第93話 大穴
「おぉ、イカしてるな」
ボス部屋の扉の前で、相棒が戦闘準備を行うのを眺めていた俺は、率直な感想を口にした。
「だろ?格好いいだろ~」
答えるアレクは、随分と嬉しそうである。
その容貌は瞬く間に変貌を遂げていた。
「モード【補装】より、モード【武装】へと移装完了致しました、マスター」
男二人だけしかいない空間にどこからともなく、よく通る中性的な声が響いた。
「ありがとう紫電」
活動性や快適さを残すために関節面以外は肌や衣服が見えていた先ほどまでと違い、今のアレクはもう殆どその面影が残っていない。というよりもはや口元以外ほぼ全身が強化外骨格に覆われているため、元が誰だかもわからない。
それを成し遂げたのがこの装着型アーティファクト、紫電である。
そして変化は勿論見た目だけではなく、彼のステータスもまた大幅に底上げされていた。
元々のステータスはそれ程高くないアレクが今は四大ステータス全てが限界突破した状態である。チートだ。
「その装備を全兵士に配れたらさ、もうこの戦争勝てるんじゃね?」
「オー、僕もそうしたいのは山々なんだが、紫電は特別製なのさ。これは同じものが二つと作れない。なんたって製造神の魂魄の半分程が込められてるからね」
「神様の……なんだって?」
「魂、さ。だから【武装】状態の僕は、常に製造神の神威を纏える。しかも脳への負荷は紫電のコアが被ってくれるから、僕への負担は実質ゼロさ」
「ふーん。え…完全にチートじゃん」
「まぁね!とはいえ、寝れば治る君と違って紫電の自己修復には高純度の魔素核が必要だし、僕には君と違って大した戦技はないんだ。だから今の君にも期待してるんだよ?」
アレクがそう言うと、ロボコップみたいな眼帯に浮かぶメインカメラの光の右半分がキラキラと宙を舞った。ウインクを飛ばしたらしい。
「よし情報交換は終わりだ、ささっとやってしまおうか、太一」
彼がパイルバンカーの右腕とは反対の左腕をドアへと向けると、それは瞬時に大砲のような砲身へと変化を遂げた。
「ライトニング」
砲身から煌めく光は、俺の極大魔法とよく似ていた。
これもアーティファクトなのだろう。
ガラガラと大きな音を上げて吹き飛んだドアの先には、八つの腕を持った、憤怒の表情の巨人が佇んでいた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦
「よし、殲滅完了っと!」
そして戦いは容易に決した。俺だけでも勝てない相手ではなかった上に、アレクの力が想像以上だったからだ。俺達の幾分の時間と労力、僅かな擦り傷と引き換えに、A級の主は物言わぬ躯と化した。死体は崩れてダンジョンに吸収されて消えた。後に残ったのは漆黒の大きな魔素核だ。
アレクはすぐに魔素核をアーティファクト『エレメントコア』にはめ込んだ。それでしばらく待っていたが、ダンジョンが崩壊を始めることはなかった。
「ははは。よしよし、これで……もしもの保険は出来たか」
アレクはほっとしたような笑顔を浮かべていた。
彼の言う『もしも』がどういう事態なのかはあまり考えたくはなかったが、そうならないよう全力を尽くすことが俺の仕事なんだろうと思う。
「今日は助かったよ太一。さぁ帰ろう。立派な温泉と食事を用意してあるから、しっかり疲れを洗い流してくれよ」
「あぁ……それはいいな」
笑う彼の横顔を眺めた。人々をモンスターから守ることに追われ、人々を人々から守ることに追われたアレク。彼が最後に取り掛かった仕事は、生き延びた人々を地球から逃がすこと…か。
かぽーん。
男二人、大浴場。アレクの権限か、貸し切りだった。クリスの姿はなかった。どこかでまだ忙しくしてるのだろうか。
「やー、風呂って最高だよねぇ太一」
「あぁ、染み入るな」
店長もよくゴルフの後の風呂は最高なんですよーとか言ってた。なんか俺の中の大人って、店長の話ばっかりだ。親の記憶がないから、何気にあの人が親の代わりみたいなもんだったのかもなぁ。
「ねぇ太一」
隣でタオルを額に乗せたアレク。
「うん?」
眠気眼のまま生返事を返す。
「ナーシャとは仲良くやってるかい?」
「あぁ。心配ないよ」
そう言葉短く返すと、アレクはニカッと大きな口で笑った。
「そうかそうか。君も幸せ者だな。彼女は超美人だし、というか見た目だけなら美少女と言っても過言じゃない。太一、アウトー」
「アウトーじゃねえよ。そういやもう年末か。そんな感覚、去年から完全に消えてた」
「年末というか、世紀末だもんねぇ。ねぇ太一」
「うんー?」
「ナーシャを宜しくね」
「勿論だ。必ず幸せにする、とは約束しかねるけどな」
「おいおいそこは勢いで言い切っとけよブラザー」
アレクは笑いながらそう言い、ざばぁと湯から立ち上がった。広い湯だが、大きな波が生まれた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。とても有意義な時間だったよ。明日から君は君の仕事に戻ってくれ。ダンジョン討伐は順調だ。もしかすれば間に合うかもしれない」
「ノアを使わずに済む?」
「……僕もね。箱舟が地球の一部を内包したまま人々を乗せて宇宙に飛び立ったとして、『主』から逃げ切れるとは思っていない。だが何故か敵は僕達に情報を与え続けた。敵側の知性は、恐らくはルシファーに集約されている。だからきっと、更に何かが起こる気がする。その時に、持てる手段が0よりは1のほうがいい」
「…ルシファーが、何か仕掛けてくると思うのか?」
「僕はそう考えている。太一、僕は人を、いや、地球を守る戦いに専念するつもりだ。だから君は今までの君のままで進み続けてほしい」
「…あぁ」
「うんうん、アデュ太一!」
後ろ手を振ってアレクは出て行った。アレクはいつだってスケールが大きい。波打つ水面を見ながら、そう思った。俺はそれからもう少しだけ湯舟の中で頭をほぐしてから、用意された部屋へと戻った。
「太一、お帰り」
「ナーシャ、帰ってたのか」
ナーシャは既に帰ってきてシャワーも済ませた様子だった。薄暗い部屋にもひっそりと光るダークブロンドの髪はわずかに濡れている。
シャワーの後だというのにその顔には疲れが見えた。ショートカットしたとはいえダンジョンを一つ制覇してきた俺よりも遅くなるとは思わなかった。まぁノアでナーシャに任せられた仕事ってのもあらかた想像はつく。汚れ仕事みたいなものだっただろう。
相変わらず、聖女はつらいね。
「聖女って言うなって言ったでしょ」
両方のほっぺたをつねられた。言葉に出ていただろうか。
「顔に書いてた」
俺の顔文字は漢字対応だったらしい。
「アレフがかんせいしほうはっへ。のあ」
「そうなんだ、すごいじゃない」とあまり感動のない言葉とともに口が自由になる。
「俺とナーシャで、今のまま進み続けてほしいってさ」
「……そう」
「どういう意味だと思う?」
ナーシャはしばらくの間思案して、ぽつりと言った。
「私ね。囚われていた間からずっと、私の役目について、ずっと考えてるんだ」
ナーシャは俺の隣を離れて、窓際に腰かけた。
「太一は【矛】、アレクは【盾】。あなた達の役割って明確じゃない。でも私に与えられたものは【地図】と……なんだろう、【道】かな」
ナーシャは月明りを背にぽつぽつと独り言のように話した。
「あまりやり方は上手じゃなかったけど、私は『ダンジョンマップ』で得た知識を使って組織を作って、象徴たるアレクをトップに据えて、この長い抗争を始めた。じゃあ『テレポート』は?あなたの中で眠り続ける八百万神は、これで私に何をさせようとしてるんだろうかって思うの」
俺には分からない。たまたまじゃないかとも思うし、意味があるような気もする。だが今の俺が考えをしぼったところで意味のある何かをひねり出せるとは思わなかった。
「皆、やれることを精一杯やってる。俺達も一緒さ」
そう、なんとか気の利いたような台詞を絞り出すのが精いっぱいだった。俺達は恋人になったが、未だに俺は彼女の抱えこんでしまった重荷を折半することはできていない。
「……うん」
俺達はすぐに泥のように眠った。
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――その夜明け時。日本の静かな内海、瀬戸内海において――
特に予兆らしきものはなかった。
だが本当にその瞬間に突然、日本にある一つの島が唐突に地図上から消滅した。
その平和なとある島は、基地からの再三の避難要請を最後まで拒んだ何百人もの人々と共に、突如として消滅した。後に残されたのは穿たれた深い穴と大渦。すぐに内海とは思えない程の大きな津波が陸地を襲った。
瀬戸基地にこれまで聞いたことのないような特大の警報が鳴り響いた。ただちに空軍兵達はマッハ10まで加速する最新鋭の魔導戦闘機に乗り込み、現場の空域へと到達した。そこで彼らが目にしたものは、鳴門の渦潮の百倍はありそうな大渦が霞むほどの光景だった。
「なんということだ」
パイロットの一人である大空寺聖須那は、思わずそう呟いた。店長に無残な敗北を告げたあの日から彼は心を入れ替えて研鑽に励み、今の地位を手にしていたのだった。B級討伐にも何度も参加した今の彼は、ベテランと言って差し支えない程、心身ともに成長していた。
だが今、そんな彼の思考は完全に停止していた。
彼の乗る戦闘機のメインモニターには大きな穴が映し出されていた。空にぽっかりと空いた穴だがその向こうは真っ暗闇だ。いやよく見るとそれだけではない。黒い何かが蠢いているような気配がある。
「……なんだっていうんだ」
それを意識した途端、これまでに感じたことのないような激しい生理的嫌悪感が、彼の全身を総毛立たせた。
『á…á…á…á…á…á…á…á……』
「ひぃ!」
彼は、それが自分から出た声だとは思いたくなかった。
だがそんな余韻に浸る間もなく、空が地が海が、全てがガタガタと震え上がるような断続的な音が聞こえ始めた。そしてまさかそれが『声』だなどという馬鹿げた発想は、そこに居た誰もが思いたくはなかった。
「司令部より全パイロットへ。標的は空の大穴へ、装填済魔導核ミサイル全弾発射を許可する!」
英雄渡瀬が叩き落した魔導核ミサイルのうち、コア部分が無事だったミサイルは再生され、この機体の底部に計五発ずつ装備されていた。
「え…また日本の上空で魔導核ミサイルだって?嘘だろ」
基地司令部から下った突然の命令に、大空寺だけでなく多国籍からなる他国のパイロット達ですらも大きく戸惑った。魔導核ミサイルが直撃すれば一発で日本全土が吹き飛ぶ威力があるからだ。ここは数千キロメートルは地表から離れているだろうが、それでも地上への影響は避けられないだろう。
そうしているうちに穴は次第に少しずつ大きさを増していき、彼らは見た。
例えようもないほどに大きな…そう、動物の眼球のようなものがぐりんぐりんと痙攣しているかのごとく忙しなく動いている。
まるでこちら側を視線で物色しているかのように。
『ááááááááááá……áááááááááááááááá』
そして次の瞬間、何百機と空を旋回していた機体のうち数十機の姿が突如として消えた。
隣で消えた戦友の機体と並走していた兵士たちが見たのは、眼球よりも更に大きな赤くべっとりとした絨毯のような構造体が大穴からにょきにょきと水族館のチンアナゴみたいに何本も出たり入ったりしている姿だった。
それが目に見えない程のスピードで、鞭のように空を蹂躙していたのだった。
また数十機が消えた。
「ぐぅッ」
大空寺は培った動体視力をもってして一度だけ奇跡的にその捕縛を躱すと、射程圏外と思われる空域まで離脱した。
「クソッ!生物だとすれば、あれは舌だとでもいうのか!?」
大空寺には、そう見えた。
だとすれば馬鹿げた話だ。あの舌の先端のような部分だけでおおよそ瀬戸基地よりもはるかに大きな構造物なわけである。本体がどれほどの大きさになるのか、彼にはとっさに対比できる物体が思いつかなかった。
次々と消えて行く機体とそのたびに聞こえる地響きのような音、もしくは呪詛のような声。奇跡的に助かったパイロット達の中からも恐怖で失神したものや操縦桿を自ら手放して墜落するものが続出した。管制塔から響く怒号まじりの指示がBGMと化しつつあるそんな中で、ふと全てのパイロットの耳に聞きなれた声が届いた。
「すまないが私に喋らせてくれ」
諸国司令の声だった。冷静かつ穏やかで人望のある人物である。
落ち着いた老齢の喉からごほんと一つ咳払いの音が聞こえたかと思うと、パイロット達はかつて聞いたこともないような大きな怒号を耳にした。
「ようやく現れた敵の大将を目前にして忠犬のようにおりこうさんしてるのが貴様達が与えられた任務か!今すぐその腰にぶらさげたしょうもない素チンをあの汚ケツに向かってぶちこまねぇかこの腐れ小便垂れ小僧ども!!」
色々な局面においてギャップというのは重要な手札なのかもしれない。
不思議とそれで正気を取り戻した残百数十機の機底部から漏れなく五発ずつの魔導核ミサイルが次々と発射されて、面白いように大穴へと飲み込まれていった。ある意味それは狂気の沙汰でもあった。不運な何発かは『舌』に当たったが、管制塔制御の時限式に改造してあったため空中で炸裂することはなかった。
しかし、恐らく【ゲート】であろう大穴の奥は直接こちらとつながっているらしい。はるか向こうで起きた大爆発はわずかな放射能と共に激しい爆風をもたらし、巻き込まれた多くの戦闘機は空の塵芥となり消えた。
「あぁ俺の人生、なんて不運なんだ……」
そんな大空寺青年の呟きを残して、まばゆい閃光と共に空は静かに爆ぜた。




