食文化
その日の肉は食べられなかった。
あきらかにマーベットさんと同じ種族の子供。
爬虫類の顔。ならぶ牙。ぎょろりと大きな目。頭髪なのかたてがみなのかわからない柔らかな毛の中からピンと伸び立つ兎耳。身体は装甲のような黒緑の鱗が際だち、マーベットさんのような筋肉質さは控えめに見えた。
食べられるわけがなかった。
ケトムが不思議そうに俺を見ている。
「美味しいぞ?」
差し出される串焼き。表面だけが軽く炙られたほぼ生肉。さっきまで生きていた。
「だって、助けてって……」
言ってたんだ。
「鳴いてたな。しかし、どんな生き物だって死にたくないと足掻くぞ」
どんな生き物だってって!
トラジェではちゃんと!
「だって、ヒトだろう!?」
平然としているケトムが理解できなくて声が荒くなる。
「ヒトではなく、鰐兎だろう?」
え?
「鰐兎人じゃないだろう?」
え?
「言葉を操ることもできない」
え?
ケトムの発言が理解できない。
あの子は『たすけて』って言ってたんだ。
同じように生きて、生活していたヒトのはずだった。
それなのにケトムはあの子がただのケモノであるかのように言う。
「エン」
師匠が俺を呼んだ。
「ケトムに鰐兎の言語は理解できない。ただの唸りや鳴き声にしか聞こえない。コミュニティを形成する生物でお前と同じような異界からの迷いモノと言えど、『ヒト』より『ケモノ』に近く認識されているのが実情だ。それにいい肉だしな」
軽くだけ炙り焼いた肉を無造作に師匠は食う。さっき「鰐兎の肉はほぼ生でもイケる。日を置くと固く臭くなっていただけない」と得意げに師匠は説明してくれた。
それはきっと牛や豚の品質を語るのと同じ事のように。
「個として弟子と見ているから俺にとってお前らは食う対象から外れる。だがな、エンの言う『ヒト』の定義が言葉とコミュニティなら、どんな生き物だって独自のソレを持っているぞ? 第一、俺は同種であっても食い合う種族だ。よって、俺には狩られたモノはただの肉だ」
死ねば、肉だという感覚がこの世界では比較的普通なんだろうと思う。それが苦しい。街で見たゴロツキを引いていった子供達。
ソレを否定するだけの正当性が俺にはない。俺は異界人。この世界では部外者だから。
食文化はとても重要で、理解できなくても簡単に否定していい部分じゃない。
ただ、幸運だった。多くの言語を解するシーファのおかげで言葉が理解できる。
「というわけで飯は食え。ワニウサギを食えとは言わん。だが、なにを食おうが命を口にしていることには違いがないぞ」
師匠がジッと見てくる。
生きるには食事が必須だ。腹が減れば心も荒む。
どんな生き物だって独自のコミュニティを持っている。それが他の種族に理解できなくても。
「糧にするも、無駄にするも命だ」
感覚の違いに感情が追いつかない。
割り切れるようになる?
「命の価値なんてつまらんモノを追求した兄弟がいた。ああ、ツラナリのあるあの兄ではないぞ」
命の価値?
つまらない?
師匠の言葉に耳を傾ける。
どこかで理解できる気もしてるんだ。
世界には食人を文化習性とした民族もいたと言われているし、生贄や人柱だってあった。食べもしなくても殺すから、飢えればソウイウコトだってありがちな影の歴史だろう。
ここにはケトムと師匠しかいない。
きっと、それは幸い。
食文化の否定は拒絶はきっと良くない。
普通に食べてきたモノを否定されるっていうことをまるっきり知らないわけじゃない。
ほら、『鯨を食べるなんて野蛮』とか言われると鯨油取るのに乱獲、無駄捨てした野蛮人に言われたくねぇってなるのと近い反感が浮かぶんだ。
いろんな人、数のいる食堂で、この食材は間違ってるなんて言ってしまえば、マズいってことは俺でもわかる。
差し出されて、食えないって言うのは正当な理由がなければいけないから。
宴会で『おれの酒が飲めねぇのか』って詰め寄られて拒否した後の人間関係は緊張するよなって奴だろう。
よし。自己正当化が出来てきた。
とりあえずは落ち着けてきた。
「エン?」
師匠が愉快そうに俺を覗き込んでいた。




