第77話 脱出①
太一は地に伏して、ぴくりとも動かなくなった。
地面には赤い染みが、じわじわと広がっていった。
目の前の光景が、雪には信じられなかった。
多分わざとだろう。そうじゃないとおかしい。でも、現に心臓を貫かれている。
おかしい。おかしい。
そうして雪が制止している間、真っ先に太一の傍に駆け寄ったのはリーリャだった。
リーリャは太一の頸動脈に手を添えると、ふるふると首を振った。
「あ…あ…あ…、た…いち…」
アナスタシアの目から、赤みが引いていった。
彼女は、膝をついて座り込んだ。
「わ…わたし…なんて…ことを…」
ナーシャは、正気に戻った。
プログラムされた目的を果たしたからだろうか。
そして、それを見た雪は、本当に、現実が見た目通りなのだと理解した。
でも、なぜそうなったのか理解できない。
なぜ、なぜ、なぜ。
ああ。
だが、今自分が唯一すべきことがあるとしたら。
あの女を殺すことじゃなかろうか?
「おい」
雪はすたすたとアナスタシアの前へと歩いて行った。
「兄さんを返せ」
そしてアナスタシアの首元に大鎌の刃を添えると、その腕に力を込めて―。
「止めろ!!!!」
すんでの所で、リーリャに制止された。
「太一が命をかけて救った相手をお前が殺すなら、あの世でもお前は太一と会えないぞ。それに敵のシステム支援を受けているナーシャを殺せば確実にオメガに気づかれるぞ。お前は私情で味方全員を危険にさらすつもりか?」
リーリャは太一を担ぐと、雪にこう続けた。
「ナーシャと話を付けたければ、まずは地上に戻ってからだ。すぐに脱出するぞ。ジロウもいいな!?」
「は…はひ!」
雪は怒りのままに大鎌を押し当てる手を震えさせていたが、そのうち、ナーシャの顔を眺めているうちに、気持ちがすっと萎えていった。
大鎌を仕舞い、雪は俯いた。
「…指示に、従います…」
そして一言ぽつりとつぶやくと、雪はビルディング群の方へと走り去った。
アナスタシアは、そんな激情の飛び交うやり取りにも、全く反応を見せなかった。
ただ、表情のないまま、涙を流し続けていた。
「ナーシャさん、さぁ」
キメラの足止めはドラゴンに任せて、店長はナーシャに駆け寄ると、彼女を抱き起し、肩を貸した。
(太一くん、君が策士であることはよぉく分かりましたが…いやはや何とも思い切ったことを)
ルーパーに彼女を載せた店長は、リーリャに視線を送り、その場を離れた。
「はぁ…くっそ、このファッキンクソ野郎。私にこんな役割を押し付けやがって、無事に帰れたら、しばき倒してやるからな」
リーリャは肩にかついだ太一の頭を小突くと、ドラゴンに声をかけた。
「私達も離脱するぞ、来い!」
短い間だが、既にドラゴンはキメラの攻撃で軽くないダメージを負っていた。
だがリーリャの言葉に機敏に反応し、こちらへと戻ってきた。
キメラは逃がさないとばかりにブレスを浴びせてきたが、ドラゴンはありったけを込めて振り向きざまに打ち返し、見事にそれを相殺した。
「いい子だ。ほらご主人だ。丁重に扱ってろ!」
リーリャは太一をドラゴンへ放り投げると、ブレスの相殺でひるんだキメラの方へと走った。
戦斧を展開したリーリャは、振るわれた爪を躱し、そのまま胴の真下へと滑り込んだ。
「私の鬱憤をとくと味わえ、このゲテモノめが」
―リーリャの真スキルは、先の尖った獲物があれば発動可能な強力な奥義だった。
その点、戦斧は槍と斧を組み合わせた武器であり、問題がなかった。
それどころか、武器として重量がある点で、とても相性がよかったと言える。
アレクが何気なくプレゼントした武器は、結果として彼女の最高の相棒となった。
「くらえ、『P・B・G』」
斧の柄がぎゅるりと歪に形を変えて彼女の腕に巻き付いた次の瞬間―。
ッゴン!!!
彼女が利き腕を突き出す勢いそのままに、神の御業で無理矢理本来の形を捻じ曲げられた武器は、ギチギチと悲鳴をあげながら、元の形へと収束する様に突き放たれた。
そして、その凄まじい貫通力は、易々とキメラの腹を引き裂いていた。
どばばばば…。
戦斧の刃が荒し回った内側からは、降りしきる滝のように血と臓物の雨が流れ落ちた。
それを全身に浴びながら、リーリャは笑った。
「あっはっは!あぁ清々した。あんたも神様の男根をぶちこまれて幸せだったろ?ガルボーイ」
崩れ落ちるキメラを背に、リーリャはその場を離脱した。




