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第80話 意思疎通 途

 喧騒の中を、沢山の人が行き交う。

 皆、それぞれに忙しい。

 部屋にはデスクが所狭しと並んでいる。

 私達の部署は、そんな部屋の中でも、一番奥の隅の方にあった。


 おーいミーシナに用件だぞと、同僚が私への電話を告げたのに対し応答すれば、電話の向こう側からは怒りを連ねた罵詈雑言がこれでもかというくらいに投げかけられた。

 私はそれと対になるように謝罪の言葉を適切に配置すると、静かに古びた受話器を置いた。

 

 私達の部署は、政治部だった。

 この国では一党制が敷かれて長く、それだけに大したゴシップもなく、あまり関心を寄せられない部署だ。

 その中でも私は特に、政府の汚職についての取材に長く関わってきた。

 だから、今みたいに人に恨まれることも多かった。

 若くて才能があるんだから、こっちにおいでよと誘ってもらう機会もあった。

 男性からお誘いを受ける機会もあった。

 でも私が記者になった理由は、芸能やスポーツには一切なかった。

 私は自分自身のプライベートに、大した幸せを感じることができなかった。


 私は、両親の不可解な死を追っていた。

 両親は遺体が見つからなかっただけでなく、死に纏わる一切の情報も証拠も見つからなかった。

 それが現代において余りにも不自然だと気づいたのは、もう進路を決定する歳になってからだった。

 当時の私は、両親は何かの理由があって暗殺されたのではないかと疑っていた。


 私は今日も疲れ果てて家へと帰る。

 パソコンを開いてメールをチェックしていると、『開運セール』だなんてポップアップが出た。

 普段なら目にも留めないが、その日は何故かそのくだけたデザインに目が留まり、少し気分が和んだ。


 そして八百万神様との面白おかしな日々が始まり。

 それは瞬く間に過ぎ去って。


 ―結果として私は、負の感情を原動力にがむしゃらに追っていた相手が、まるで見当違いであったという事実を突きつけられた。


 私が正義の名の元に罪状を晒すべき相手は、人間ですらなかった。

 

----------


 がしゃんと、牢屋の扉が閉まる音がした。

 ドラマでは見たことがあるが、自分がそこに入ることになるとは想像すらしていなかった。

 でも私は、人に恨まれる事を沢山してきた。

 そしてそれが自分に返ってきたというだけの話だった。

 なんだか、オオカミ少年の話に似ているなと思った。


 ほつれた質素な囚人着は、冷たい牢屋をいっそう底冷えさせた。

 私は部屋の隅にある固いベッドの上で座る。

 ちょうど、編集室のデスクもこんな配置だったなと思った。


 一通の手紙が届いたのは、それから数日が経過した頃のことだった。

 アレキサンダー, D, R, S, オリヴェイラという名前のブラジル人らしい。長い名前だ。

 私の『狂言』に賛同し、連絡をくれたとのことだ。

 やり取りをしているうちに、彼もまた、彼なりに両親の死に囚われた人生を送っていたということがわかった。

 でも彼はそんな自分と同じ境遇にあっても、とても明るくて、にぎやかな人だった。

 私には少し、明るすぎるくらいに。

 

 囚人生活は手紙のおかげで少し和らいだ。

 私は低い天井を見ながら、よく想像していた。

 あともう一人の私達の仲間も、どんな人なんだろうかなって。

 牢から出たら、早く探し出して会って、それで色々話してみたいなと思った。


『酷い人間。君達がこれだけ頑張っているのに、一切連絡すら寄越さないだなんてね?』


 牢から出た後の私は、忙しかった。

 私達は、来る1/1の前に、出来る限りの備えをしておくことにした。

 今回の騒動を利用し、関連ハッシュタグからネット上のあらゆる場所にリンクを配置した。

 リンク先のページ名は、『ダンジョンマップ』。

 とある大富豪の協力も得られて、同じ境遇の『ガチャ勢』を着実に取り込み、私達は黙々と組織作りを進めて行った。


 時間も収入も減って、八百万神様のイラストは、少し残念そうに見えた。

 でも、私はこれでいいと思った。

 自分の楽しい時間よりも、皆のためになることをしたかった。

 久しぶりに、充実を感じられる時間だった。

 

『本当に?自分だけのために時間も金も使い続けている奴が妬ましいと、欠片も思わなかった?』


----------


 1/1のあの日、世界は見る影もなく、その姿を変えてしまった。

 大地からは緑の根が生え、無数のダンジョンが生まれ、家やビルを押し倒した。

 そして地上には見たこともない、狂暴かつ強大な生物が解き放たれた。

 私は八百万神様から授かった加護で、それら沢山の魔物を倒した。

 私が予見していた内容は事実となり、多くの人々を助けた私は、『聖女』だなんて呼ばれるようになった。


 私はその呼ばれ方が嫌いだった。


『なぜなら君のこの一連の活動、その全ては憎しみから始まったのだから。そしてそれは、今でも』


----------


 私は彼を探し続けた。

 彼の『力』が鍵だと、八百万神様が教えてくれたから。


 そしてあの日、基地の中で、彼に出会った。

 彼は、丁寧で、引っ込み思案な人だった。

 彼は、両親の死を、きちんと認識できないままに育っていた。

 両親と自身の死は記憶の沼の奥底にあり、それでいて、いつも彼の足を引っ張り、引きずりこもうとしていた。

 

 だから彼は、少しだけ歪だった。


『-----------!!』

 

 でも、彼は純粋で、よくありたいと努力を始めていた。

 私にはそれが好ましく思えた。


 そして、彼はとても強かった。

 『力』であるという八百万神様の予見の通り、三重の加護と、数多のスキルを授かっていた。

 私なんかの力じゃ及びもしないくらいに。


『-------ッ』


 …声が、少しうるさい。


 でも、それだけではなかった。

 B級ダンジョンの中で、彼は気味の悪い魔物たちと、対話を試みていた。

 勿論そのようなスキルが私になかったということもあるけど、私には今まで、全くそのような視点はなかった。


 なぜか。

 自分が被害者だと思っていたからだろう。

 だから魔物たちの存在自体が許せなかった。

 

 彼はなぜ対話を試みようと思ったのか。

 両親の記憶が薄いということもあるだろう。

 それに加えて。私は思った。

 彼には偏見がない。

 自己肯定感の少ない彼は、それでいて卑屈にならず、他者への偏見が少なかった。


 そんな彼が九尾狐に殺されかけた時。

 私は彼を守りたい、支えたいと思うようになった。

 私はそんな彼のことを―。

 

『殺してやりたいくらい妬ましいと思った』


 私に出来ることは何だろうかと、考え始めるようになった。

 私にあるURスキルは、ダンジョンマップと、テレポートだ。

 前者を使い、私は人類の未来を予見し、組織作りを進めてきた。来る災禍に備えて、二重の対策を進めてきた。

 では後者は…?


----------


 そこで私は、今自分がいる場所を認識した。

 恐らくは、S級ダンジョンの奥、深く。

 私はそこで無力にも敵に捕まって、拘束された。

 なぜかこのダンジョンの中では、テレポートが使えなかった。

 あのエウゴアという男は、そんなテレポートを抽出しようとしているらしい。

 鎮静にはムラがあり、時折浮上する意識の片隅で、そういう会話を聞いた。


 私の力は、ただ利用されようとしている。

 たいした役にも立っていないうちに。

 

 それも、侵略者たちの『主』を地球に完全に呼び寄せるためのものだという。

 

 いっそ死んでしまった方がましではないだろうか。

 でも身体の自由は効かず、自決すらできない。


 そんな時間が長く、長く過ぎていくうちに…。

 永遠とも思える時間の中で―。

 

 私は、私の中から聞こえてくるもう一人の声を無視できなくなっていた。




『なぜ助けに来てくれないんだろうねぇ。もうニカ月にもなるというのに』


「勝手に捕まったのは私です。私に出来る事は、皆を信じて待つだけです」


『何を言ってるんだ。君は仲間も、あの男も、命を呈して助けたじゃないか。あぁ、だというのにあの男は今も外で別の女とのうのうと過ごしているんだろうなぁ。君の事を忘れて』


「忘れてない」


『忘れたさ。君が死んでも代わりは務まる。ダンジョンマップももう不要。テレポートはたいした役には立たない。回復なんてアイテムで十分。戦闘力は…お察しの通りさ。ほら、総じて不要じゃないか』


「太一はそんな要とか不要とかで人を見てない」


『はぁ?そんな聖人君子がいる訳ないじゃないか。クク、いい子ぶって、歪だって言ったのは君自身だよ。まさかあれが損得勘定抜きで仲間を見ていただって?ありえない。使えない人間を探す余裕なんてあるわけないでしょ?』


「私達みたいな身の上で、それでもやり直そうと頑張ってる彼を馬鹿にするな!」


『え、馬鹿にしてるのは君自身だよ?いいかい、この声は、君自身の声なんだよ。今君が必死に反論しているこの私の声こそが、君が否定したがってる君の本心なんだ。つまり私は君で、君は私なんだ』


「うそだ」


『いいんだ。これは当然だよ。本当に最低なのは君じゃない。君をここまで苦しめたあの男さ。あの男さえいなくなれば君は楽になれる』


「黙ってよ!もう黙って!!」


----------





 ―ここまでが、ナーシャの記憶の中の対話だ。

 今の彼女は、もう随分前から、声に抗う気力をなくしている。


 俺は記憶の中の彼女と、この闇の声との対話を、じっと聞き続けた。

 声の主は間違いなくエウゴアが仕組んだ暗示プログラムだ。

 雪の時と違い、汚染源はすべて、彼女の意識の世界の中にあった。


 トラウマ、罪悪感、劣等感、そして孤独。

 俺が持っているそれら全てを、彼女だって等しく沢山抱えて、そしてそれを見せることなく生きていたのだ。


 俺の目に映る彼女はまぶしくて、綺麗で、強かった。

 でも彼女の目に映る彼女の姿は、そうではなかった。


 人間ってそういうものだろうと思う。


 でも、俺は人知れず彼女に何かを強要していたのかもしれない。

 反省しよう。

 でもこれは宿題だ。仕方がない。

 俺の目に映る俺だって、碌な人間じゃない。


 …彼女は俺が歪だって言ってた。

 自分じゃ特に何も感じなかったけど。

 『世界が滅べばいい』だなんて一度は本気で考えた人間には、真っ当な評価かもしれない。


 でも彼女はそんな俺の行動を認めてくれていた。

 それがとても嬉しかった。

 好きな人に認められて、嬉しくないわけがない。

 こうやって盗み見るような形になったことが、本当に申し訳ないとは思うけれど。


 だからこそ、諦めない。

 そして彼女にちゃんと謝って、それで…。


 ちゃんと好きだって、伝えたい。

  

 …闇の声はクソ野郎だが、悔しいけどその内容には一理ある。

 俺は彼女の中の負の感情を、聞かなかったことにしてはいけない。

 でも、奴のことは確実に否定しなければならない。


 これは、あれだな、裁判に似ている。


 今回必要なのはファイアじゃない。

 理論と、情熱だ。


 昔好きだったあれにあやかって、始めるとするか。





『大丈夫、君はよく頑張った。悪いのは、あの男』


「…」


『大丈夫、あとはあの男を殺しさえすれば、テレポートを提供した功績に、君はきっとこちら側でも丁重に扱ってもらえるに違いないさ』


「…」



 ここだ。

 ありとあらゆる会話を聞いてきた中で、奴が最もボロを出した会話。


 俺はここから攻勢に出ることに決めた。


 えー、ごほん。



「異議ありぃ!!!」




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