第78話 薄闇の息吹
タイトル通り闇回ですのでご注意お願いします。
とある暗がりに、一人の男が立っていた。
そこは、とても広い部屋。
部屋というよりも、教会や神殿の広間という方が正しいだろうか。それくらい広い部屋だ。
ただ部屋と聞けば整ったイメージをもつが、ここはどうやらそうではない。
足場、壁、天井に至るまで、黒みがかったピンク色の構造物で構成されている。
壊死しかけの小腸粘膜といった様相が近いだろうか。だが明らかにそれらは生きていた。それも、とても躍動的に。
ここは、玉座だった。
産まれたての玉座だ。
そして玉座の中央には、分厚いガラスのような透明な筒が天井にまで伸びていた。
透明な液体が満たされて、中には歪な形の個体が漂っていた。
男は、それを見上げるように立っていた。
歪な形の…肉塊は、時折、思い出したかのようにポコリと気泡を吐き出した。
コレもまた、生きていることが分かる。
そこに、間抜けたような鈍い音が、リズミカルに近づいてくるのがわかった。
ここではそうと聞こえづらいが、これは足音だった。
「戻りましたか、エウゴア」
男はそう、足音の主へと向けて呼びかけた。
「えぇルシファー様。私のあそこでの役割は終わりましたので」
それを聞いて初めて、その男、ルシファーは僅かに笑みを浮かべながら、声のした方へと振り向いた。
そこには、人間の姿をした、エウゴアと思われる男の姿があった。
「おつかれさま。でもあなたそんな恰好よく言って、実際はワタセタイチ以外の相手に負けて、それで逃げ落ちてきたのでしょう?」
「ぎくぎく。相変わらずお耳がお早いことで。まぁいいのです、私は研究職なものでね。戦闘なんて野蛮な行為は好かんのですよ」
「そうですか。まぁ、あなた弱いですからね。ところで、被験体の女性、人間達からは聖女とか言われていましたか。あれにご執心だったのでは?」
ルシファーにそう問われて、エウゴアは少し気分を害したようだった。
「私は従順でない女は好かんのです。あれは随分と抵抗しましてね。罰として、『ワタセタイチへの不の感情』を数カ月かけて一万倍に増幅させて放ったのですよ。仲間同士の殺し合いほど外野から見ていて楽しいものはありません。きっと良い光景をお見せできますよ、ヒヒ」
「そうですか」
ルシファーはさしたる興味もないようで、適当に相槌をうつと、また培養層の方へと向き直った。
「これが、新たな特等支柱の主様ですか」
スルーされて更に気分を害したエウゴアだったが、彼もこちらには興味があるようだった。
「えぇ。最近ようやく、自我が芽生えてきたところです。ねぇ、ミカエル?」
そうルシファーが問いかけると、培養層の中の歪な肉塊が蠢いた。
そして、ぐにぐにと肉を押し別けて、小さな、眼球のような突起物がもそりと出てきた。
「顔を出してきましたね」
「顔はありませんし、眼もありませんが、しかし、意識はあるのですよ」
そうルシファーが説明すると、どこからともなく声がした。
『なにか用?ルシファーと、知らない…人間もどき?』
「なんと失礼な肉塊でしょう!私はこの星の人間代表、エウゴアでッす!」
「人間もどきで構いませんよ。それより、気分はどうですか、ミカエル」
ルシファーに適当にあしらわれたエウゴアは、面白くなさそうに黙り込んだ。
『普通。それより、なんでルシファーはエウゴアみたいに外に出ないの?この星を侵略するんじゃないの?』
ミカエルと呼ばれた肉塊は、皮肉でもなんでもなく、純粋にそう問いかけた。
「ずいぶんと賢くなってきましたね、ミカエル。私もそうしたいのは山々なのですが、私達、支柱の主は、支柱から出るのに随分と制限がかかってしまうのですよ」
『どうして?』
「それは、私達が星から奪う側の生命だからですよ。どこの星でも、私達がここから出るには制限がかけられてしまいます。その星の命を絶たない限りはね」
『悲しいね』
「悲しい…ですか。珍しい認識が育っていますね。私達が星からの拒絶を受けるのは当然かと思いますが?」
『そうなの?でもボクはルシファーと違って、ここで生まれたのに』
「ここは地球に寄生した、ただの突起物。抗原体。合成機械生命体でしかありませんよ」
『でもボクは、地上に自由に出てみたい』
「…そうですか」
そこまで聞いて、ルシファーはしばし思考に深けた。
エウゴアもまた、その会話に興味深そうに耳を傾けていた。
そして少し間をおいて、ルシファーは言った。
「自由になる手段が、ないでもないですよ?」
『ほんとう!?』
目玉のような突起物が生えた肉魂が、培養層の中でふるふると震えた。
どうやら、喜んでいるらしい。
支柱の主に感情が発露することは珍しくない。オメガも感情面がかなり強い。
もっともアレは、長い長い期間をかけて随分とこじらせているわけだが。
ルシファーはミカエルを外に出してみようと思った。
自分の使命は、星に生きる知的生命体や身体性能の高い生命、そして星そのものの命を『主』へと捧げることに尽きるが、ここでは随分と知的生命体からの抵抗が強いのも事実だった。
少し、アプローチを変えてみようと思ったのだ。
ルシファーが指を鳴らすと、一人の人間の赤子が宙に現れた。
「これは、地球のとある高純度の神の加護を授かった赤子…というより、胎児ですね」
『ふーん、ボクと同い年くらいかな?』
「そうですね。あなたがこれと完全に融合し、成長すれば、恐らく地球の生命体として認められますよ。まだ誰もやったことはありませんがね」
(ほう…そんな事が)
エウゴアは感心して聞き入っていた。
『ふーん、ちょっとかわいそうな気もするけど』
「この子は母親と切り離されて、もう長くない命です。あなたがやらなければ、明日にでも実験体にするつもりでしたから運命は変わりませんよ。人間の赤子に自我が芽生えるのは遅い。今融合すれば、この子の自我は安らかにあなたの無意識の底へと沈みます」
『そっか。じゃぁいいのかな』
「最後にもう一つ。人間としては強力ですが、特等支柱の主としては、あなたは随分と弱体化してしまいます。それでもよければ、この子をあなたに差し出しましょう」
『…うん。ボクは人間、この星の生命として生きてみたい』
ミカエルは、少し悩んでから、そう伝えた。
「人間は私でェす!」
「エウゴアは黙っていなさい。ではこれより執り行います」
ルシファーが指を動かすと、赤子は壁をすりぬけて、培養層の中へと入った。
小さな肉塊は、おそるおそるその胎児に近づくと、すっと、臍から中へと入っていった。
『…』
それきり、ミカエルの念が届いてくることはなかった。
融合のため、一時の休眠に入ったようだ。
ルシファーは、静かに語り掛けた。
「おやすみなさい、ミカエル。あなたの新たな生を祝福しますよ」




