第83話 不条理の神
子供の声がした。
さびれた公園の隅にある砂場には、大小粒の不揃いな砂の池と、長靴姿の小さな子供。
彼/彼女は無邪気に砂を積む。
ぺったん、ぺったん。
目指すは砂の城。
手のひらから砂が零れ落ちるたびに、時間も零れて落ちていく。
背中から影を伸ばしてくる夕暮れ。
だから彼/彼女は、お城が完成しないことを知っている。
ぺったん、ぺったん。
嗚呼、闇の訪れ。
滑り降りてきた夜の帳が、救い上げるように砂を空へと運んでいく。
すっかり砂のなくなった砂場。
目の前には、ただ完成を間近に控えた砂の城。
今日もどこかが欠けている。
にっこり。
満面の笑みで、彼/彼女はそれを蹴り壊した。
子供は家へと帰っていく。
さらさら、さらさら。
誰もいなくなった公園で、砂の城は積み上げた時間とともに無へと還っていく。
中からごろりと零れ落ちた何か。
それも時間と共に砂へと還っていく。
そうしてあくる日も、あくる日も。
ぺったんごろり、ぺったんごろり。
城は毎日形を変える。
そしていつも、完成しない。
―蹴られたお城からはみ出すなにかが気になって近寄ってみる。
あさっての方向を向いた街路灯の光が僅かに照らすそこには、欠けた男の顔。
無念と苦痛に満ちた、男の顔があった。
砂の城からこぼれ落ちるのは、この世の不条理。
大きな目的をもった何かを果たせなかった人間の顔は、苦悩に満ちている。
そう、今まさに目の前にある。
―まるで槍でも突き刺さったかのように欠損した、この俺の顔のように。
「うわぁぁ!」
思わず大声が出た。
なんだか、すごくリアルな悪夢を見た。
俺の生首が砂場の城から出てくるなんて…。
(…ッ)
そして次に、思わず息をのんだ。
俺の目と鼻の先に、もう何度もくらったナーシャの水の槍が、止まって見えるくらいのスローモーションで俺の顔面目掛けて飛来してきていた。
「…なんなんだ?」
頭を傾けてそれを躱すと、槍はゆっくりゆっくりと飛翔を続けて、部長の机もまたゆっくりと粉々になっていった。
「どーなってんだ。槍が目で見えるだけじゃない。なんで世界がスローモーションなんだ?」
『そりゃ、僕の結界の庇護下にいるからさ』
あぁ、そういうこと…。
ループを重ねて、発狂寸前まで怒りを溜めた甲斐があったか。
なんとか、第四神威には成功したようだった。
目の前にいる存在は、子供の姿をしていた。
それも、さっきのイメージ映像の中で見た子供だ。
十代前半くらいの…男か女か分からない中性的な外見。
でもその中身が見た目通りの可愛らしいものでないことは、考えなくても分かる。
『僕を召喚できる程の怒りを纏って正気でいられたなんて、たいした精神力だよ。まぁ、いいのか悪いのか分からないけど。君の寿命、数年は縮んだだろうね』
目の前の存在は、子供の姿を模したナニカだ。
「魔神…か」
『そうだよ。僕はこの世の不条理を処理する神だ。さっき君の目にどういう景色が浮かんだかは知らないけど、まぁそういう類の仕事をしてるってワケ。ところで、龍神ちゃんには様をつけて敬ってたというのに、働き者のこの僕には、敬意がないんだ?』
いつの間にか目の前にいた魔神。
無表情に、大きく見開かれた両目。
底冷えするくらい冷たいその視線に、いつもなら後ずさりしたかもしれないが。
…今はあまり気にならない。
「あんたはそんな崇高なのは望んでないだろ」
直感だがそう思った。
『あッは★』
とたんに破顔一笑となった魔神。
どうやら当たっていたらしい。
『正解。僕はそういう外面をこねたようなお付き合いは好きじゃない。うんうん太一、君は意外に本質を見る目があるよね』
「なぁ、この状況はどうなってる。槍も、机も、ナーシャも、まるで戯曲でも見てるみたいにゆっくりなんだが」
俺の視界に映る世界は、どこか色彩も色あせて見える。
『僕の結界は時間を操作するんだ。君でいう、第三のスキルはそっち系さ。まぁ、創造神に名を連ねる時制神のそれに比べたら、僕のなんて遊びみたいなものだけれどね』
「…創造神って?」
『この世界を創った五柱の神のことさ。生命、物質、霊魔、時、運命を司っている。宇宙も、星も、元はあれらが創った。僕は正確にはこの星の神じゃないんだが、元となる出自は一緒さ。そうだな、君の身近なところで言うと、【限界突破】のシステムなんかも、あれらが創った古いならわしの残りカスさ。一つの力に溺れないよう、色んな力と知恵を結集して自らの壁を壊すよう与えた試練なんだ。生命が独自の進化を続け、神の庇護を外れつつある今の時の中では、形骸化もいいところだけどね』
まぁ確かに、力ごりごりの仲間との共闘でも、宝玉使っても突破できちゃったしな。
創造神…か。すごいスケールの話だが、どうせ俺には関係のないことだ。
「ふふ。君には、まったく関係ない…ってこともないんだけどねぇ」
「そんなことより、魔神。俺は今の状況をなんとかするためにあんたを呼んだんだ。理由は一つ、あんたが【怒り】を喰うのが大好きな神だからだ。単刀直入に言う。ナーシャの怒りを喰いつくせるか?」
『ははーん。考えたね。でも無理』
「なんで!?」
『いじわる言ってるんじゃないんだよ、太一。そういうシステムなんだ。依り代となった知的生命体以外の生命に、神は直接干渉できない。それに、もし一時的に喰ったところで、その後にまた再発したらどうするのさ。その時にまた僕を呼べるとは考えない方がいいよ』
「そんな…」
考えつく限り、唯一のアテが外れた…。
もう、どうしようもないのか…。
『まぁ方法なら、ないこともないよ』
「どうすればいいんだ!?なんだってするから!!」
『…なんで君は、そんなに一生懸命になれるんだい?』
「それは…彼女の事が好きだから」
『はは、男らしい、ね?でもちょっと、曖昧かな。僕は、何故と聞いた』
なぜ?
目の前の魔神は、また真剣な表情をしている。
俺に何が聞きたいんだろう。
なぜ、なぜか。
そもそもなぜ俺は彼女の事が好きになったんだろう。
なんでこんなにも傷つけられて、それでもまだ彼女の事を諦められないんだろう。
あの丘で、またガチャ神に会いたいと泣いた彼女。
泣きながら頬にキスしてくれたあの日、俺は彼女への好意を自覚した。
でも本当は…。
「出会った時から、好きだった。彼女が成し遂げたかった事を、俺は応援したかった」
『それは?』
「最初は、不条理に対して正義で立ち向かうこと。後で分かったのは、家族の無念を晴らすこと。そんな、俺が忘れてとっくに失ってたものを、彼女は取り返そうと…頑張っていたんだ」
『そう』
「だから俺はアナスタシア・ミーシナが、強い人だと、ずっと思っていた。でもそれは違った。両親の命を養分にしたC級ダンジョンの中に入ること、それが、彼女にはできなかった。彼女は俺と同じか、それ以上に、心の弱い人だ。そんな…俺が大切に思う、綺麗な心が、今土足で踏み荒らされている。俺はそれがどうしても許せない」
『そっか。君は許せないんだ』
「ついでに追加しておくと、俺自身も今回のことで結構深く傷ついた。だから、絶対にエウゴアの思う通りにはさせてやらない」
『うん。うん。よくわかったよ』
「てことは?」
『合格。いい理由だったよ』
「それじゃあ」
『うん。不条理と戦うため、君に力を貸そう』
やった…。
よかった……。
膝の力が抜けた俺とは対照的に、魔神は、軽快な足取りでナーシャの方へと歩いていった。
いつの間にか、ナーシャの動きは完全に止まっていた。
「時間停止…?すごい力だな」
『完全に停止はしていないよ。そして君にあげられる力は更にもう少し弱いけどね』
魔神はナーシャに手を伸ばし、その額に掌を重ねた。
「直接干渉はできないんじゃ?」
『そう。だから僕が干渉するのは、彼女の中の水神さ。あれを無理やり覚醒させる。心の弱いアナスタシアがうまくあれの力を使いこなせていないだけで表面化していなかったが、あれは元々かなりの荒神なのさ。僕同様、怒りが大好物な、ね』
魔神の掌を起点に、なにかがあふれ出してきていた。
とても大きな力と、感情のうねりのようなものが。
『水神が目覚めたら、その衝撃でこの仮想世界は崩壊するだろう。彼女はしばらく目を覚まさないだろうが、きっとこれで元通りになるはずさ。だから、次に会う時には、さっき君が彼女に言った内容を、直接伝えてあげるといいよ』
「え、俺は、あんたに話したんだ…が…。あれ、もしかしてナーシャにも、聞こえてたの?」
『ばっちり聞こえてるよ。世界の崩壊とともに、記憶にも刻まれるだろうね』
のぉぉぉぉぉ!!!
『あッは☆人間って面白いね。うんうん、久々にいいもの見せてもらったよ。じゃぁね、太一。君達が不条理に打ち勝たんことを。僕も、陰ながら応援しているよ』
そして世界は蒼い光につつまれた。
それは優しい光でもあり、荒々しいなにかが生まれんとする、眩い光でもあった。
俺はもう何年も過ごしていたような気がするここを、ようやく後にした。
俺とナーシャの交錯が生み出した、この仮初の世界を。




