生死観
ひとつの転機
「大丈夫か?」
蛍光グリーンの棒を咥えつつ、シーファは俺を見下ろしていた。
ここは昼日中のトラジェの裏路地。
俺の上に覆いかぶさるように倒れている男は動かない。多分、死んでる。
ぬらっとした光沢の刃物を突きつけられて動けなくなっていたら、刃物が不意に消え、男が落ちてきた。
呆然としているところに冒頭の言葉をかけられたのだ。
「い、いったい……な、なにが」
動揺して言葉がうまく綴れない。言葉が浮かばない上にもつれる。
「ん? 野盗とか追い剥ぎ強盗の類かな。町中だから山賊じゃねーしな」
気楽い解説。動かない男を俺の上から蹴り動かしてくれる。
「おい」
声にシーファを見ると俺に声をかけたわけではないのが見て取れた。
路地の隅からこそりと覗く目があった。
シーファはそれに対して気軽く手招く。
ちょろりと寄ってきたのは小さな子供だった。ボロけた服に身を包み、周囲を警戒するように現れた子供達だ。
「イイノ?」
ぎこちない言葉。理解出来なくはないが濁りがあった。
「ああ。この辺りはお前らのシマだろ? 少しばかり分け前を貰えればこっちは不満はないよ」
小さな子供はグッと顔を上げ、口を笑いの形にした。そして、そのまま転がった男の服を剥ぎつつ、口笛を吹いた。
甲高い音が響いた。
男の死体を漁る子供が増えた。
「立てるか?」
「あの子達、なにを?」
「素材集めだろ? あ、その袋、ちょっといいな」
ポンと突き放すように告げられた言葉。興味は既に死体からの収集物に向いている。
「イル?」
子供が掲げて見せるのは巾着袋。
「ちょっと、見せてくれ」
何人かの子供の手を渡って、やってきた巾着袋は随分と古いもののようだった。
無造作に手を突っ込む。手は肘まで袋の中に消えた。
「……え……?」
チラリとシーファは俺を見たが、それだけでじっと見ている子供達を見返す。
「ぅし。こいつを貰うぜ。んで、これはお前らが好きにしろ」
そう言って袋から取り出した物を差し出した。
それはナイフや、細い棒、小さなコインとかだった。
「このコインは収集家がいるはずだから、商談相手はうまく選べよ。この細い棒は、投擲武器だ。どっちかって言うと暗器系だ」
渡しながら説明してゆく。
その説明に子供達の敵意が少し減っていく。
「ホカ?」
「いや、俺達はこれでもういい。残りの処理は頼むな」
「イイ」
多分リーダー格と思える子供がにぃっと笑う。
それを合図にしたのか、子供達がズルズルと死体を運び始める。
それを見つめつつ、視線を外せない俺の肩をシーファが二回叩いた。
「なんでこんなところにいたんだ?」
「ユークスと一緒、だったんだ。店の匂いが苦手で俺は外で待ってることに」
「ふぅん」
ぐいっと腕を引かれて立ち上がらせられる。
なんでここまで流されたのかはよく分からない。
朝食後買い物に出ると言うユークスに連れ出してもらったのだ。組合食堂の物珍しげな視線と問いかけがあまりに多くて困惑してしまった。
ユークスは必要な情報は散文されてたから気にすることはないし、食堂であんな風に会ったぐらいで覚えてなくても気にすることはないと笑ってくれた。
気は楽になったけれど、それでいいのかはわからない。
でも今はそれより気になることがある。
「あんな子供達に死体処理を任せてよかったのかな?」
「血抜きが遅くなると味が悪くなるからなぁ。引き止めたのはちょっと悪かったって思ってるぜ?」
血抜き?
味が、悪く?
にやっと笑われる。
「食肉として使われるんだよ。無駄はないだろ?」
し、食肉?
呆然とシーファを見る。
困ったような表情で俺の頭を撫でる。
「食料は大事だろ?」
死体から奪った袋を俺に投げて寄越す。
「これは魔法具のひとつで、この口を通る物なら、……五~六十は入るかな? 重量はさほど感じないだろうし、便利だから持っておくといい」
コレを持っていた男はさっきまで生きていた。それなのに『はい。そうですか』とコレを受け取れるのだろうか? 躊躇う。ぐらぐらと頭の奥が熱い。
シーファの様子は極当たり前で。
俺にはついていけなくて。
脅されて、殺されかけていたのだとは思う。
殺されていたのが俺だったとしたら、食肉と言われていたのは俺だったのだろうか?
動揺して、思考力が低下して、考えられない。動けない。
「エン。いったいどうしたんだ?」
不思議そうに放たれるその言葉。
「ぁ……、だって、人がし、死んだ」
「ああ。そうだな。エンが死ななくて良かったな」
やわらかな笑顔に明るい声。
頭の奥がしびれて目の辺りが熱い。
本当にここは夢じゃなくて……異世界なんだ。
「俺の世界では殺人は遠いんだ」
少なくともそばではない。ニュースで聞いたりしてもそれは遠い場所の無関係なことだ。そう、戦争と災害と何も変わらない。
どうこの状態を伝えればいいのかがわからない。
「目の前で生き物が死ぬ瞬間を見ることも少ない」
虫の死は見る機会があっても生き物の生臭い死の印象が薄いのだ。
「ああ。喋る知的生命的存在を食肉と評するのに抵抗があるんだな」
その平然と放たれる言葉にぞっとする。
わかっている。
ここは異世界なのだ。
この世界にはこの世界の常識が存在する。
俺は、耐えられるのだろうか?
馴染めるのだろうか?
死に、たくは、ない。
「この世界は優しくないぞ? だからな、この袋はお前が持っていろ。死にたくないんだろう? いつか、帰りたいんだろう?」
黒の闇の瞳は揺るがない。
告げられる言葉は正しいのだと思う。
「あとな」
静かに言葉が続けられる。
「この世界の命は基本軽い。生き延びるための力がないお前はあまり選ぶことのできる手段は少ない。お前に手を差し伸べるものは少ない。理由は単純で、お前に力も何もないからだ。利用価値がないからだ」
少し間を空けるかのように吐かれる息。
「だから、やっていくための心は決めろ。俺は少ししか力を貸せない。イヤかもしれないが、死に慣れろ。必要なものは受け取れ」
ああ、そうなんだ。
そう変わらなくてはいけないのだ。
生き延びるため、帰るため。
「この袋はナニ?」
言葉はどうしてもぎこちなくなる。
それでも必要なんだ。
変わらなきゃ、生きなきゃ、終わりになんかなるわけにはいかないんだ。
「魔法の収納袋だよ。このトラジェには魔導師組合があるからこの手の魔法具はそれなりに転がってるけど、高価なブツだからさ、持っててお得」
「でも、シーファは?」
「あん? ああ。俺は持ってるからいーの」
説明してからりと笑う。
「エン!」
少し慌てたような声が聞こえた。
「ユークス、ここだよ」
シーファが店から出て俺を探してるらしいユークスを呼ぶ。
ああ、早く普通に戻らないと。
落ちつかねぇと。
「シーファ、何でいるんだ? エン、大丈夫?」
路地に顔を覗かせたユークスが心配そうに瞳を瞬かせた。




