第92話 アレクと箱舟
『ノアの方舟』とは。
由来は旧約聖書だが、それは様々な寓話で語られ、しかしどれも実態の大筋に違いはない。
――滅亡を免れるため、災禍の空を超えて、人々を載せて飛ぶ船。現代風に言えば宇宙船か。
今回俺とナーシャが連れてこられた場所は、それを現世に再現させるためのものだという。
「そしてそれを何とかするための施設が、ここさ」
そう言うアレクと二人で、俺はその施設とやらにやってきていた。
アレクと共に作戦行動をするのは、何気に今回が初めてだ。
隣を歩く彼からは、メカニカルな軽妙さと単純な重厚さが入り混じった足音が絶えず聞こえてくる。
(もう半分、アンドロイドだな)
元々長身の彼が四肢を一回り延長させるタイプの強化外骨格を纏い、さらにアタッチメントとして各種武装を装着しているため、さながら機械系の亜人族とでも並んでいるかのような存在感があった。そんな存在が居ればの話だが。
「施設……ね」
アレクが施設というここは、おおよそ真っ当な建物などではなかった。
というか、どう見てもダンジョンなのだ。
「ここは?」
「ブラジルに三か月もいた太一なら、見当はついてるでしょ。対ダンジョン協会総本部に最も近い大型ダンジョン。かつてオメガが目指した場所」
「ブラジルA級」
「そっ」
「……それがなんでこうなってるんだ?」
ダンジョンの入り口周りは巨大な機械壁で覆われ、あつらえられた門には兵士が常駐し、そこを無数の労働者と思われる人々が行き来している。まるで本物の都市か何かを囲っているかのようだった。
「オリヴェイラ総統!渡瀬大尉!お疲れ様です!」
「はいお疲れさん」
門兵にひらひら手を振って労うアレクを追って門をくぐると、そこにはダンジョンの入り口らしき、別の門が大きな口を開いて座していた。
その横には螺旋状の溝が掘られた三角錐状の巨大な金属体が、切っ先を天に向けて堂々と座していた。というか、放置されているように見えた。
(なんだあれ……ドリル?)
色々と意味不明だ。
ダンジョンの入り口から中に入ると、大きな広間があり、そこには複数のリフトが用意されていた。
労働者や兵士たちは、鋼色のリフトを使って忙しそうに行き来している。
一つしかない銀色のリフトはどうやらアレク専用らしく、彼の魔力に反応して動作を始めた。
透明で大きなトンネル、シャフトと呼ばれるそこを、リフトは通過していくらしい。
「さ、行こうか、太一」
リフトはいわゆるロープウェイ式だが、これはいきなり下へ下へと潜っていく様子だ。
俺の視力を持ってしても、ゴール地点は見えない。それほど深い闇へと続いているらしい。
「深いのは当然さ。なんたってこのリフトは、ボス部屋まで一直線に繋がっているんだからね」
「どうやってそんな穴を、よりによってA級ダンジョンに掘れたんだ?」
そう聞くと、アレクは待ってましたとばかりに嬉しそうな表情で、強化外骨格に連結させた左腕の武装を指でなぞった。
そしてそれは瞬く間に機械式の展開を起こし、ある象徴的な姿へと変貌した。
「…杭?」
「そう、パイルバンカー!男のロマンだろ?」
「お、おお」
強化外骨格と武装の展開が格好いいのは間違いないので、頷いておく。
リーリャと趣味が合いそう…あそっか、リーリャのやつアレクに惚れてるんだった。どうりで。
「さすが太一話が分かるねェ。これは『ダンジョン殺し』っていう僕のアーティファクトの一つさ。入り口にあったエクスパンションパーツさえあれば、こんな大きな穴も掘れる。そしてこいつで掘った穴は再生しない」
「ふぅん」
って、あの雑に放置してあった巨大ドリルがアタッチメントだったのか。
まるで不思議なダンジョンの裏技だな。壁を掘って進むことが実際にできるとは思わなかった。
「それで、この施設は一体何のためのもので、アレクは俺に何をやってほしいんだ?」
単刀直入に聞いてみることにした。
「魔素核生産工場」
「え?」
「初耳かもね。これもノアと同等レベルの極秘事項だから。ここはね、ゆくゆくはノアに内包される、世界最大の魔素核生産工場になるのさ。実はプロトタイプはC級でもう数カ所作って成功してある。だから太一にやってほしいのは護衛だよ。僕がA級ダンジョンマスターを倒すための、ね」
そう言い、アレクは不敵に笑った。
可能なのか?魔素核を人工的に生み出すなんてことが。
「可能なのかって顔に書いてあるね。ふふ、可能なのさ。あれも一つの資源だからね。たとえばボイタタや九尾ちゃんみたいな妖怪は、長い年月をかけて星からあふれ出た余剰魔力が生命体として形作られたもの。一方、純粋なエネルギーとして急速に抽出され結晶化したものが魔素核。僕はね、ノアを創るために、どうしても大量の魔素核が必要なんだ」
「…まぁアレクがそこまで言うんだからよほど重要な施設なんだろう。でも、ダンジョンマスターを倒して封ぜられた神様を解放したら、ダンジョンは消滅してしまうんじゃないのか?」
「そう、そこでこの装置の出番ってわけさ」
アレクは背負っていた大きなバックパックから、箱型の装置を取り出した。
「これはエレメントコアというアーティファクトでね。ダンジョンマスターを倒してすぐにそのコアとなる魔素核をここに収めれば、神様を解放したダンジョンは崩壊せず、魔素核を無限に生み出す工場と化すってわけさ」
便利だな。
便利だが…。
「人を守るために地球の死期を早めることになる?」
アレクに胸中を完璧に指摘されて思わずギクリとなった。
彼を疑っていると思われたくはないのだが。
「大丈夫、君の考えはよく分かるよ太一。ただ誤解しないでもらいたいのは、これは僕の中の神々とも既にコンセンサスが得られている話ってことさ」アレクは続けた。
「これは決して幸運なごく一部の人間を守るためだけのものじゃない。ノアが支柱となって、『主』のライフドレインから地球のエネルギーを保護する役割も果たすんだ」
アレクが掌を握りしめると、金属が軋むような音が聞こえた。
「逆に言うと、『主』が現れた時、ノアの外にいる生命はどうなるか分からないってことか」
ルシファーが語った、望外に巨大な『主』の姿を想像し、そしてそこから伸びた触手みたいなものが根こそぎ全てを奪っていくような姿を想像し、少し吐き気がした。
「…そうだね。さっ、そろそろ終着駅が近い。頼りにしてるよ、太一」
「あぁ」
リフトの扉が開く。
そこは、最深部の扉の、まさに目の前だった。
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一方アナスタシアは、クリスに連れられて、ノアの外部に作られた大きな集落にいた。そこには世界各国から輸送されてきた避難民たちが集められていた。
「倒さなくていい。炙り出してくれれば、処理はこちらでやる」
クリスはそう淡々とアナスタシアに告げた。
「…はい」
ノアの内部にゾンビ化した住民が混ざらないように、彼女に与えられた役割は『選別』だった。
集落を一望できる管制塔の上で、彼女が魔力をセーブした浄化の魔法を静かに唱えると、集落を大きな白い光の輪が包み込み、同時に至る場所で叫び声が上がった。
ゾーン分けされた感染者たちの元へ、クリス直属の処理部隊が直ちに対処に向かう。
避難民たちには、この『選別』の工程があることは事前に伝えられてはいた。
だが、それは何か科学的な処理かなにかであって、突如地面に浮かぶ魔法陣によるものだとは誰も思っていなかった。
引き離される親子や、自身の感染を信じられず処理部隊を罵る若者、浄化魔法のみで地面に倒れて動かなくなった老人。
パニックにならないよう、処理部隊は静かに、的確に処理を進めて行く。
神々の祝福を得られなかった人々の、不幸な姿。
その光景をアナスタシアはじっと見つめていた。
「ごめんなさい…。でも私は…私に出来る限りの事を…必ず成し遂げます」
アナスタシアの独白をただひとり、クリスは静かに受け止めた。
そしてこの日だけで彼女は数十万を超える人々の選別を行い、生き延びた人々は、ようやく晴れて救済の地へと足を踏み入れた。
そこは壁のみならず、地面がまるごと機械のようなもので覆われていた。
高純度の魔素核を用いたアレキサンダーの錬成機械、アーティファクト。耐物・耐魔コーティングされ、自己修復機能をもつ半生命機械壁群『ノア』で覆われた、まさに機械の大地。
それが人類を乗せる最後の箱舟、『ノア』の正体だった。
その不毛の大地を一目見て、しかし人々は歓喜した。
ダンジョン被害に次いで起こった、悲惨な人間同士の殺し合い。摩耗した人々の心は、何よりも頑丈な『壁』を求めていた。
立ち並ぶ、一様な高層ビル群。あてがわれたその一室で、家族は安心して眠りについた。
地球の裏側で、あと幾許かののちに起こるであろう天変地異。
そのことを知り、思いを馳せる人間など、ここには一人もいなかった。




