第59話 カレントゥ城籠城戦5
陸地におけるリザードマンの移動速度は、はっきり言って遅い。
その鈍足のリザードマンを撃退するべく昌長らは交代で追いすがってきたリザードマンに射撃を加えては後退するという戦法を繰り返していた。
先頭に出た戦士が近付けば閃光と轟音が響き渡り、きっちり1名ずつがあの世へと送られる。
しかし次第に追撃に加わるリザードマンが多くなり、昌長は3名と2名の2交代の編成に変えて対応するものの、射撃間隔が開いてしまったことによってかえって追撃を激しく受けることとなってしまった。
「どしぶといやっちゃ!きりないでえ!」
「わかっちゃあらいしょよ!」
「文句言う暇あったら走れ走れ!喰われてまうでえ!」
何度目かの射撃を終え、リザードマンを撃ち倒した鈴木重之の怒声混じりの言葉に義昌が応じ、昌長も負けじと怒鳴り返す。
声が大きいのは決して怒っている訳ではなく、火縄銃の発砲音とリザードマンの喊声で言葉がかき消されがちなためである。
「統領!あいつら包囲するつもりですわ!」
後退する昌長達を待っていた芝辻宗右衛門が火縄銃を構えたまま怒鳴る。
カレントゥ城目指して逃げる昌長がその声に気付いて周囲を見れば、リザードマンの大軍が左右に広がっている様子があった。
しかしその足はやはり遅い。
「ちっ、面倒くさいことやっちゃあらいしょ!走れ走れっ」
昌長は宗右衛門の脇を駆け抜けながら早合を使用して火縄銃に弾を込める。
「……撃て」
その直後、火縄銃を構えていた宗右衛門と照算が照算の号令で発砲した。
轟音と白煙が立ち上り、先頭を駆けていたリザードマン戦士が撃ち倒される。
照算らはその戦果を確かめることもせず発砲を終えた瞬間、弾かれように後方へと走り出していた。
照算は先を行く昌長に追いつくと、重々しい声で言う。
「……薩摩の島津がようやる戦法しかないで」
「捨てがまりかえ、わいは好かんな。捨て石は使わん」
昌長は走りながら苦々しい顔で応じる。
その合間に湊高秀が2丁の馬上筒を後方に放ち、リザードマン戦士達を倒した。
雑賀衆は海上交易で財を成し、戦略物資を手に入れてきた。
その重要な航路の一つに薩摩の坊津が含まれる。
倭寇として中国大陸へ出て行く時や、交易を行うべく寧波や琉球へ行く際に中継地点として雑賀衆の船舶は必ずと言って良い程立ち寄る。
もちろん、その際に交易を行うこともあるし、薩摩の商業従事者が交易相手となることもある。
雑賀衆はその武名とはまた別に、商業の世界においても有名であり、また大きな利益を上げていることから、各地の大名勢力との繋がりを持っていた。
その薩摩の戦国大名の島津氏が好んで使用する戦法の一つに、捨てがまりと称される伏兵戦術がある。
はっきり言ってしまえば、伏兵で敵を足止めすることにより、本隊や重要人物を逃れさせるという作戦で、残された兵はまず間違い無く敵に襲われる。
いわゆる小を捨てて大を生かす捨て身の戦法なので、元来仲間意識が強く、また上下関係よりも横の連帯が重視される雑賀衆には馴染まないものだ。
普通の武士とは少し毛色の違う雑賀衆が取る戦術ではないが、戦法自体は島津氏と懇意な雑賀武者から雑賀の地へともたらされており、その有用性と危険性は誰もが知っているのである。
今のままでは鈍足とは言え大兵を有するリザードマンの軍に包囲されてしまう。
それを防ぐために途中で激烈な抵抗を示し、リザードマンの追手を引きつける者が必要だ。
その目的に最も適した決死の戦法を今、この場面で使おうと照算は提案していた。
しかし昌長はそれを明快に否定する。
「いや、ここはもう逃げの一手や。反撃はここで仕舞いにして城目指して走れ!あ奴らは足遅いよって何とかなるわ!」
その言葉で昌長を先頭に雑賀武者達は傭兵稼業で鍛えた逃げ足を遺憾なく発揮し、一気にリザードマン戦士達を引き離しに掛かった。
包囲しようと広がっていた戦士達は、それまでの反撃を捨てていきなり速度を上げて逃げ始めた雑賀武者達の行動に戸惑い、行動が鈍る。
それでなくとも周囲へ広がりつつあった戦士達は、既に乾燥した陸を長距離移動しており足が鈍っている。
逃げの一手を打った雑賀武者に追い付くことは最早不可能だ。
「手強い上に……しぶとい奴らだ、普通の平原人ではないな?」
荒い息をつきながら、泥と傷にまみれて戦士長が言う。
たった6名にここまで苦しめられるとは思わなかった。
見れば見るほど奇妙な出で立ちと風貌。
自分達も異質だが、この奇妙な平原人はそもそもグランドアースの習俗とはかなり変わった習俗を持つ者達である事が分かる。
服装や思考形態、戦いにおける戦術、どれを取っても平原人の使うものとは違う気がする。
しかし今この戦士達を考察している暇は無い。
「逃げられてしまっては仕方ない……本陣へ戻るぞ」
戦士長の命令で戦士達が動き出した。
昌長が息を切らせながら後方を見れば、残った雑賀武者達が無言で続いていた。
しかし更にその後方では、リザードマン戦士達が背を向けているのが見える。
リザードマンの包囲網の端をすり抜けることに成功したのだ。
「おう、夜が明けるわ」
昌長の言葉で足を緩める雑賀武者達。
東から日が昇り始めており、焼け落ちたサイカの町を照らし始めている。
追手から逃れることが出来た昌長達は、レッサディーンという王を討ち果たすことは出来なかったが、少なくとも本陣に深刻な打撃を与えることには成功した。
後はこれをネタにして相手を大いに挑発するのだ。
そして明け方、奇襲を成功させた上にリザードマンの包囲網をくぐり抜け、カレントゥ城の門前へと昌長達は誰1人欠けること無く姿を現したのである。
「開門じゃ」
「マサナガ様っ?ご無事ですかっ」
慌てたエルフの見張り兵が城門の楼閣から降りて報告に走る。
その後、フィリーシアらに出迎えられ、わずかに開かれたカレントゥ城の城門から城へと入る昌長と雑賀武者達。
疲労困憊していることが、城の者達にはすぐ分かった。
全員が無言で歩く雑賀武者達に、声を掛けられる者は誰もいない。
「マサナガ様……」
「おう、姫さんか。今回は大分きつかったでえ……」
フィリーシアの呼び掛けに力なく答える昌長だったが、その顔にはうっすらと笑みがある。
その姿を見たフィリーシアは感極まり、無言で涙を頬に走らせながら昌長の鎧の胸へと飛び込んだ。
「オイオイ姫さん、衆目の目のあるところで何しちゃある?」
「……」
どっかりと腰を下ろし始めた雑賀武者達の真ん中で、フィリーシアは一層身体を昌長に密着させるが、無言のまま。
「ああ、塩梅エエないなあ」
昌長は諦めてフィリーシアを齧り付かせたまま腰を地に着ける。
それでも離れずしがみつくフィリーシアの頭を優しく撫で、昌長はため息をついてから言う。
「あんじょう帰ったで、姫さん。気遣い無かったやろう?」
「はい、お帰りなさい。マサナガ様」
雑賀武者達の冷やかしの声や口笛に苦笑いを返し、昌長は笑顔になったフィリーシアにしがみつかれたまま、再び溜息を吐くのだった。
「忌々しい平原人共めっ!」
肩を撃ち抜かれ、顔に鉛の飛沫を浴びたレッサディーンが怒声を発する。
平原人やエルフであれば、きっとその顔は真っ赤であったことだろう。
緑色の鱗に覆われた顔からその表情の変化は読み取れないが、怪我の手当を施そうとする戦士達を振り払い、よろよろと立ち上がったその姿は鬼気迫るものがあり、彼の怒りが尋常なものではないことが分かる。
「しかも取り逃がしただとっ」
「……申し訳御座いません」
「奴らを生かして連れて来いと言ったはずだ!無能共めが!!探し出せ!」」
怒りのやり場を失ったレッサディーンは報告してきた戦士長に罵声を浴びせる。
本陣は惨憺たる有様で、戦士長達の遺体こそ片付けられたものの、猛射を受けた際の死者や負傷者は未だ放置されている。
整えられていた地面はリザードマン達の血や足跡で乱れ、追跡部隊の編成や報告にやって来る者達が行き交い、周囲は騒然としていた。
そんな中、最初にレッサディーンの命令を受けて重幸達を追った戦士長が戻って来る。
彼はしばらく周囲の状況を見て驚いた様子だったが、気を取り直したのかゆっくりとレッサディーンへと近付いた。
レッサディーンも件の戦士長の接近に気付いて顔を上げ、言葉を掛ける。
「……お前か、どうだったのだ?」
「どうやら敵の奇襲部隊は城へ逃げ込んだようです」
その報告を聞いたレッサディーンは、怒って鋭く息を吐き出しつつ手元の剣を地面に激しく叩き付ける。
本陣を奇襲さればかりか、その逃走をまんまと許してしまったのだ。
たった5名ばかりの平原人を仕留めた所で埋め合わせできる損害と汚名ではない。
「敵は6名の集団だったようです」
「6名っ!?たった6名だと!?」
また新たな事実に驚愕するレッサディーン。
火縄銃の一斉射撃を緒戦でまともに食らい、その威力を思い知らされたが故に敵を過大評価していたのだ。
いかに闇に紛れての奇襲攻撃とはいえ100名単位の兵が動いていると思っていたのに、実際はわずか6名ばかりの平原人にいいようにしてやられたのである。
現に主だった戦士長達が軒並み撃ち殺されてしまったことでマーラバント軍は指揮系統の立て直しに時間が掛かっており、敵の奇襲攻撃の成果は否が応でも大きいものと認めざるを得ないところだ。
加えて自分までもが負傷してしまっている。
実際問題として100名単位の敵兵が動いたのではなく、わずか6名ばかりの兵が潜入しただけでこれだけの被害を被ったのだ。
今後もこの成功を元に侵入してくる可能性があるとなれば、これからは警戒も厳重にせねばならず、その負担や警戒に割く戦士の手当もしなければならない。
「ぐっ……守りをかためろ!」
「はっ!」
レッサディーンの指示で戦士長が慌ただしくその場を離れる。
今までは頑健さを売りにしてあまり野営陣を構築していなかったマーラバント軍。
武勇に優れ、身体能力の高いリザードマンの軍陣の真っ直中を、闇に紛れたとは言え突っ切ってくるなどと言う敵は今までいなかった。
しかしその大胆不敵さは賞賛に値する。
「勇武は我らのみのものにあらずと言うことか……忌々しい」
月霜銃士爵とやらの勇気と武力は認めざるを得ない。
吐き捨てるように言うレッサディーンの周囲に、拾い集められた木材が杭として立てられ、その間に麦藁や稲藁が敷き詰められていく。
リザードマンとて建物を作ることぐらいは出来る。
今までそうしたことを戦場で行う風習が無かっただけなのだ。
それは何者にも負けないという誇りと奢りがない交ぜになった結果。
しかしこれからはそう悠長に構えてもいられないようだ。
奇妙な風習は、つい今しがた、わずか6名の雑賀武者によって敢行された襲撃によって粉みじんに打ち砕かれた。
レッサディーンは前線から呼び寄せていた戦士長が到着するなり、指示を与える。
「……監視を倍に増やせ。またすぐに潜入してくるとは考え辛いが、敵を侮るな」
少数の敵が潜入してくるのを見つけるのは、大軍であればあるほど容易ではない。
幸いにして相手方にリザードマンはいないので、よく確認して誰何すれば自ずと敵は発見できるだろう。
それでも玄人が闇に紛れられさえすれば、そしてリザードマンの事を必要以上に恐れなければ、いかに多数のリザードマン戦士に守られたマーラバント軍本陣といえども襲撃することが不可能でないことを示してしまった。
雑賀武者達がマーラバントに与えた衝撃は計り知れないものであり、乱戦時の狙撃や襲撃を恐れ、警戒を重視し始めたレッサディーンの指示によって、これ以降マーラバント軍の行き足が更に遅くなってしまうことになる。
しかし攻勢は昌長の見立てどおり、激しさをいや増すこととなったのだった。




