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鍋が言うには

 雨に降られて帰ったふたりを、ホーネットは問答無用で風呂場に連れて行った。

 ネーヴェは馬を厩舎に戻すといって逃げてしまったので、残されたフィオリーナは早々に風呂に入ることになってしまった。

 スカート部分を切ってしまったドレスはもう台無しになっていて、ホーネットと苦笑して顔を見合わせた。


「ドレスは駄目になったけれど、雨の前に助けられて良かったわ」


 フィオリーナがそう言うと、ホーネットは仕方ないというように「はい」と笑った。

 フィオリーナに続いてネーヴェも風呂に入ってから、すこし早い夕食となった。

 雨は夜も続いて、屋敷の灯りが落とされてからも降り続いた。

 時折きしむような音と窓の外の雨音が聞こえて、フィオリーナは眠れなくなってしまった。

 すこし肌寒いこんな夜は奇妙なことが起こるような気さえしてしまう。

 フィオリーナは意を決して階下へ下りることにした。

 寝間着にガウンを羽織って下りると、応接間から見える庭は夜の雨に濡れていた。

 ずっと止めどなく続く雨音はまるで屋敷を世界から切り取るように囲んでいて、静まりかえった応接間が見慣れない部屋に見えてくる。

 ──ずるずる、ざくざく。

 ──墓守が血塗れの斧を持って雨音に紛れてやってくる。

 そんなことを考えてしまうと、もう眠れそうになかった。

 何か飲みたい気分だったが、今夜に限ってレモン水の水差しを用意していなかった。厨房に行ったところで、フィオリーナでは飲み物ひとつ探すのも苦労するだろう。それでもホーネットを起こすのは忍びない。

 そんなことを考えながら、奥へ続く廊下を覗くとサンルームからわずかな灯りが洩れていた。


「……誰かいるの?」


 サンルームを覗いてみるが、そこには誰もいない。

 カウチに寄せられた丸テーブルに、ランプと共にワイングラスとボトルが置いてある。


「──フィオリーナ?」


「きゃあっ」


 人が背後に立ったことすらまったく気付かなかった。

 悲鳴を上げて振り返ると、ネーヴェが不思議そうな顔で首を傾げていた。


「どうしました?」


 そう言う彼の手の皿にはチーズやクルミが載っている。ワインの肴を取りに行っていたらしい。


「……あの、眠れなくて」


 まだ驚いている心臓をなだめながらフィオリーナが答えると、ネーヴェは「ああ」とうなずく。


「ホットミルクでも作りましょうか」


「……夜中にホーネットを起こすのはさすがに……」


 申し訳ないと言うフィオリーナにネーヴェは笑った。


「私が作りますよ」


「え?」


 目を丸くするフィオリーナに「おいで」とネーヴェは手招いて、そのまま厨房へ向かう。

 ひっそりとしている夜の厨房で、ネーヴェはランプに灯りを入れた。


「私も眠れなくて、ワインを飲んでいたんですよ」


 ネーヴェはそう言って厨房のキャビネットの扉を開けた。箱の中からはひんやりとした空気が漂って、食材や瓶類が保存してある。冷蔵箱らしい。けれど、氷がなければ冷やせないものだったはずだ。

 フィオリーナが不思議そうに覗いていると、ネーヴェは牛乳瓶を取り出しながら床を指した。


「床下の貯蔵庫に冬のあいだの雪を貯めているんです。だから夏でも冷やせるんですよ」


 カリニがアイスクリームを作ってくれたのは雪の貯蔵庫のおかげらしい。

 ネーヴェは作業台に牛乳瓶を置くと鍋を棚から取り出す。

 フィオリーナも何か手伝いをと思ったが、勝手はまったくわからない。結局鍋を取り出したネーヴェの手元を覗きこむ。

 そんなフィオリーナを少し笑って、ネーヴェはレンジのかまどに小さな木切れと紙を入れると手際よく自分のマッチを擦って火を入れる。

 火が調理用の天板にまで回って鍋を温めだすと、ネーヴェは鍋に牛乳を入れた。


「怪談でも思い出しましたか」


 鍋を眺めながら意地悪くそんなことを言うので、フィオリーナはネーヴェを睨んでしまった。

 そんなフィオリーナを小さく笑って、ネーヴェは食器棚からマグカップを取り出した。


「……どうして子供たちにあんな話を?」


 鍋の中を眺めながらフィオリーナが尋ねると、ネーヴェはとなりに戻ってきて肩をすくめた。


「廃鉱跡へ探検に行かれるよりかは、まだ村から近い古屋敷のほういいかと思って。私も定期的に手入れをしているので、大した危険はないですよ」


 そう言いながらネーヴェは戸棚から瓶を取り出す。スパイスや蜂蜜のようだ。


「古屋敷に確かめに行く子が増えたらどうするのですか……」


 眉をひそめるフィオリーナを横目に、ネーヴェはスプーンで適当に計って蜂蜜を入れた。


「肝試しをするなら、声をかけてもらいましょうか。お化け役でもやりますよ」


 ネーヴェがお化け役なら怪我人は出ないだろう。思わずフィオリーナが苦笑すると、ネーヴェも笑って目を細めた。


「子供の遊び場を奪うのは本意ではないんですよ。子供は秘密基地なんかを持ちたがるものでしょう?」


 難しいものです、とネーヴェが苦笑するので、フィオリーナも自分の子供のころを思い出してみる。たしかに自分だけの場所というものを持ちたがっていたかも知れない。


「ネーヴェさんも、そんな場所を持っていたんですか?」


「そうですね……自分で手を加えるのが秘密基地というのなら、この屋敷がそのようなものかもしれません」


 ネーヴェはオルミ領へやってきてから自分でさまざまな設備を整備してきたという。そういう意味でなら、この屋敷はネーヴェの秘密基地のようなものだろう。


「ひとりで暮らしていたときには別に気にならなかったんですが、カリニやホーネットがいるとそうも言っていられなくて」


 給湯器を改造したり、タンクを設置して水を引いたり、ポンプをつけたりとネーヴェは暇を見つけては設備に手を入れている。特に厨房や洗面所で蛇口をひねれば水が出ることは喜ばれている。フィオリーナも給湯器からお湯が出る仕組みは便利だと感動した。


「やっぱり給湯器の技術は申請されてみては?」


 改造とはいえ仕組みは画期的なのだ。  

 フィオリーナの提案にネーヴェは「うーん」とうなった。


「兵士時代にやっていたことの延長のようなものなので、あまり特別なことでもなくて……。そんなに面白いものですか?」


 同僚の兵士の中に内装工事の職人がいたらしく、戦場の設備に手を加えることを教えてもらったらしい。

 気のない返事のネーヴェにフィオリーナは大きくうなずいた。


「水道管は実家でも通していますが、お湯を沸かすことは今でも大仕事です。ザカリーニ家は魔力を持つ者が居りませんので、ハルディンフィルドの製品はほとんど扱えないのです」


 水道施設の一部は魔術が使われた製品らしいが、整備は専門の技師が行う。

 大国ハルディンフィルドは国民のほとんどが魔力を持つというが、グラスラウンド王国では魔力を持つ人のほうが珍しい。だからこそ魔術師が貴重な人材として重宝されているのだ。

 フィオリーナの話を「なるほど」と聞いたネーヴェは鍋を火から上げた。いつの間にか牛乳から湯気が立っている。


「そういえば最初に台所へ水道を通したとき、ホーネットにやたら感謝されたのを思い出しましたよ。だから、調子に乗ってあれこれ作ってしまって」


「うまく乗せられたんですよ」と苦笑しながらも、ネーヴェは楽しげだ。喜ばれたことがきっと本当に嬉しかったのだ。

 フィオリーナと話しながらでも鍋からマグカップに牛乳を注いで、ネーヴェは仕上げにスパイスを振りかける。話しながら作業できるほど手慣れているのだ。


「……ネーヴェさんはお料理ができるのですね」


 フィオリーナが湯気をたたえたマグカップを神妙に見つめていると、ネーヴェは「はは」と思わずといった様子で笑った。


「ひとり暮らしが長いものでこれぐらいは。それに戦場では兵站が届かないこともしょっちゅうなので、現地調達していたんですよ」


「現地調達?」


 ネーヴェはマグカップを作業台に置いて、しばらく冷ますように言ってから苦笑する。


「魚を釣ったり、うさぎを捕ったり……野蛮な野戦料理ですよ。味付けは塩だけの」


「まぁ」とフィオリーナは思わず目を丸くした。


「狩りは見学したことがありますが、魚釣りは見たことがないのです。どうやって釣るのですか?」


 ザカリーニ領にも湖などはあるが、フィオリーナのような貴族が楽しむのは船に乗るぐらいだった。


「こう、竿に糸をつけて針に餌を──」


 そう身振りも加えて説明しかけてネーヴェは苦笑した。


「──今度やってみましょう。ランベルディ領の湖にでも行けばいいですよ」


「いいのですか?」


 魚釣りが出来るなんて思ってもみなかった。フィオリーナが目を輝かせていると、ネーヴェは観念したようにうなずく。


「馬車も届いたことですし、ヒースグリッドへ買い物に行くんでしょう? ついでに湖にも寄るといいですよ」


「……ネーヴェさんもご一緒していただけますか?」


 フィオリーナが期待をこめて言うと、ネーヴェは「もちろん」とうなずいた。


「お供しますよ。好きなだけ釣ってください」


 そう言ってネーヴェはちょうど良い温度になったマグカップをフィオリーナに渡した。


 



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