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忘れられない

「このあたりが限界のようだな」

 残念そうに息を吐く彼女の手元には美しく浮かび上がる立体地図。

 パノラマかジオラマだったか、呼び名は忘れたけれどそういったものを思い起こさせる。

 現実感のないぼやけた淡い水色の上にそびえる大樹。それは目の前にも広がる光景。

 彼女は浮かび上がる立体の上に一枚の薄紙を重ねる。立体をすり抜けて薄紙は下に広げられた生地と重なる。

 何をしているのかとまじまじ見つめる。



複写(ゲネ・ヴァ)



 淡い燐光が散る。

 チラチラと視界に残る光の明滅に瞬くといつの間にやら二枚に分かれた地図がある。

 片方はほのかに薄い。

 それをじっと確認して彼女は軽く目を伏せた。

「やはり、補完率が低い」

 漏れ出た言葉は不満の言葉だった。

「あの、これ、地図?」

 こちらを見た彼女は静かに眼差しを合わせてきた。

「その通りだ」

「えっと、今、現在地の地図、ですよね?」

 どう伝わるのかはイマイチ自信はないけれど丁寧さを心がける。

「現在地・現時点での測定地図だ」

「どうやって測量してるんですか!?」

 あ。魔法って未知技術力で解決なのかな?

「魔法だ。感知媒体を大地に配し、そこを起点に測量及び生態系の魔力測定を行い、専用図布に念写する。その折りに媒体が破損していたり、魔力を通すことができぬほどに距離があったり、魔力自体が不足しているとこのように不完全な地図が出来上がるのだ」

 魔法で済まされたけど、学問。って感じの説明が続いた。

「不完全、なんですか?」

 他の地図を見たことのない俺にはわからない。

「不完全だ。魔力媒体が破損しているのか、ワタシの魔力に反応しない特性付き媒体なのかして情報が集積しきれない。集積出来なければ、図布に反映は出来ない。よって、不完全だ」

 つまり情報が足りない?

「足りないのは生態系情報及び、公道情報だ。本来なら、人が使う道は流れがわかるものなのだ」

 地図には道らしいラインはない。

「コレでは簡易図でしかない」

 ふぅと物憂げで不満げな吐息。

「あの」

「うん? なんだ」

「いろいろ教えてくださってありがとうございました」

 彼らの礼儀はわからない。だから誠意をこめて頭を下げる。

「いや。会話をしてほしいと案内人に頼まれていたが、話題が、あまり、不得意でな。だが、その、地図のことならば少しは語れるから、な」

 彼女のブツ切れの言葉に少しはにかむようなテレを感じる。妙にドキドキした。


「あ、あの!」


「ん? ああ」


 興奮が盛り上がる。

「もっと、その地図のことを教えてください! 俺でも作れますか!?」

 彼女は虚を突かれたかのように動きを止め、ゆっくりと目を瞬かせた。

 沈黙の時間がどこか居心地が悪く、背中にじっとりと汗を感じる。

 ふむ。と小さく声が漏れる。

「作れなくはない。しかし、規約は厳しいので作成法を伝達することはできない」

 もたらされた答えは拒否だった。

 それでも『作れる』と言う希望も共に与えられた。

「じゃあ、この地図について知りたい。と言うのも、駄目、ですか?」

 拒否がこわかった。

 知りたい欲求が満たされないまま過すしかない未来さきがこわかった。

 わかってはいる。

 知ることができるのは、たやすく手にいれることのできる情報なんかはごく触りだけで理解するにはきっと凄まじい努力がいるんだと思う。

 それでも少しでも知りたかった。

 美しいと見惚れた。

 描き出されていく立体地図。

 昔、父さんと一緒に作った線路模型。父さんがこまごまと配置する森や山、小さな民家に川に架かる橋。

 本当は、地図が作りたいんじゃない。

 きっと、思い出に縋りたい、だけ。

 ひたりと冷たい感触に視線を上げる。

 目元をなぞる彼女の指。

「泣くな」

 その近さに、その言葉に慌てる。

 彼女は笑う。

「ワタシはケトム。エン、共にあるあいだ、時が許すなら、地図について語るはしよう」

 驚く。

 だめだと言われると思ったから。

「作り方は教えられぬ。ケトムは教者としての資格を得てはいない」

 だから、作り方は教えられないが話してくれると言うのだろうか?

 それでも、それだけでもすごく嬉しかった。

「ありがとうございます。すごく、すごく嬉しいです」

「だから、泣くな」

 そう笑われても涙が止まらない。


 帰りたい。

 帰れない。

 この世界はこわい。

 ヒトはこわい。

 そしてヒトは優しい。

 少しでもいやすさを知りたい。

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