停滞期と流動期
「この世界には魔王が存在する」
魔導師組合の食堂でスプーンを振り振り解説をしてくれるシーファ。
告げられたのは魔王の存在。でもそれなら以前にも聞いたような?
「魔王?」
「ああ。世界に存在する魔族魔物たちを統べる王だな」
「悪とイコール?」
疑問を問えば、目の前のゼリー状のものをスプーンで一掬い、ぷるりと震える様を見てから口に放りこみ、味わってから嚥下する。
「いんや。魔族は『魔』であり、悪じゃない。ただの種族差だ」
薄い水色のゼリーは掬われた部分を埋めるように引き合い総量にあわせて縮む。なんでだ?
「魔王はあと二百五十年は現れないって妙に具体的なコト言ってなかったか?」
俺が、自分が勇者かもとか言った時にそんなことを言ってた気がする。
「ああ。魔王は長期間在位しているのは世界にとって好ましくないんだよ」
ずぷりとまたスプーンを刺し込んで掬う。
「好ましくない?」
疑問符を飛ばすと『うんうん』と咥えたスプーンを放す。
シーファは本当によく何かを食べている。蛍光グリーンの棒は飴だったらしいし。よく太らないなと思う。
じゃ、なくて。
魔王在位が長期にわたるのがまずいのは普通じゃないだろうか?
でも種族差で、王の一人なら問題ないはずなのか?
「そう、魔王の在位期間、地形は変わらなくなる。世界は停滞期になる」
地形?
停滞期?
「停滞期?」
「そ。地震も天変地異も魔王の管理下でのみ起こるようになり、見えないところで力が溜まっていき、大災害を引き起こすって言われている」
魔王、やっぱりすげえ?
「魔王の存在は悪?」
種のひとつだって言うんならこの理論はおかしいと思わなくもないけれど、絶対悪という考え方は楽だ。
「まぁ、一般的にはね。魔王になる者は魔族とは限らないし」
「限らない?」
なんだか驚かされる。
「そう。たとえば、他者に強い恨みを持つヒトや、研究に嵌りすぎた術師。ヒトという部類に嵌らないモノでもヒトでも魔王にはなれるんだよ」
「何でもありかよ」
「まぁ、近いな。でもな、魔王出現の予兆はヒトに喜ばれるんだぞ?」
「は?」
そんな危険な存在の出現を何で喜ぶのかがわからない。
「その理由は簡単だ!」
いきなり横から割り込んできたのはクレメンテ。
シーファが机の上に並べた料理を庇うように動き、クレメンテはそれを馬鹿にしたように一瞥する。
「クレメンテうぜー」
「黙るが良い。こそ泥が!」
不満を口にしたシーファにびしり! と指を突きつけ、断じる。
「こそ泥!?」
その単語に俺は驚くがシーファはそれを五月蝿そうに流してしまう。まさに些細なことのように。
「ん? ああ。俺の職業メインは盗賊だな。どっちかつーと遺跡荒らしがメインだからトレジャーハンターと呼んで欲しいけど?」
「こそ泥はこそ泥で問題ない! そんな些細な問題より喜ばれる理由は流動期が終わり停滞期になるからだ!」
クレメンテがシーファの弁解をざっくり切り捨て、解説を始める。
「停滞期ってまずいんじゃないのか?」
世界規模の災害の下準備だと感じたんだけど?
「ふ。まず流動期がどういうものか認識すべきだな!」
そんなことを『当たり前』に言われても流石に。
「だってしらねぇよ」
少し言い訳じみて愚痴っぽくなるが、仕方ないと思う。
クレメンテは得意気なイイ笑顔だ。
うぜぇ。
「魔王のいない時期を流動期と呼ぶ。なぜ流動期というかといえば、世界を巡る魔力が世界を大きく巡るからだ」
魔力。昨夜シーファが魔力に対して何か言ってた気はする。
「そのまんま?」
でも、これといって情報が引き出せない。とりあえず、動くから流動期。か?
「つまり、言葉の通り、流動するのだ。川が逆流し、大地は隆起し、一夜でそこをつないだ街道が湖に沈み、古き時代に地底に沈んだ都市遺跡が地上に顔を出す。凶悪な魔獣、獣の生息域が変化し、適応作物を見出すのにも苦労する。それが流動期だ!」
一夜で?
「……」
ものすごく考えられない。
地震があると聞いた。『ふぅん。そうなんだ』と思った。
それがどういうことなのかを考えなかった。
一晩で、遺跡が現れるということは、一晩で、都市が沈むんじゃ、ない。……のか?
水場が変わり、地質が変わり、棲む生物層が変わる。食物連鎖が、生態系が変わる。
それはものすごい事なんじゃないのかと思う。
ただ、大変だという事しか理解できない。
「ふ! 絶句したな! トラジェの広場を見たか!?」
楽しげに得意気にクレメンテが俺を指差し、問う。
「滝の広場、だよな?」
思い浮かぶ広場。
夜の町。白く輝くふちが美しい人工の滝。上下があるから微妙に待ち合わせ誤解が出そうなデートスポット。落差はほぼ五メートル。広場内に階段は、……ない?
「アレはな、ただの噴水だったのだ。ここには魔導師がそれなりにいる。このクレメンテも基本はいる。あの日はただ少し、出かけていたのだ。ホンの七日ばかりな。その七日のあいだにトラジェは流動期の波に襲われた。多くの魔導師たちが力を使い辛うじてあの程度に食い止めたのだ」
無残に引き千切れた大地の痕跡。それは町に五メートル内外の落差を生んだ。
世界が、違いすぎる。
というか、理解するには情報量が少し多すぎる。
すっとクレメンテの赤い瞳がもの悲しげに伏せられる。
「多くの友人達も逝った。だからクレメンテは他の友人たちがいる限りこのトラジェから出ることはもうないだろう」
喪われた人を想っているのか声は微かに震えている。しかし、ばっと勢いよく上げられた時、憂いなどは含まれておらずまっすぐだ。
びしり! とまた指を突きつけてくる。ポーズをとらないと喋れないのだろうかとすら思える。
「しかし、それで後悔はせぬ! ゆえにな、エン、雑用になら雇ってやるから安心するがいい!」
「え?」
唐突な提案にぽかんとする。
「身長はあるだろう? クレメンテは届かないトコにある物をとって貰えるのを喜ぶぞ」
善意の提案なのだろう。利用価値のないものを置くのを良しとはしていないと感じていた相手のふるまいに少し驚いた。
だが、黙っていたシーファがスプーンで器を叩いて鳴らした。
「魔力の低いエンにはきつくなる。組合として補助できるわけじゃないだろう?」
言葉は冷静で、俺がここにいることは向かないと含んでいる。
「くっ! こそ泥のクセに内情を知ったようなことを! クレメンテはな! 互助会の連中が嫌いなんだ!」
もしかして嫌いな連中への嫌がらせの一環かよ!?




