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第94話 仕事

 あれからも、雪たちは世界各地のダンジョン踏破を続けていた。単身で最強角たる雪に加え、彼女のスパルタにより急成長を遂げたシェルとエルを加えた三人は破竹の勢いでダンジョンを駆逐していった。まして【主】が到来してからというもの瀬戸基地防衛のためいっそう人手不足となった今や、彼女たちに休息の日はなかった。

 そして今日―。

「ねぇシェルさん、僕もう人間辞めたくなってきたんだけど」

「やけに意味深な発言だなエル。でも私も恐らく似たような心持ちだよ。もうダンジョンやだ」

 男二人は、宿泊していたモーテルの一角にある酒場で愚痴り合っていた。

「ところでエルよ、君、何レベルになった?」

 隠しきれない疲労顔そのままに、シェルは運命共同体となった戦友に尋ねた。

「120ちょっとくらいかな。シェルは?」

 いつも通りの無表情のまま、レモンソーダをストローですすりながらエルは答えた。いつの間にか、彼もシェルに対してさん付けはやめていた。

「私も似たようなものだ。130。私達、短期間で上がりすぎじゃないか?まるでドラッグでもやってるような気分だ。自分で自分の身体の気がしない」

 飲み干したミルクティーの安い陶器のカップがいつの間にか手の中で粉々になっていたシェルは、「土に還れ」と呟きながら破片を窓から放り投げると、また机に突っ伏した。

「僕達、ダンジョンに潜る以外にもっといい仕事ないのかなぁ。日の光を浴びながら出来る仕事なら僕なんでもいいんだけどなぁ」

「はぁ、そんなものないだろう。ダンジョンが全滅するか人間が全滅するかのデスレースは佳境に入ったんだ。それ以外の仕事なんてあるわけない」

 社畜ならぬ協畜二人はそのままカウンターテーブルの上に突っ伏した。

「あるわよ」

 その第三声を聞くやいなや二人の顔は上がった。

 雪だった。細身で小柄な体躯、質素な黒いワンピース、大人しそうな外見、そしてそれらとはあまりにも不釣り合いな異形の機械腕を持った、人目を引く少女。だが何故か今日はその上に更に羽毛仕立てのジャンパーを羽織っており、とても暖かそうだった。

「本部からの勅令が下った」と雪。

「本部からだって?なんだろう。あ、僕一度でいいからノアって所に行ってみたいんだけど」 

「それより瀬戸基地の防衛だろう!最終決戦に参加するなんて、それ以上に名誉なことはない!あぁ待っていてくださいアナスタシアさん、あなたの住まう城はこのナイト・アディティアが守りますから!!」

 何週間かぶりに高揚した二人に対し、しかし返ってきた返事は淡々としたものだった。

「残念だけど、そのどちらでもない」

 明らかに落胆した様子の二人に、雪は珍しく気でも使ったのか続く言葉をためらった。

「えと、じゃあ、なんだい…?」

 そんな雪の様子に嫌な予感がしたエルは、恐る恐る尋ねた。

「ゾンビ」

 思わず顔を見合わせた二人。

「ゾンビ討伐。10分後にこのモーテルを発つから、準備して」

「………」

 二人は言葉を交わすことなく、いそいそと準備を始めた。

「あ、これ、コップ代です…」

 シェルは律儀だった。


 飛ぶこと数時間、三人は目的地である南極の地を目前としていた。

 機内でのブリーフィングでシェル・エルが聞かされた今回の任務は、どうやら単純なゾンビの討伐という訳ではなかった。重要な要素として、この最果ての地には最強と謳われる『力』の幻獣、『ユニコーン』が生息している。

 ところが南極観測隊の報告によると、これまで数多の討伐隊を退けてきたこの最後の幻獣が今、瀕死の重傷を負って逃げまどっているというのだ。

「それがゾンビの仕業らしい」

 そう解説する雪自身も、驚きを隠しきれない様子だった。これまで人を食って強大化したゾンビたちの中にはアナスタシアを始めとする加護者部隊と熾烈な殺し合いをした結果討伐されたものもいるが、個体の多くは行方が分からなくなったという。楽観的で盲目的な大勢の人間は、「太陽に焼かれた」だの「神の怒りに触れた」だのと喜んだが、リアリスト達にとってはただ気味が悪くて仕方のない話だった。

 そんな中、とある一個体が海を渡ったとの情報が入った。まさか海上を歩いて行ったのではないしクロールや背泳ぎが上手だったのでもない。衛星からの観測によるとソレは海中生物を食い荒らしながら形態を変えて、恐るべきスピードで海中を移動したらしい。その証拠に、観測隊の生き残りの証言かによると仲間を食ったその巨大なゾンビには背びれや尾びれのようなものが生えていたという。

「コードネーム『ポセイドン』、それが今回の標的。何が起こるか分からないから、ユニコーンのコアが捕食されるのを防ぐ必要がある。捕獲でも討伐でもいい、手段は問わない。最悪のケースでも宝玉は必ず回収する。以上」

 雪からのブリーフィングは、そう締めくくられた。

 だいたい無表情のエルと違って、シェルは神妙な顔つきだった。無理もない。故郷を追われた彼が、ゾンビに良い思い入れがないのは明らかだ。

「大丈夫、今回は私達三人だけじゃなくて、強力な助っ人がいる」

 雪は最後にそう付け加えた。

 

 タラップを降り南極の地に足を踏み入れた三人は、凛と響く声とともに出迎えられた。

「雪、元気にしてたか」

 明るい金髪ポニーテールに、赤いジャケット。南極と思えない短いパンツからスラリと伸びた長い二の足には合金入りのブーツ。まるで非の打ちどころのないモデルのような体躯の中で唯一、右腕に切断面のような大きな傷跡を残した美女。

「久しぶり、リーリャ。話を聞いた時から、あなたが来ると思ってた」

「まぁな。ラストバトルに参戦するには最低条件だろうからな、限界突破は」

 リーリャの真の目的はそちらだった。

 体力を限界突破したクリスに加え、ジャンもオナリンと共にアフリカ大陸の幻獣『クリスタル』の捕獲に成功し、魔力を限界突破していた。他にはチートのアレク、魔力のアナスタシア、敏捷の雪、謎のまま開運したジロウと、ゲートバスターズの面々が各々の得意分野の限界突破を終えた中で、最後がリーリャの番だった。

 雪にとってリーリャは最も気兼ねなく話せる同性だった。アナスタシアとも仲良くはなったが、どうしても対抗意識があったし、消えない過去の引け目があった。そしてS級ダンジョンから片腕で生還したその粘り強さや、エウゴアの仕掛けた罠を搔い潜った機転の良さなどを、雪は十分に評価していた。特に今回のような得体の知れない相手に対するにはかなり頼りにしていた。

「どうやってゾンビを狩るの?ユニコーンの所在も見失っているんでしょ?」

 雪はリーリャに指示を仰いだ。

「あぁ、実はゾンビを釣れてしまうアイテムがこちらにはあるのさ」

「なに?」

 そう聞き返す雪の後ろで、密かにシェル達も興味津々のようだった。

「まぁ言うならば、『一角獣の角』ってやつかな。あのクリス・オーエンスが討伐隊に参加した際にへし折ったんだ。まぁ結局討伐には失敗したからクリスの鼻柱もへし折れたらしいが、こんなところで役立つとはな。かなりの魔力が込められた素材らしいから魚ゾンビが釣れる可能性は高いと踏んでいるし、もしかしたらユニコーンも取り返しにくるかもしれない」

「へぇ、それは探す手間が省けていい。いつやる?」

「ゾンビは夜行性だ。今日の夜、決行しよう」

「わかった」

「ところで雪、お前いつのまに男連れになったんだ?もうあのバカのことは吹っ切れたのか」

「だまれ、年中片思い」

「へぇ〜いい度胸だなぁ…表出ろや」

 最強角の女二人の肉弾戦を止められる男は、その場には誰一人としていなかった。


 シェル・エルの紹介や互いの積もる話をしていると瞬く間に時間は過ぎて、一時の休息ののちに、南極に夜が訪れた。

 陸地の殆どが氷で覆われた広大な南極大陸にあって、南極基地は東京ドーム十数個分の土の敷地を確保していた。基地の空には緑白色のオーロラがかかっていたが、夜に負けじと数多の白いダウンライトがフィールドを煌々と照らし、空の輝きを覆い隠していた。

 中央に今、巨大なクレーン車により吊るされて静かに揺れているものが、ユニコーンの角である。それはただの折れた角という様相ではなかった。静かに歌っているような、泣いているような、不思議な既視感のような感覚を見る者に与えた。

『ポセイドン』の戦闘能力は未知数だ。渡瀬・ミーシナの報告によると、ルシファーに付き従ったという個体『タイラント』は渡瀬の極大魔法によりあっけなく戦闘不能となったらしいが、今も生存している線が濃厚だ。そもそもアナスタシアが密かに使っていた浄化魔法がタイラントに効かなかったがために彼女は今回の任を外れた。となれば、ゾンビ殺しは頭部を潰すというのがセオリーとなるのだが、それがポセイドンに通用するかどうかは分からない。


「ところでエマニエル…だったか、お前は雷に特化しているんだったな。スキルは3種か?」

 白に色濃く立ち上る吐息とともに、リーリャはエルに尋ねた。

「あ、はい。雷纏いと、極大魔法と、あとは最近覚えたての近接型の奥義かな。ステータスは雪さんと同じような敏捷寄りだね」

「ふむ…シェル、お前は?」

「私は超級回復魔法、水系極大魔法、闇の遠距離型奥義です。ステータスは平均型でしょうか」

「よし、エルは海ゾンビが海に潜ったらあぶりだせ。シェルは援護に徹しろ。直接の対峙は私と雪でやる。いいな?」

 二人とも異論なく頷いた。


 静かに揺れる不思議な角を眺めること小一時間が過ぎたころ、突如として近海の氷山がはじけ飛んだ。巨大な水しぶきが吹き荒れ、飛礫となった氷山の一角が霰のように基地に降り注いだ。

「釣れたな」と笑みを浮かべるリーリャ。

「これは…かなり、骨が折れそうじゃないか?」

 それとは対照的にシェルの口元はヒクついていた。

「そうだねぇ。ま、雪ちゃんもリーリャさんもいるんだから大丈夫でしょ」と相変わらずマイペースなエル。

「油断して肉を食われないように。勝負が長引くから」

 そう言って雪が大鎌を展開した時、基地を囲む外壁の一角が音を立てて吹き飛んだ。すぐに光を遮る巨大な影が宙を動き、大きな着地音と共に眼前に現れたのは、異形の化物だった。

 顔は醜悪なゾンビ顔のままだが、首から下だけやけに筋骨が発達している。そして噂通り背中には尾びれが生えて、手足にはヒレのようなものがあった。無理矢理に水陸両用型といった感じだ。

「ゴアアアアアアア!!!」

 そう吠えたゾンビの口からは、魚の生ごみを半年ほどかけてたっぷり熟成させたようなえげつない臭気が発せられて、割と繊細なシェルなどはそれだけでキラキラをぶちまけそうになっていた。

「これのどこが海神ポセイドンだよ。コードネーム考えた作戦本部は頭沸いてんじゃねぇのか」とリーリャは毒づいた。

「ほらリーダーしゃきっとしてよ」

 エルがぽんぽんとシェルの背を叩くと、シェルは我に帰ったように立ち上がった。

「すまない。よし、四人全員で勝利を掴むぞ!」

 調子の良いシェルが発した号令に思わず吹き出したリーリャとやれやれといった表情の雪だったが、前衛美女二人組はそれで同時に行動を開始した。後衛男子二人組もワンテンポ遅れて魔力を練り始める。

 こうして南極の戦いが始まった。


――――――――——


「くさいな…ここ。平気か、るーぱー」

「るぱるぱ」

 ルーパーの背に乗った俺は今澄み渡った空の上にいるのだが、あいにくと気分は最悪だ。

「太一くん、何かありましたか~っ?!」

 旧アメリカ軍から供与された戦艦のデッキの上で店長が緊張感のない声で叫んでいる。俺は耳が人一倍良いので一応聞えたが今俺ははるか上空にいるわけで普通は聞こえないし、実際は念話が通じているので叫ぶ必要もない。単に店長がレースゲームをしながら体が大きく傾く類のアナログタイプな人というだけだ。

『でかすぎる気配の残りカス以外にはなにも。逆に気味が悪いけど、これで座標は確認できた』

 俺は念話でそう応じた。

『玉藻も上がって来てくれ』

『あいわかった』

 俺は上空の安全を確認してから、店長と共に船上にいる玉藻にもそう伝えた。


 ――ついに、『主』が現れた。

 ダンジョンマップによる位置予測が正確であったことと、皮肉にも大量に入手していた魔導核ミサイルのおかげでなんと俺達が戦って消耗することなく諸国司令が第一波をしのいでくれたわけだが、相応の犠牲は払った。瀬戸基地が誇る魔導空軍兵のうち実に半数が命を落としたのだ。そのリストの中には俺が指導に当たった若者たちの名前もあった。

「海上はどうだった?」

 ドラゴンに乗った店長と飛行能力のある玉藻が空に上がってきたので、海上の調査結果を聞く。

 今、この空域は地球上で最も危険な場所としてゲートバスターズのメンバー以外は全て接近を禁じられている。

「恐らく、無傷だろうな。血の一滴すら見つかってはおらん。敵が退いたのは、おそらく『ゲート』が揺らいだからに過ぎんのじゃろう」

「まぁ…そんなとこだろうな。今頃向こうで怒り狂ってるんだろうさ」

「つ、次は全力で来るってことでしょうか」

 これまたわかりやすく、店長がごくんと生唾を飲む音が聞こえた。

 どうだろう。戦闘記録によると強制閉鎖させる前に『ゲート』をくぐってきたのは【舌】だけだったそうだが、それで魔導空兵たちがばんばん食われたということになる。

「次は基地が誇るレールガン式超大型アーティファクト『サンダーボルト』が火を吹くことになるが、確実に妨害が入るだろうな。たぶん、エウゴアあたりの」

「あやつ、肝いりの魔導核ミサイル群をことごとく太一殿に叩き落されて、今頃顔から火が出るくらい怒ってそうじゃからの。いや、あの時の太一殿は本当に恰好よかったのぉ」

 演技なのか本気なのか頬を赤くして腕に胸を当ててくる玉藻は放っておく。

「なにか対策でも?」

 そう尋ねてくる店長に、待ってましたとばかりに言葉を返す。

「俺が店長を連れてきたのはそこだよ。店長、なんかいい道具だして」

 残念ながら俺は直接戦う以外にはモンスターを置いておく程度のことしかできない。

 しかし丸投げした俺の言葉に、店長はにやりと笑みを浮かべた。

「ふっ。ついにこの平成のジロえもんの力が発揮される時が来ましたか。前回とは一味も二味も違うところをお見せしますよ。いきます、極大魔法『降神祭』!」

 店長の結界魔法は、あのS級での戦いを経て進化を遂げていた。彼の少ない魔力行使量とは裏腹に、展開されるこの領域のもつ力の気配は強大だ。以前はただのびっくり箱を引き寄せた役立たずな『おみくじ』だったが、今回は本気で期待がもてそうだ。

「とかいって今回もどうせスカなんじゃないのかの……」

 玉藻は全然信用してなさそうだった。

「おぉ、こ!これは!!」

 店長が異次元ポケットから取り出したのは、大きな容器だった。

 これって……。

「缶詰?」

 見慣れたスチール性の缶詰のようなデザインだった。今回もスカかと思いきや、表紙にラベルされた文字は大いに可能性を感じるものだった。あんまり白くない白玉がイクラみたいに敷き詰められているというちょっとやばい絵面とともに、『ぞんび特効団子』と書かれてあるのだ。興味本位で側面の成分表をみてみると、白玉粉(聖100%)と書いてあった。なるほど。

「玉藻、ふざけてるようでこれは本気で使えそうだぞ。なんとか第二派を防いでくれ」

「分かっておるよ。地母神だった猫神に生かされているこの身は、この地でしか真価を発揮できんからな。太一殿達が露の特等を攻めている間は、わらわが必ずや再び敵を退けてみせよう」

「あぁ。だが死ぬなよ」

「分かっておる。太一殿の側室に入れてもらうまでわらわは死なぬよ」

「おい」

「くくく」

 笑いながら煙に巻かれた。はぁこの古狐はいったいどこまで本気なのやら。

 

 南極の攻略が終われば、いよいよ最後のダンジョン攻略に移る計画になっている。

 俺は座標の向こうの空を睨み付けた。

 ……今の俺はお前には全く歯が立たないだろう。だが見ていろよ、必ず【力】を手に入れて、この地球上からお前たち郎党共を余さず駆逐してやるからな。

 決意を新たに、俺達は基地へと戻った。

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