1話 竹林華という女 ③
「初めまして、竹林華と申します。宜しくお願いします、万里さん」
華ちゃんから聞こえてきた声。わたしと同い年とは思えないほどオトナな声。
オシトヤカっていうのかな。
どうしよう、少しだけ恥ずかしくなってきてしまった。
わたしが子供なのかもと、不安がよぎる。
わたしと一緒で転校生に引き寄せられたクラスメイト達が、キャッキャと騒ぐ。
よかった、華ちゃんがオトナなだけみたい。
この子は、わたしが知らないタイプの人だ。
「華ちゃんもうわたしの名前覚えてくれたの? 凄く嬉しいよ!」
「いえ、すみません。先程皆さんが、そうお呼びしてたので」
華ちゃんは眉をハの字にさせ、小首を傾げた。「もしかして、間違ってましたか?」と言いたげな表情でわたしを見つめている。
……え?
「あはは、なるほどっ。でも、よかったら万里って呼んでくれると嬉しいな!」
気持ちが顔に出ないように、わたしは笑って誤魔化す。
違う。ありえない。この子一体……。
「呼び捨て、なんてそんな。私、慣れてなくて、むずがゆいです」
頬に両手を当てて上半身を左右に揺らす。
まるで照れているかのように華ちゃんは答えた。
どうして……そんな事が出来るのだろうか。
わたしは、気付いた事が、気のせいであってほしいと願う。何か別の理由がきっとあるはず。
「もしかして華ちゃん、具合わるかったりする……?」
「そうですね、万全ではありませんが、差し支えない程度だとは思いますよ」
微笑をわたしに向ける。
やめて。あなた、からっぽじゃない……
「あ! さてはもしかしてー?」
わたしは一度席に戻る。カバンから“試作品”を取り出し急いで戻る。
お願いだからこれであってほしい。そう願いながら、話を続ける。
「お腹空いてる? これ、わたしが作ったパンなんだけど、よかったら」
「あ、いえ。すみません、朝は食べて来てしまいました。でも、とっても美味しそうですね」
両手を顔の前で合わせ、“試作品”を華ちゃんは眺めている。
どうしてそんな表情をして、どうしてそんな言葉が出てくるの……。
「また今度是非、一度味合わせてください」
「うんっ。どれもおいしいから、期待しててね華ちゃん!」
「まあ! それはとっても楽しみですね」
とても嬉しそうな表情を華ちゃんは見せた。
それは、人間には出来ない。それが出来たら、人間とは呼べない。
「約束ですよ? 万里……さん。んー、やっぱり、呼び捨てはむずがゆいです」
――どうして、心がからっぽなのに、そんな言葉が出てくるの!?
「んー、ムズガユイかあ。慣れだよ慣れっ。ノリと勢いってヤツだよ!」
「ノリ、ですか。私、頑張ってみますね!」
それは人が出来てはダメな事。それじゃ、まるで……。
「見ててください万里さん。あぁ、また、さん付けしてしまいました」
……操り人形だ。
「あはは。っていけない忘れてた! わたし宿題終わってないんだった! 華ちゃんごめん、また今度!」
わたしは急いで席に戻る。
席に座ると、わたしの呼吸は乱れ、手足は震えている事に、やっと気付いた。
わたしは、いつからこんな憶病になってしまったんだろう。
宿題なんてもちろん終わっている。
わたしは嘘を付いて、竹林華から逃げた。
わたしはこの力が大好きだった。
わたしの持つ直感は、適格に的を射る。
誰にも見られず、影で頑張っていた人に“頑張ったね”と言える。
誰にも相談できず、つらい思いを抱えていた人に“間違ってないよ”と言える。
わたしの力が誰かの役に立つ。それはとっても嬉しい事だった。
後方から聞こえてくる楽し気な声。それは、わたしの心に痛く突き刺さる。
みんなは、気付いていないんだよね。
……いいなあ。
わたしは生まれて初めて、力を持っている事を悔やんだ。
楽し気な声たちをかき消すように、1時限目開始のチャイムが響いた。
************** Masaki.C
…
……
………
…………
悪い予感は当たる確率が高い。そんな話を俺は思い出していた。
1時限目数学。ジメジメとした空気が教室内に充満している。
雨だけのせいではない。
俺は、恐る恐る首を横に向ける。
……仮眠をとったのは失敗だったな。
万里が絶望していた。
泣き出しそうでもなく、叫び出しそうでもなく。
両手をだらんと下げ無表情。
クリクリとした瞳はどこか遠くを見ていた。
こんな万里を俺は見たことがない。
今が授業中でなければすぐにでも問いただすのだが、そうもいかない。
原因は1つしか思いつかなかった。心当たりもあったしな。
――竹林華。
あいつと関わったからだ。
考えられるパターンは2つ。
竹林が万里に何らかのアクションを働いた。
もしくは、万里が竹林の何かを見たか。
答えは教室内を見たら一目瞭然、後者だ。
仮に竹林が万里に暴言を吐いたとしたら、万里以外の誰かしらが怯えていてもおかしくない。だが、そんな様子はない。
万里は何かに気付いたのだ。竹林の秘密に。
なにがあったらここまで万里が絶望するのだろうか。
なぜ万里だけなのか。なぜクラスメイトはこの状況を異常だと思わないのか。
考えるだけでは、答えは出なかった。
これ以上は、万里に聞かないと分からないだろう。
そう思っていた矢先、チャンスは意外にも早く訪れた。
「すいません先生、具合が悪いので、保健室で休んでもいいでしょうか?」
万里は右手を小さく上げ、先生に申し出た。
その申し出は、俺の脳を震わせた。
これだ。
俺が嘘を見抜ける事を万里は知っている。具合なんて悪くないのだ。
そして、保健室への付き添いはクラス委員の役目だ。
嘘を付いた意味はまさしく――万里から俺へのSOSサイン。
万里も俺と話がしたい様でよかった。
付き添いを申し出ようと俺は手を上げ、
「――私が付き添います」
阻まれた。その声は、後方から聞こえてきた。
声1つで、俺の脳から発した命令を無視して体中の関節が固まる。
心臓まで止まっているんじゃないかと思うほどに体が凍り付いてしまった俺は、後ろを振り返るなんてできなかった。
誰かが「大丈夫?保健室の場所わかる?」と、声の主に聞く。
「問題ありませんよ。今朝、確認してきましたから」
大人びた声と共にガラガラと、イスを引いた音が教室に響く。
声の主は席を立った。
クラスメイト達は思い思いの言葉で賛辞を送る。
声にかき消されてもおかしくないくらい、僅かな音。
そんな足音が俺の耳にハッキリ届く。
声の主は歩き出した。
「ダメですよ、万里さん」
生徒の申し出を受けた数学教師は、「ああ、じゃあ頼んだぞ、えーっと……」と、申し出た生徒の名前を言おうとする。
だが教師は彼女の名前を知らないだろう。座席表から名前をを探している。
恐らくそこに名前はまだない。
足音が、ゆっくりと近づいてくる。
「無理をしては、体に毒です」
起きてはいけないなにかが今、起きている。そんな気はした……。
だが俺の脳は震えない。
それは余計に俺を混乱させた。
足音は、より鮮明に聞こえてくる。
「我慢は、乙女の大敵ですよ」
マズい。
これは絶対に、マズい。
声は聞こえる。頭には全く入ってこない。
何1つとして理解することができない。
こいつは絶対に普通じゃない……!
足音はすぐ後ろから聞こえる。
「今はしっかり休みましょう?」
俺と万里の真横、丁度机がある位置で足音は止まった。
声の主はその位置で、ゆっくりと体を反転させた。
「さ、参りましょうか」
手は後ろで組み、腰を折り曲げる。
そして声の主は、万里の顔を覗き込んだ。
「万里ちゃん」
ようやく俺はそいつの顔を見る事ができた。
女が見せた表情は、ホームルームでの彼女から想像もつかないモノだった。
その表情を見た俺は、ほんの少しの間だけ、見入っていた。
竹林華は万里に笑顔を振り撒いた。
本文修正履歴
2020/06/30 視点切り替えの際キャラネーム追加
2020/07/21 外見描写追加・分割




