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第81話 声

「異議ありぃ!!!」


 俺は高らかと宣戦布告した。


「誰?」


 そして返ってきたのは、いかにも警戒を露わにした声。


「やぁナーシャ、改めて、久しぶり」


 俺は物陰(・・)から姿を現した。

 変装することも考えたが、堂々と行くことにした。


「太一…ッ」


 俺を見るナーシャの目が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 その表情は、見たこともないほどに冷たい。

 

『憎い敵がきたよ』


 すかさずナーシャにささやく闇の声。

 まずはあれを追い出さないと、二人きりで話ができない。


「君には随分と嫌われたみたいだけど、まず誤解を解いておきたくてね。その声は君の心の声なんかじゃない」


「…」

『さぁ、やることは一つだ』


「そいつはエウゴアが仕込んでいった、ただの暗示だよ。今までそいつが君に―」


 俺は全てを言い終わるまでに、違和感を覚えた。

 違和感の元は、俺の身体だ。

 身体を確認してみると、左胸にまたごっついのが刺さっていた。

 ナーシャを見ると、俺へと向けてまっすぐに手を伸ばしている。

 また自分の胸を見る。


 心臓を槍が貫いたという認識を元に、違和感はすぐに激痛へと変わっていった。


「痛ぇ」


 極大魔法なのに発動に一切溜めがなく、認識できないくらいの飛来スピードだった。

 まるで、人が銃で撃たれたみたいな。


「イタタ…」


 身体の力が抜けていく。 

 当然ながら人は心臓を貫かれれば死ぬ。

 当然ながら。


 鉛のようになった俺の身体が床に倒れ込むと、沢山の書類の束が宙を舞った。

 

(…何が書いてあるんだろう…)


 俺の意識は途絶えた。


----------


「誰?」


 聞き覚えのある声がした。


 ん?俺、なにしてたんだっけ。


「誰かいるの?」


 綺麗な声だな。女の人の声のようだ。

 まるで鈴の音みたいだ。

 でも、なにかを警戒しているみたい。


 声のするほうへと歩いて行ってみる。

 ここは物が散らばっていて、いささか歩きにくい。


 声のした場所には、声と同じくらいに綺麗な女の人が立っていた。

 

 って、ナーシャじゃないか。

 あれ、俺ここで何してたんだっけ。


「太一…ッ」


 え?


 俺が見たこともないような怒りの表情が、そこにあった。


 そして次の瞬間、俺の左胸には槍が突き刺さっていた。


「え…」


 俺は薄れゆく意識の中で思い出した。

 あぁ、何を呆けていたんだ…。


 俺は…ナーシャの洗脳を解きにきたんじゃないか…。



 意識は途絶えた。


----------




 雪の時もそうだったけど、この精神世界ってのは、ループものらしい。


 雪救出作戦の際にアドバイスをくれた心理学の先生に、あとで聞かれて雪の世界のことを話したとき、教えてもらったことある。


 精神ストレスによる症状に、『迂遠思考』や『反芻思考』と呼ばれるものがある。

 物事のゴールに向かって思考を進められず、酷く遠回りしたり、同じ場所をぐるぐる回ってしまう現象のことだ。


『君はその世界を、部外者として客観的に観察できたからよかったけど、もし深く入り込み過ぎていたら危なかったかもしれないね』


『はぁ』


『しかし君の働きかけが殆ど無力だったにせよ、影響の蓄積が一切なく、全く同じ状況がリセットされたという現象は本当に不思議だね。理由はよくわからないけど、恐らくは君がループした世界は直接彼女の脳内で起きている事象ではなく、例えば意識を司る前頭前野…をシステムとした、シナプスを介さない電磁的な仮想空間か何かなんだろうね。それで結果を変えられなかった世界は反映されなかったとか。うーん実に興味深い』

 

 とのことだった。意味不明だが。


 ―まぁつまり、そんな謎のループ現象が起こっている世界を、俺は今再び目の当たりにしているわけだ。

 数えて三回目の槍が刺さった時、俺はそのことを思い出した。

 

----------




 …まさに当事者として、俺は完全にループに巻き込まれていた。



 ところで、本来この世界において、俺の放つ『言葉』は、絶大な意味をもつ。

 『意思疎通』の力により、まるで言霊が宿ったかのように、俺の言葉は彼女に大きな影響力を与えることができる。

 

 つまり俺が一言でも多く闇の声をディスることで、状況を変えることが出来るはずだ。

 だが、死ぬたびにその効果はリセットされてしまう。

 だから俺はこの世界において、少しでも長く命を繋がなければならない。

 

 しかしここは彼女の精神世界なだけあって、彼女の力もまた絶大だった。

 世界の主に害意を向けられることがどれだけ危険な事なのか、俺は全く分かっていなかった。


 少なくとも、もう十回以上は槍に刺されて意識を手放した。

 ナーシャの放つ水の槍は、それはもう惚れ惚れするような精度で俺の脳や心臓を貫いた。

 昔遊んだ007のゲームに登場した、黄金銃を彷彿とさせるような。

 つまり、無防備に彼女の前に姿を現せば、確実にリセットさせられるということだ。


 リセットする時に軽い頭痛が生じるようになってようやく、俺は事の重大さを思い知った。


----------



「誰?」


 ―この世界は、何もない白い空間、ではない。

 自我の存在する表層意識の世界は、彼女の今の心境に見合った環境が投影される。


 ここは、かつて彼女が働いていたオフィスだ。

 狭くて雑多な、ビルの五階のワンフロア。

 彼女は自分のデスクに腰かけていたが、俺の声に反応して中腰の姿勢になっている。

 それも、とても警戒した表情で。

 

 最初の一声で既に俺だと疑われている状況からのスタートは、決して好発進とはいえない。

 ていうか最悪。

 でも後悔先に立たずだ。

 仕方ない、言いたかったんだもの。「異議ありぃ!」って。

 

「君は『声』に騙されている!」

「ッ太一!」


 俺は第二声とともに真横へと転がり込んだ。

 先ほど俺がいた場所に、容赦なく超高圧のウォータービームが放たれていた。

 なぎ倒される『部長』のネームカードの置かれたデスクと新聞の数々。

 この部長、彼女の記憶の中ではややパワハラ気味だったが、俺の出現位置と関係あるだろうか。

 できればないでほしいけど。


 さて、俺の正体は、どうあってもこの二声目で特定されることが分かっている。

 だが、この『声』という、威力は弱いがほぼ必中の攻撃が、今俺の持てる唯一の武器なのだ。

 これを発し続ける以外に彼女を救う目はない。


「その闇の声は『エウゴア』だ!君を何か月も閉じ込めていた張本人だよ!」

「出鱈目を言わないでッ」


 返事はしてくれたものの、おまけに三連発の水の槍が掃射された。

 極大魔法なんて、対物ライフルを生身の人間が受けるようなもので、掠ったら即リセットだ。

 粉々になった部長のデスクを『簡易錬成』で即席の盾に変え、また次のデスクへと滑り込む。


 上を見上げると、今にも破裂しそうな水球が宙に現れた。

 部長盾を頭上にかかげ、走る。


バァン!


 盾がへしゃげるが、一撃を耐えた。

 投げ捨てて、目的地へと向かってジグザグと走る。


 ここは遮蔽物は多いが、狭い上に声が反響しないので位置が特定されやすい。

 もっと彼女と『会話』しやすい場所へと移ろう。


 俺は階下へと続く非常階段へと滑りこんだ。

 なぜか上への階段はない。

 彼女が追ってくる足音を聞きながら、俺はスロープの上を滑って一気に一階まで滑り降りた。


 一階フロアへと続く扉は、ひどく重そうだ。

 思いっきり力を入れて、なんとか開いた。

 あぁ、しんど…。

 ここでは俺の筋力が限界突破してることなんて全然関係ないようだった。 


 扉ををくぐると、そこは、どこかの牢獄だった。


 光景に見覚えなんてない。そもそも俺は、牢獄に入ったのなんて始めてだしな。

 

 『隠形』で足音を消しながら、冷たい空気が流れる廊下を走る。

 廊下は広く、左右には無数の細い通路が分岐している。

 

 とても大きな刑務所のようだ。

 どんな罪を犯した人を捕えておくための場所か知らないが、牢の数が尋常じゃない。

 中は全て裳抜けの殻ではあるが。

   

 …まぁ刑務所ってのは、イメージ通り、冷たくて寂しい場所だ。おおよそ彼女に似合う場所なんかじゃない。

 だがこの世界に投影されているということは。

 彼女はかつて、ここに入っていたのだろう。

 

 そこで背後から、軋むように非常階段の扉が開く音がした。

 見つからないように、俺は目の前の通路の角を右に曲がった。

 たまたま一つだけ鉄格子の開いていた牢屋があったので、そこに身を滑り込ませて、叫んだ。


「俺は絶対に君を傷つけるようなことはしない!俺がそれを望まないからだ!心の底から!」


 牢獄中に俺の声が反響した。

 ここは安物ビルと違ってトンネル並みに壁が固いから、声がよく響き渡る。


 俺は無性に、彼女を慰めたいような気持ちになっていた。

 たぶん、同情しているんだ。

 こんなところに入れられていた彼女に。


「………」


 彼女の返答はない。

 ただ、カツ、カツと足音だけが近づいてくる。


「…」

 

 そして、足音は角を通り過ぎていった。

 よし、このフィールドは位置が特定されにくそうだ。

 

 …何か違和感があるような気もするが。

 彼女の足音が遠ざかったのを確認してから、俺は再び叫んだ。


「この四カ月、君はエウゴアの洗脳を受けていた!君はきっと、俺を攻撃するように奴に強制されているんだ!君だって本当はこんなことしたくないんだろ?もうやめよう!」


 俺は叫び声は反響し、牢獄中に響き渡った。

 彼女からの返事はない。なんだか、空しい感じだ。


 どうやら、足音が止まったようだ。

 こちらの居場所を推測しているんだろうか。

 しんとした、しかし張り詰めた空気が辺りを支配する。


 俺も彼女の出方を待つことにした。


 ここは、音も光も微弱な空間だ。

 感覚が捉える時間経過は引き伸ばされたように長い。


 ―それが僅かばかりに過ぎたところで、俺はようやく違和感に思い当たった。

 

(全ての牢の扉が閉まっていた中、なんでここだけ開いていたんだ?)


 なんとなく嫌な予感がした。


 俺はその場で硬直したように突っ立ったまま、視線を部屋中に巡らせた。

 部屋の隅に置かれたベッド。

 その枕の高さと同じ場所に、なにか文字が刻まれている。


 足音を立てないようゆっくりと近づいていき、しゃがんでそれを覗き込んだ。


 描かれていた文字は、こうだった。


『三人目の人に、早く、会いたい』


(…ナーシャ…か)


 

 その時、背後に気配を感じた。


ザシュッ


 胸に感じる、冷たい感触。


 振り返ると、牢の鉄格子の向こうにナーシャが立っていた。


(なるほど、ここにはテレポートできるわけね…)


 心臓を貫かれた俺は、冷たい牢の床に倒れ込んだ。

 四肢に感覚がなくなっていき、もうじきまたリセットされるのだと分かる。


 ここが、ナーシャが入っていた牢屋だったのだろう。

 薄れゆく意識の中、俺は考えないようにしていた、もう一つの可能性に向き合わないといけないと考え始めた。


(ナーシャは、洗脳されてるんじゃない…のかもしれない…)


 







 …俺はループものの映画がわりと好きだった。

 何度も何度も血反吐を吐きながら、人知れず強く、賢く生まれ変わっていく主人公が、いつの間にか周囲の人間をあっと驚かせる存在へと上り詰めるその過程が、見ているものを滾らせる。


 だが、もしここでの俺を主人公とするのなら。

 ここには見返したいライバルもいなければ、劇的な分岐点もない。


 ただ、俺と、俺を憎む最愛の人。


 ただ、二人だけだ。


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