第84話 大切な人たち
俺が目を覚ますと、仲間たちは信じて待ち続けてくれていた。
ナーシャにかけられた呪いは何とかできたと思うと伝えると、店長もリーリャも、飛び上がって喜んでくれた。そのおかげか、リーリャには殴られずにすんだ。
そして俺は、一つの要望を伝えた。
ナーシャが目を覚ますときは、俺達二人きりにしてほしい、と。
―それから、三日が過ぎた。
俺は病棟の個室で、眠るナーシャの傍に座っている。
時折看護師さんが身の回りの世話をしてくれる時以外は、じっと、彼女が起きるのを待っている。
彼女が起きた時、俺は伝えたいことがある。
もう既に伝わってしまっているかもしれないけど、他にも、たくさん。
話したいことがある。たくさん。
彼女と出会ってからの四カ月。そして離ればなれになった四カ月。
窓の外では、すっかり数を減らした蝉達が、最後の歌を繋いでいるようだった。
来年もまた鳴けるとは限らないと、勘づいているかのように。
ふと、空に影が落ち込んだ。
さっきまで快晴だったのに、外では雨が降り出してきたらしい。
次第に雨粒は大きくなった。カーテンレース越しに、断続的な水の音が聞こえる。
蝉達の声は次第に小さくなっていった。
部屋は切り離されたように、静寂を帯びた。
俺は雨が好きだ。
こんな世界だからこそ、俺はここになにか、神性の気配を感じた。
ひょっとすると、水神の影響かもしれないな。
ナーシャが、ゆっくりと目を開いた。
目があった。
彼女はしばらく声を発さなかった。
表情は穏やかで、ループ世界で見続けたようなものとはぜんぜん違う。
ナーシャが、帰ってきてくれた。
俺は嬉しかったから、思わず笑顔になった。
なのに、彼女の目には、雨と同じくらい、大粒の涙が浮かんできた。
彼女はくしゃっと顔を歪ませて、涙声で口を開いた。
「太一、ごめんなさい。ごめんなさい…私―」
「違うよナーシャ」
「え」
「まずは、おかえり」
「うん…だだいま。太一」
ぐすっと喋りにくそうな彼女に、ティッシュを何枚か手渡した。
有効活用してくれたようで、声は聞きとりやすくなった。
以前の、優しい声だ。
「私、あなたの事をすごく、傷つけてしまった…」
「うん」
「優しいあなたに、ひどいことをいっぱい言った…」
「うん」
「何十かいも、なんびゃっかいも…」
また声が聞きにくくなったので、ティッシュを手渡したが、有効活用してくれなかった。
綺麗なお顔は涙でぐしゅぐしゅだ。
リセットした世界の記憶は残らないと思っていたけど。
世界が崩壊した後で、情報だけは渡ったのかもしれない。
確かにつらかった。
でも、こうして元に戻った彼女とまた話せるようになった。
それだけで、もうぜんぶ報われた気持ちだ。
「君の槍の練習相手になれたのなら幸いだよ」
「またそんな軽く…言って…。太一って、会った時から…そう…」
「ごめんよ。謝罪ならいつでも聞くから。でもその前に…。俺が向こうで言ったこと、覚えてる?」
「…うん」
「好きだよ、ナーシャ。君のためだったから、俺は頑張れたんだ」
「…あ」
「返事をもらえるかな」
「…私も。私も、貴方のことが…好きです。大好きです…」
よっしゃぁぁぁ!!
「やったぁぁぁぁ!!」
嬉しい。
生まれて以来、こんなに嬉しかったことはないってくらい。
思わずガッツポーズをとってしまった。
「…もう。謝りにくくなっちゃった…じゃないですか」
ナーシャは久しぶりに笑顔を見せてくれた。
色んなわだかまりが解けたのか、なんだか、すごく素敵な笑顔だった。
「いいんだよ。君に救われた命だったんだから」
だから、このシチュエーションもあってか…。
心臓がすごく、その、脈打ってる気がする。
「だからその…謝られるより…ご褒美が欲しいなって」
「うん。太一、きて…」
かくして、俺の人生において、間違いなく、最も幸福なひとときが訪れたのだった。
…念話リンク、切り忘れてなくてよかった…。
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その後、晴れて仲間達と合流した俺達は、店長が持っていた巨大なクラッカーとともに盛大に歓迎を受けた。【おみくじ】で当たったらしい。
なんとなく店長は、今日くらいにナーシャが目覚めそうな予感がしたらしく、宴会の用意までしてくれていた。
そしてクリス、ジャン、玉藻の三人は、ちょうど昨晩、無事皆揃って日本A級ダンジョンを見事に攻略して帰ってきていたらしい。俺に気を使ってくれていたようだ。
当然、揃って宴会に参加となった。
こうして、俺達聖女パーティ…。
いや、もう彼女のことを聖女と呼ぶのも呼ばせるのも、金輪際なしだ。
【ゲートバスターズ】は、随分と大所帯になってきた。
俺、ナーシャ、店長、ルーパー、リーリャ、クリス、雪、ジャン、玉藻の九名だ。
アレクは残念ながら今はヨーロッパにいるらしいので、後でzoamで参加することになっている。
どうやらもう一人の『ガチャ勢』と作戦行動中らしい。
「えー、世界はご存じの厳しい状況ではありますが、こんなにめでたい事を祝わないだなんて、明日からの我々の活動に差し障るレベルの粗相ではないかと!不肖わたくし次郎は考えまして!ささやかながらこのような会を開かせていただきました!乾杯の音頭をとらせていただきます前に、まずは今回のナーシャさん…と、おまけして私とリーリャさんの救出作戦の大功労者である、渡瀬作戦隊長のお言葉をいただきたいと思います。拍手!!」
私らはおまけかよ!とリーリャから野次が飛んだ。
「いいわよージロウちゃー--ん!」
乾杯前から既に樽を空にしているジャンは、べろんべろんに酔っていた。
「だまれ、話が進まん」
盛大なフライングに明らかにイラ立っている様子のクリスの肘撃ちがダンジョン攻略で負った傷に刺さったらしいジャンは、机の上に突っ伏して動かなくなった。が、幸い隣席がナーシャだったので、回復魔法でむしろ余計元気になった。
「主殿、わらわへの労いの言葉も忘れてはならぬよ?」
わかってるって。たった三人でA級を攻略してくるなんて、たいしたもんだ。
玉藻ともまた、これまでのこと、今後の事、色々と話さなきゃな。
お酒が入ってる方が案外いろいろと良いかもしれない。店長には感謝だ。
「兄さんがんばれ」
雪が応援してくれた。
唯一未成年だし、はっちゃけるどころか緊張した面持ちではあるが、なんだかリーリャと仲良さそうに過ごしていた。
最近喋り方が固かったのも気になっていたが、また以前みたいな年相応な喋り方に戻っている。
…俺があっちに行っている間に、リーリャが世話を焼いてくれたのかもな。
ほんと、リーリャには世話になりっぱなしだ。
一度くらいアレクとのデートをセッティングしてやらなきゃな。
俺は店長から手渡されたマイクを手に、もう一度仲間たち全員の姿を眺めた。
みな、すごく楽しそうな表情のまま、俺に注目が集まった。
「えー。腹減ったし、早く呑みたいだろうし、手早く済ませるよ。まずは、クリス、ジャン、玉藻。A級攻略の任、お疲れさま。お前らならやってくれると思っていたよ。そして、店長、リーリャ、雪、ルーパー。オメガは倒せなかったけど、S級から皆で揃って帰還できただけでも、俺達の勝ちみたいなもんさ。生きていてくれて、力を貸してくれて、ありがとうな。そして…ナーシャ」
「…うん」
「俺は、ナーシャを無事に取り戻せたことを、本当に嬉しく思う。それで、皆には報告なんだが…」
俺は一度大きく息を吐いて、また吸い込んだ。
つまり深呼吸した。
ちょっと緊張するな。
「え…え…え…なになにこの雰囲気…もしかしてもしかして―」
「ま、まさか主殿、わらわという女がいながら」
なんとなく、雪の方をちらりと眺めた。
彼女は、肩をすくめて、ほんの僅かだが、笑顔を向けてくれた。
なんとなく、それで肩の荷が下りたような気がした。
「俺とナーシャは、恋人同士になりました」
一瞬、しんとなった。
皆三者三様に、すごく驚いた顔をしている。
大所帯になったから、一組くらい良いかなと思ったんだけど…あれれ。
「えと、だからまぁ、今後とも、二人ともども宜し―」
そこで、盛大なクラッカーが鳴り響いた。
見てみると、全員がもともと持っていたらしい。
用意よすぎでしょ。
「盛大な拍手―!!!そして、これ以上の音頭がありますでしょうか!では我々の勝利と、二人の未来を祝して、乾ッ杯!!!!」
そうして九つ分の祝杯は掲げられた。
俺とナーシャは、仲間達に大いに祝福してもらった。
途中からアレクとの通信もつながって、アレクにも同じように報告したところ、持っていた重火器を全て召喚して空へと祝砲を上げてくれた。祝報の内容としては…。
『いえぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっぇ!!なんて!!!!ハッピー!!!!バブリー!!!!!!!な!!グレイトセレブレイッツ!!!!!!』
以下略。
いや、嬉しいんだよ?でも何言ってるか殆ど聞き取れなかったんだ。
アレクが世界中を駆け回っている中でなんとなく申し訳ないような気がしていたから、全力で喜んでくれたことが、俺もナーシャも、すごくうれしかった。
それからは、アルコールの力ってすごいんだなって実感した。
飲み会なんて、今まで殆どしたことなかったからさ。
かけがえのない仲間達とのお酒が、こんなに楽しいものだとは知らなかった。
俺たちの話題は、本当に、全く尽きることがなかった。
ジャンとリーリャの神様交換の儀は本当に笑った。
そのままが一番自然だよという野次に切れるリーリャと、喜ぶジャンが対照的だったな。
どちらがより気配を消せるかゲームも楽しかったし、アイテム工場でポーションとエーテルを混ぜてみようとか、店長の家族を連れてこようとか。後半はどんどん皆バカになっていった。
みなきっと、今この時だけは、世界の滅亡の危機を忘れて楽しんだ。
また明日から頑張ろうって。
それがとても大切な事だと思った。
―空が明るみ始めるまで、祝杯は交され続けた。
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そして、誰もいなくなった部屋に。
一台のテレビが置かれていた。
その、つけてもいない電源が、ひとりでに点灯する。
テレビの向こうには、一人の男の姿が。
その顔は、今や誰しもが見覚えのあるものだった。
「私の名はエウゴアといいます。ご存じでしょうか。敬虔な教徒の皆さまにも、その他大勢の無価値な皆さんにも、等しく大変残念なお知らせですが…今日をもって、奉魔教会は解散します」
そして、次に発せられた言葉に、世界中が揺れた。
また滅亡は次のフェーズに入ったのだと、世界は否応なく、知ることとなった。




