿で……は青焔山でして来たっ」

「それはご苦労やったな。助かるわ」

「マ、マサナガの為だ、恥ずかしいが仕方ない……それはそうと、マーラバントとの戦いには参加できずに済まなかった」

「ああ、聞いてるわ。しゃあないやろ、大分難儀やったな」


 アスライルスの謝罪に労いの言葉を返す昌長。

 その言葉に申し訳なさそうな顔でアスライルスが更に言う。


「まさかこの時期に竜王会議が開かれるとは……まあ、議題は黄竜めのことであったからのう、妾が出ぬ訳にもいかぬ」


 黄竜王が討たれたことを知った他の竜達が昌長の存在を危険視し、急遽竜王会議の開催を呼び掛けたのである。

 世界の平穏を守るために世に生み出されたとされる竜王。

 かつては白竜王、黒竜王、赤竜王、橙竜王、黄竜王、緑竜王、青竜王、藍竜王、紫竜王の九竜王が存在しており、その内現在まで生き残っているのは、先頃昌長に討たれた黄竜王も除いて白竜王、黒竜王、赤竜王、緑竜王、青竜王 、紫竜王の六竜王だ。


「ふん、結局は黄竜の死の顛末が知りたいだけで何もなかったわ。下らん」


 他の竜王から青竜王アスライルスを責める言動はなく、ただ単に黄竜王が死んでしまった顛末を説明させられただけだったのだ。

 現在の竜王達に世界の平穏などを守る気はない。

 既に成熟した世界を守る意味はないと見極め、成り行きを見るだけ。

 そんな中で黄竜王と青竜王だけが人の世と関わりを持っていたのだが、その関わり方については相反するところであるのは言を待たない。


 ただ、人の世を圧した黄竜王が討たれたことに他の竜王達は興味を示した。

 世の移り変わりを肌で感じたと言っても良いだろう。


「人の、しかも平原人が竜王を討ったということに大層驚いておったわ」


 一方の青竜王はそんな竜王達に対して鼻高々に説明をしたらしく、今も鼻息が荒い。

 そしてアスライルスはふんと鼻息を1つ吐くと、目をすがめて居心地悪そうなフィリーシアを見ながら口を開く。


「しかしそれはさておき、フェレアルネンの娘よ、正直に言うてはどうだ?」


 アスライルスが敢えてレアンティアの娘ではなくフェレアルネン王の娘であると言うことを強調し、意地悪そうな声色で言うと、フィリーシアがぴくりと肩を振わせた。

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