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師匠

 ケトムと水没都市のよろず屋で待ち合わせをしていた男はゼンラウと名乗った。

 薄く赤みがかった白い髪をバサバサさせて俺を見て笑った。

「ムスビノエンカ」

 発言は唐突で音しか拾えなかった。

 結びの縁。だろうか?

 ゼンラウは熟練の地図職人でケトムが得意げに「師だ」と紹介してくれた。

 彼は細かい作業より肉体労働に励んでいそうな体格と荒い風貌を持っていた。

 そして、俺には名乗りなどさせてはくれなかった。いきなり視線を合わせられ、尋ねられたから。

「帰りたいか。客人」

 琥珀色の目は好奇心をたたえている。

 地図をつくることに興味はあっても、帰りたいコトには違いなかった。

「地図をつくるやり方を知るか、帰るかならどっちを選ぶ?」

 ゼンラウは笑って俺の頷きを見ていた。

 見透かされているようで居心地が悪かった。

 どっちか?

 選ぶまでもなかった。

「帰るよ」

「未練はないのか?」

 ゼンラウは動じることなくただ問う。その問いは心を引きずる。

「あるよ。地図をつくるやり方を知りたいし、作ってみたい。未練はあるけど、家族を辛い想いの中に置きたくはない」

 きっと、近いことを探して趣味か、仕事にしようとするだけだ。

 地図をつくるのか、ジオラマをつくるのかはわからないけど。

「ふん」



「で、帰らなかったのか」

 にやにやするゼンラウ。あの二人の元に送ってくれただけで彼は同席しなかった。置き去りにされた男はちゃんと俺をゼンラウの元に送ってくれた。「そばにいるか」とも聞かれたけれど、いてどうするんだ。気まずいというのが心境だ。

「女性泣かしたくないんだよ」

 遠縁だし。

 この異世界にきた理由は遠縁の彼女が帰りたいと望んだから。帰るには身がわりが必要だった。それが、俺。彼女はきっと引き止められたら帰らなかった。でも引き止めなかった。明らかに好きそうだったのに。

 そんな中途半端な男に親類の姉さんをあげれないので彼女が帰るのは正解だろう。

 ただ、俺の記憶では行方不明のままだけど。そう呟けば、「世界は細分化してるから、おそらく帰れた世界もある」とゼンラウがこぼした。

「バカな兄だなぁ。俺にはお前を帰せないが、地図をつくる手法を教えてやるよ。帰れないんだしな」

 俺はぽかんとゼンラウを見上げる。

「兄のせいでもあるからな」しかたなさげにゼンラウがこぼす。

 身内の不始末だからとのことらしかった。

「だが、夜逃げするからな。環境は悪いぞ!」

 からからとゼンラウは笑う。

 なにしたんだ。オッさん。

「少しは周囲にも目を向けろよ」

「そう言うな。よろず屋。俺はただひたすらに地図をつくるだけだ!」

 周囲に興味はないと断言するゼンラウ、いや、師匠。

 ただひたすらに地図をつくるだけっていうのはカッコいいと思う。

 場の主であるよろず屋は呆れたように笑う。

「わからないでもないけどなぁ」

「ロマンだよな!」

 師匠はそう言ってよろず屋の肩をたたく。

「ま、連中が襲ってくるなら撃退するが、穏やかにいきたいね」

 声のトーンは変わらずににやにや笑っている。

「ほどほどにすべきじゃねーの?」

 よろず屋がちらりと俺を見た。

「ケトムもいるし、新しい弟子もとるんだからさ」

「まーあ、そーだわなぁ」

 琥珀色の目がぎょろりと俺を映す。

「紹介状も書けるぞ?」

「師匠がいいです!」

 他も知りたい浮気心がないでもなかったが、元をただせばケトムに習いたかったのだ。

 その美しい絵に見惚れたのから。

 その師匠に習えるのなら、言うことはない!

「帰りたくないのか?」

「帰りたいです。でもほかの誰かを身代わりに帰りたくはないです」

 誰かが不安になる。その誰かの身の安全が保障されているのかと言えば、違う。

 他にも手段はないかと思う。可能性は薄くても、きっと何かはあるんじゃないかと思う。

 甘い希望的思考だと思う。

「それに世界を見ていけば、別の答えが、道が見つかるかもしれないから」



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