師匠と修行 物理と
呼吸が苦しい。
「んじゃ、次の段階いくかー」
そう言った師匠に吹っ飛ばされた。
なにが、起こった?
「体力も整えないとな」
師匠の表情はいつもながらの楽しげなもの。にんまり笑って大きな腕の振りが視界に迫る。
避けた。
そう思った瞬間には壁に叩きつけられていた。
傷は即座に回復される。そしてそのまままた吹っ飛ばされる。
叩きのめされては回復される。それは慣れろとばかりに何度も繰り返される。
ケトムが固まっていた理由はコレかと思う。
「意識を逸らすな。動きを追え」
これ以上ない無茶だった。
ハードだった。
猫がネズミをいたぶるように遊んだ後、「瞑想もしとけ。帰ったら導石の方だ」と狩りに飛び出していった。
傷もないダメージも身体的には残っていない。
それでも、精神的な疲弊感がじんわりとまとわりつく。
この状況で瞑想って、俺できるのか?
「エン」
ケトムがカップを差し出す。中身はとろりとした白色でふわりと甘い香り。
「トルミエのスープだ」
「トルミエ?」
発音を数度直された。固有名詞で翻訳されないんだろうと思う。
それとも薬の効果切れか。
過ぎた日付けを思えば効果切れなんだろうと思える。
元の形状を見ていないからそれが何を指すのかはわからない。
「飲めるから飲め」
口をつければ甘かった。
ハチミツと砂糖を入れたホットミルク。近いのはきっとそんな味。
カップを包む指先に力を入れる。
「ケトムは、俺が地図職人になれると思う?」
返るのは沈黙。
送られている視線に気がつくには顔を上げないといけなかった。
ケトムのまっすぐな射るような視線。(それは民族習慣かも知れないけど)
「うん。なれると聞くんじゃなくて、なるんだ!」
ストンと聞くことじゃなかったと気がついた。
なれないと言われたら、俺は諦めるのか?
ない。
諦める選択肢はありえない。時間がかかっても俺は俺が満足できる地図を作りたい。
消えずに手元に残る白い図布を見下ろす。
これじゃ足りない。絶対に足りない。
もっと、もっと大きく図布を織れなければ満足はできないと思うと、まだまだ先が長い。このサイズが限界だったらどうすればいい?
「エン、エンの図布はケトムのものと違う」
問いかけながらも自分で答えを決めてしまった上にぐるぐる悩む俺にケトムが呼び掛けてきた。差異を告げる言葉を結びながら服の合間から滑るように取り出された図布は厚みのある薄い皮で織り上げられたケトムの図布だ。
白無地ではなく、ベージュの甘い皮の色。引き裂かれた生木の色とでもいうべき図布。そこに広がる淡いパステル絵本調の立体地図は不思議に魅せられる。
師匠の精密地図にも惹かれるけれど、はじめて目にした立体地図だったからか、絵本の淡い世界が浮かび上がるのが好きだった。
目指すならそこだと思った。
「精度を、図布の質に今こだわるか、後で補正するかで変わるが、その図布を大きくする手法は簡単だ」
俺はじっとケトムを見返す。
マジか?
本当にか?
それだけがぐるぐると回る。
「質を落とせ」
は?
これ以上?
俺はもっと質をあげたいのに?
「無理」
絶対譲れない。




