2話 初めての会話 ①
************** Tomonori.S
――6月2日朝 桜井家――
どこにでもある普通の一軒家。
僕がいるのは一番の広さを誇る空間、リビング。
真新しい65型のテレビ。画面には天気予報が流れる。
向かいにはこの家に相応しくないほど大きな6人掛けソファ。
ベランダへと繋がる大きな窓からは、延々と降る雨が見えた。
カウンターキッチンからは、ジュージューと何かが焼ける音。
その音と共に香ばしい香りが届けられ、僕の空きっ腹を刺激した。
部屋の中央に置かれたダイニングテーブルに、白と黄の美しい円が3つ運ばれる。
今日の朝食は目玉焼き定食だ。
うん、母さんの目玉焼きは、やっぱり美しいな。
メインである目玉焼きの周りを囲むように敷かれたレタス。
間に挟まるベーコンの差し色が目玉焼きを引き立たせ、食欲をそそる。
3人が席に座り食事を始める。
朝はこうして毎日、父さん・母さんと一緒に食事を楽しむ。
この時間が、僕はとっても好きなんだ。
ふと、僕に疑問が浮かぶ。
そういえば、今月に入って朝食が目玉焼きなのはこれで2度目だなぁ。
とはいえ、まずは食事だ。
『目玉焼きにはコショー』という決まりが桜井家には存在していて、例に漏れず僕もコショー派だ。
今日もお世話になろうと手を伸ばし、シャカシャカと黄身に装飾を入れる。
この瞬間、たまらない。
この刺激のある匂い。いいね、最高だ。
シャカシャカに乗せて耳に届くは、関係ない地域の天気予報。
今の僕にはクラシックに聞こえる。
食べようとした瞬間、僕は窓の外が気になった。
エアコンが効いて、気温・湿度共に快適な朝食の場とは正反対。
そんなフィールド上では、現在進行形で『余興』が繰り広げられていた。
ほんっとバカだなぁ、頭いいくせに。
あの男は学習しないらしい。
昨日に引き続き雨が降っている外の世界。
風は少し強いけれど、小雨の部類に入れても誰も怒らないほど雨は弱かった。
家と家の間に敷かれたアスファルトへと、僕は視線をずらす。
一人の男が歩いている。
閑静な住宅街でその風貌は、あまりにも悪目立ちしすぎていた。
70センチ規格のビニール傘を広げて両手で支える男。
よく見ると、両脇に同じビニール傘を1本ずつ挟んでいた。
ストック……なのだろうか?
不審者を見ながら僕は、半熟に調整された黄身を箸で摘まむ。
トロッとした黄身が、摘まんだ先から溢れ出す。
一部を箸で切り取り、アツアツのごはんに乗せ、クチに運ぶ。
うまい。
卵自然の甘さ。それをコショーの辛味と芳香が引き立てる。
半熟の黄身はごはんに染み渡り、米と卵を繋ぎ、クチいっぱいに幸せが広がる。
あぁ、なんて贅沢な朝なんだだろう。
外で戦う男を見ながら、コメカミをゆっくりと動かす。
男は風と戦っていた。
あ、折れた。
無残にもビニールと骨組みはポンコツ操縦士のせいで飛ばされ、すぐに見えなくなった。
まさか、2日連続で傘から棒に退化する瞬間を目撃することになるとはね。
だが、戦士は昨日と違ってまだ余裕があるようだった。
笑いながら何かを話す。その声は聞こえない。
「こんなもんじゃねぇぞ」とでも言ってみせたのだろうか。
男は右脇から予備1を取り出し勢いよく広げる。
何も存在しない空間を睨みつける男の顔には「まだ終わってない」と書いてあった。
……あいつは何と戦っているのだろう。
そんな事を思いつつ、僕はベーコンをターゲット。
白米の上に置き、ベーコンで輪を作る様に白米を包み、クチまで届ける。
うまい。
火を通したベーコンから流れる肉汁。
1滴も無駄にしないと、肉汁を受け止める白米。
噛むたびに混ざり合う2人。
それこそが2人の存在理由。
互いが互いを認め合い奏でる調和。
優雅だ。
今、外で戦う男と僕は、ある意味同じ気持ちなのかもしれない。
男が上げたのは白旗ではなく、予備1という赤旗だった。
天高く届く勢いで傘を広げる。
だが、男は油断していた。傘を広げると共に脇を広げてしまったのだ。
左脇に挟んでいた予備2が重力に引かれ地に落ちる。
男は慌てて予備2へ手を伸ばす。
その瞬間を“風”は見逃さなかった。
風は男の側面を突き、男が広げた予備1を反転させた。
たまらず男は意識を予備1に戻す。
男はバタバタと予備1を羽ばたかせ、反転した予備1を正気に戻してみせた。
安堵した男は振り返る。そして男は恐怖する。
予備2が敵前逃亡していたのだ。
つい4秒程前まで、男の真隣にいたはずだった相方の姿がみえない。
周りを見渡した男は、遠く離れた予備2を見つける。
風で流されていたのだ。
男は予備2の元に駆け寄る。
まずい! そっちはダメだ!
その声を僕は男に届かせるつもりはない。
今はレタスと肉汁と米が、クチの中で三国同盟成立中なんだ。
クチなんて開けてる場合じゃない。
男は進む。
その瞬間を“雨”は待っていた。
――ピチャッ。
瞬間、男の足に伏兵の侵攻が開始する。
違和感を感じた男は足を見る。だが、既に手遅れだ。
男は雨水を染み込ます。
それは、雨の仕掛けた罠だった。
降り続く雨は、地面に着いた瞬間消えたりしない。残るのだ。
何年も前に整備されたアスファルトは歪み、その形に沿って雨は集い、群れをなし、たまる。
昔の偉い人はそれを「水たまり」と呼んだ。
予備2を追う男は足元など見ず、そのまま罠にかかった。
男は、ただ茫然と、その場に立ち尽くしていた――。
君の負けだよ、政希。
君はそもそも傘をさす事自体ヘタなんだから、数で勝負してもダメだよ。
あとで彼には『レインコート』というモノを教えてあげることにした。
こうして昨日に引き続き、どんなバラエティ番組にも勝るエンターテインメントを堪能した。
僕は食事を続ける。
ん?昨日に引き続き……か。
「母さん、そういえば昨日も朝、目玉焼きだったよ?」
忘れていたのだろうか。朝食を用意した本人に聞いてみる。
母さんはニコニコとしたまま言葉を返す。
「あら友則、随分と物覚えが悪いのね。あなたをそんな風に育てた覚えは無いわ」
「昨日の朝食は食パンで御座いました。すみませんでした」
母さんは終始ニコニコしたまま「そうよ。よく思い出したわね」と言いながら、一瞬みせたフライパンの取っ手をポケットへ閉まった。
……こういうところ、なんだろうか。
母さんの隣に座る父さんを見る。
――母さん見てるとな、ゾクゾクするだろ?
昨日、実の息子に言ってのけたセリフがフラッシュバックする。
あの時、父さんの内なる“何か”が父さんを高揚させていた。
無表情ながら若干の赤面を抱えた顔は息子である僕にとって、あと数年は忘れられないトラウマと化した。
今も同じ顔をしている。
ダメだ。今この人は頼りにならない。
我が家のリビングには大きなテレビがある。「マイケルの誕生日だったから」という理由で昨日、父さんが仕事終わりに買ってきたのだ。
マイケルとは我が家のペット、チワワだ。
真新しいテレビの真横。今も壁に突き刺さってる“何か”が、昨日「マイケルはテレビ見れないでしょう?」と言いながら母さんが投げたフライパン。
その直後母さんが父さんに向かって「あなたもこうなりたいの?」と言いながら引きちぎったのが、さっきポケットに忍ばせた取っ手。
取っ手だけ持ってどこかへ行ってしまった母さんを想って父さんが言ったのが、先刻フラッシュバックしたそれ。
母さんを怒らせてはいけない。
これが昨日、僕の中で新たに定めたルール。
父さんがぽんこつになってしまう。
僕は掟に従い、締めのコーヒーを体に染み込ませ、朝食を終えた。
さて、僕もそろそろ行かなくちゃ。
玄関を出た。雨は降り続いている。
ふと、家の前に転がる“何か”が視界に入る。
ビニールと骨組み。
政希め。昨日に引き続き、また置いていったのか。
昨日、帰宅時には消えていた元傘の行方を彼は不思議に思わなかったのだろうか。
危険物となり果てたソレを、昨日誰が片付けたと思っているんだ。
ウチの母さんだぞ!?
キミは見ていないだろうけども。
政希は知らない。
昨日母さんが回収した元傘の先端に、金属ヤスリを当てていたのを。
それを見た僕が「母さん、それ何に使うの?」と問えば「あなたがテストで何点とるかで決めるわ」と返された。
あれがもし二刀流になってみろ。僕の心臓が無くなる。
武器となり得るモノは早めに処分するに限る。
僕は元傘を家にある『危険物ゴミ捨て場』という名の、母さんの元武器たちが集まる場所へ送り届けた。
なんだか、今日は内容の濃い1日になりそうだ。
そう思いつつ、改めて僕は学校に向かう。
窓の外でコメディー映画を見た直後、自分がスプラッター映画に出演しかけるとはね。
おっかしいな、本当。笑っちゃうよ。
僕は映画のロケ地を進む。
――これは、間違いなく、『余興』だった。
本文修正履歴
2020/06/30 視点切り替えの際キャラネーム追加




