第74話 道化
「軍人崩れが私を馬鹿呼ばわりしたことを、来世の来世まで後悔させてやりまぁすッ!」
腕から生えたギロチンのような大剣が振り下ろされる。
目の前の元人間はスピードもパワーも自分よりも上だが、科学者をやっていたという自己紹介そのままに、その動きは単調で読みやすい。
リーリャはその殆どを最小限のステップで躱し、時に戦斧でわずかに逸らし、筋組織むき出しのグロテスクな身体に幾度となく切りつけたが、出来た傷は立ちどころに塞がっていった。
わずかに距離が空いてしまえば、対物ライフル程はあろうかという魔弾が充填されたガトリング砲が弾幕となって迫った。
放っておいても当たらないジロウチームはさておいて、自分はぼやりとしていれば確実に当たるし、当たればただでは済まないことことをリーリャはよく分かっていた。
戦斧の腹を盾にしながら弾幕をかいくぐり、何度目になるのか分からないが、また大きく距離を開けられてしまった。
リーリャはナーシャが寝ていたであろうベッドの背後へと身を投げ入れた。
ドドドドド
頭上を霞めていった弾丸には一発も掠りもしなかったが、ポニーテールにしていた長い髪は端が逃げ遅れて、薄らと焦げた匂いを漂わせた。
「チッ、やりまぁすじゃねぇよ変態科学者崩れが」
リーリャは悪態をつきながら、自然に接近することができたベッドの下を速やかに観察した。
あいつが言うには、この下にナーシャが隔離されているという。
…本当にそれが事実なのかは、疑うべきではある。
床を指でなぞったが、わずかな隙間も感じられない。
超高度技術で作られた施設なのだから、自分の触覚の識別閾値を凌駕するくらい、リフトと連結する床との間の隙間がミクロである事は十分にありうる。
また、最後にモニターでナーシャとあいつの姿を確認してから数日が経過している。
どこか別の場所に移すことは容易かっただろうが、この直進的なダンジョンの外へ出せる時間があったとは考えづらい。
頭上では狂ったように銃弾が撃ち続けられている。
まだ確実な判断は下せない。
だが…。
ナーシャが無事なのであれば、あいつの実験はまだ終わっていない。
ナーシャの利用価値が残っていないなら、彼女は今頃とっくに化物になっているか、ここにはいない。たったの数日でそれはないだろう。
ナーシャは本当にここにいると考えたほうがいい。
「るぱぉー-!」
ルーパーがまた背後から黒炎のブレスを浴びせたが、エウゴアの身体は水をはじく油のように攻撃の一切を寄せ付けなかった。
「炎なんて無駄ですよぉ!無駄無駄ぁ!はははァ!そしてあなた方には私の魔弾も無駄ぁ!ぁぁぁぁぁああああ糞がぁぁぁぁぁあ当たれよぉぉぉぉぉお!!!」
ジロウたちがヘイトを買って出てくれたようだ。
エウゴアは血走った目で魔弾を撃ちながら突進し、狂ったように剣を振りまわしている。
「る、るぱちゃん回避ぃッ」
「るるるるぱぱぴ」
炎を完全に封じられて、あちらは防戦一方になっている。
二人とも隙をみては物理で反撃しているが、どちらも決定的なダメージを与えるには至っていない。
リーリャは軍人らしく、即座に状況を整理した。
ナーシャはここにいるはず。
だが赤いボタンは罠の可能性が高すぎる。検証するのは、エウゴアを制圧してからか。
リーリャは背をかがめて音を殺し、走り出した。
(狙うは、首)
あの長ったらしい頭部は、いかにも身体にとって重要そうだ。
斬れば確実に殺れるだろう。
そもそもあいつはあれで元人間なんだし。
そしてリーリャの狙いに気づいたルーパーたちが動いた。
「るぱぉー!」
ジロウが飛び退いてから、ルーパーの身体を炎が覆った。
ルーパーのスキル『火燃焼』だ。ゴウゴウと音を立てて燃えたつ白い竜は、とにかく派手だ。
リーリャの攻撃の目をそらすための陽動であった。
ルーパーが火をまとった爪で蹴り上げた。
するとこれまで攻撃を甘んじて受けていたエウゴアだったが、その攻撃は上半身を逸らして躱した。
そしてそのままの姿勢で、首だけが横を向いた。
エウゴアの視線は、すぐ間近まで迫っていたリーリャの姿を的確に捉えていた。
「残念♪」
笑いながらエウゴアが放った炸裂弾が、リーリャの足元で破裂した。
「っぐ!」
「リーリャさん!」
吹き飛ばされたリーリャだったが、受け身をとってすぐに立ち上がった。
「よかった、無事ですか!」
「素人のへなちょこ榴弾ごとき何十発食らおうが死ぬに死ねんな」
リーリャは額から流れ落ちる血を鬱陶しそうに拭った。
確実にダメージは負っていた。
「やせ我慢とはなんて可愛らしい!もっともっと聞かせてくださぁい!」
「るぱぅ!」
追撃さすまいと、ルーパーが再び格闘を挑んでいく。
「ちっ、よくもまぁワラワラと鬱陶しい両生類崩れですねぇ」
エウゴアはルーパーから距離をとってすぐさま砲身を構えると、魔弾を乱射した。
ジロウが騎乗していないルーパーは数発をまともに被弾し、ダメージは少ないものの、やむを得ず『火燃焼』を解除してジロウを拾った。
エウゴアはそれを確認し、ルーパー達に再び切りかかっていった。
(やはりおかしい)
その光景を見たリーリャには、改めて幾つもの疑念が浮かんでいた。
『火燃焼』状態のルーパーは常時火属性を纏った状態になり、身体能力も向上する。
…それだけであれば、『極度の火耐性』をもっているならそれほど厭う理由はないはずだ。
だが、あいつはどうも『火燃焼』による爪の攻撃を嫌がっている素振りがある。
リーリャは再びベッド裏へと身を隠し、思考を続けた。
次に違和感があったのは、私が先程斬りかかっていったとき、ルーパーの攻撃を避けてたまたま目が合っただけのはずなのに、あいつはまるで最初から私が来ると分かっているかのような素振りをした。
余程の戦略家であの余裕ぶった表情がフェイクでない限り、あれは恐らくは私が来ることを完全に予測していた。
ルーパーの燃焼音で私の足跡は察知されなかったはずだし、それを察知されたような気配もなかった。
…最後は、赤いボタン。
ナーシャを隔離しているリフトの起動ボタンだと自ら告知した行為の意味。
もし真であるとすれば、ナーシャを助けようとする私達の隙をつくためか。
もし嘘であるとすれば、ただの罠か。
後者であるなら、あまりにも稚拙が過ぎる気がする。
前者だとしても、何かそれだけではない意図があるのではないか。
つまり、あれは本当にリフトの起動ボタンだが、告知したことには別の理由が隠れているのではないかということだ。
もう一度広い部屋内をくまなく見渡した。
そしてリーリャの考察は一つの検証を得た。
カメラの類は見つけられなかったが、一つだけ入室時とはっきり異なる点を見つけたからだ。
リーリャは二人に念話で一つの作戦を提案し、すぐにそれは実行に移された。
先程からエウゴアと斬り合っていたルーパーはすぐにジロウを降ろすと、また『火燃焼』の状態に入った。
「成るほど、あなた方も馬鹿ではないようだ。私が『火の爪』を回避しているということに気づいたようですね。だが甘い!とろけるほどに!甘ッぁぁぁぁぁい!!」
エウゴアはそう言って笑いながら、空中に何十丁もの銃を召喚した。
「誘い出されたのはあなた方ということです。運を欠いたその竜が私のフル・バーストにどれだけ耐えられるか見ものですねぇ?」
そして銃弾の嵐がルーパー目掛けて一斉に放たれた。
ジロウは音だけでその光景が痛いほど目に浮かんだが、振り返ることなく走り続けた。
「ジロウ!行くぞ!」
「ええ!」
そしてリーリャとジロウは走りだした。
赤いボタン。それが位置する壁とは正反対の壁へと向かって。
そこには対を成すような青いボタンがあり、その上には一つの灯りがともっていた。
それはリーリャ達が入室した時には灯っていなかった事を、リーリャの記憶力ははっきりと示していた。
エウゴアが彼らの意図に気づくのは早かった。
「な!ま、待ちなさい!迎撃システム!二人を止めろ!」
一斉に壁面から銃口が向けられるが、ジロウの盾はそれらを難なくいなした。
そしてリーリャは弾かれたように飛び出して戦斧をふるい、青いボタンごと壁に備えられた装置を叩き壊した。
「ぐぇ!」
その瞬間、エウゴアが短く奇声を発すると同時に、その身体を取り巻くように一瞬電流が伝い流れたのが見えた。
かくして、リーリャの予想は当たっていた。
エウゴアは、途中から部屋の装置を使って魔法やブレスを回避するシールドを身に纏っていたのだ。
しかし真の炎耐性ではなかったため身体の内側から焼かれる火纏いの物理攻撃を避けていた。そしておそらく、部屋に備えられたカメラと視界も共有していたのではないだろうか。
そもそもルーパーの初撃で黒焦げになったエウゴアが、巨大化した程度であれほどの炎耐性を得られるなどおかしいと思ったのだ。進化したという発言も赤いボタンも、全てはこの装置から自分たちの意識をそらすためのフェイクだったのだろう。
そして今や…。
「く、くそが。お前たちごときが私にとことん盾突きおって。ゆ、ゆるさんぞ」
「るぱ…」
ルーパーは、ひたひたとエウゴアへと近づいていった。
「ひ、ひぃ、寄るな、この獣め!」
わずかな時間とはいえ魔弾掃射をうけたルーパーはボロボロになっていたが、その目には闘志がメラメラと燃えていた。
そしてルーパーは大きく口を開けると、特大の黒炎の塊を凝集し始めた。
「ま、マテ。ああうん、そんなにあんぐりお口を開けちゃって、よく見るとなかなか可愛いじゃないか。どうだいあいつらなんかより、私のペットにならないか。最高級の魔物肉を毎日食わせて―」
そして渾身のブレスは、ビカッと一瞬の音をたててレーザーのように放たれた。
遅れて、エウゴアの全身は再び激しい炎に包まれた。
「ぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
エウゴアは今度こそ炭の塊となって、完全に沈黙した。
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「はは、私の新スキルをお見舞いしてやるつもりだったが、神獣ちゃんが全部もってったな」
「るぱるぱ」
「そんなことありませんよ。入室時に光っていなかった装置が途中から光っていただなんて、戦いの中でどんだけ冷静なんですか。完全にリーリャさんの作戦勝ちですよ」
「はは、サンキュ。まぁこれで…」
リーリャは少しためらってから、赤いボタンを押した。
すると、地面の下から低いモーター音のような音が聞こえ始めた。
そして無人のベッドは地面の下へと消えて行き、変わりに新たなベッドが運ばれてきた。
その光景をみたジロウは、ここに来てから何度目か分からないが、目頭が熱くなるのを感じた。
「無事で…よかった…」
眠っているその人は、ずいぶんと痩せて、肌色はもともと白かったのが一層青白くなっていた。
それでも、規則正しく上下に動く胸は、彼女がきちんと生きている証だった。
「るぱ!るぱ!」
「あぁ、再会できてよかったな」
ルーパーもリーリャも、笑顔だ。
ジロウは、眠るアナスタシアに取り付けられた装置を慎重に取り外した。
しばらくして、彼女はゆっくりと目を開けた。
「ナーシャさん」
「店長…さん」
「るぱるぱ!!」
「るぱちゃん…そっか、助けに来てくれたんですね」
アナスタシアは、静かに皆を見渡して、そして最後に自分の両のてのひらを眺めた。
「わたし…生きてる…」
彼らはしばしの間、再開の喜びを分かち合った。
──ずっと眠り続けていたはずのアナスタシアは、不思議と今の地球の状況を理解していた。
彼女のもつ『ダンジョンマップ』のスキルは、眠る彼女の中でも絶えずアップデートを続けていたらしい。
ジロウはバックパックから彼女のために持ってきた服と装備を手渡した。
彼女の杖は失われていたので、あくまで携帯性のよい代用品ではあるが。
着替えた彼女は、弱弱しい姿ではあったが、それが妙に雰囲気を伴っていた。
ジロウは、太一と彼女の『妹』が、ここのS級ダンジョンの主と戦っていると告げた。
「太一が…。彼は私が眠っている間に、立派に人を助けて。そんなに強くなっていたんですね」
アナスタシアは目を閉じた。
テレポートが失敗してジロウたちを危険にさらしただけでなく、人質にとられたことで今まさに太一たちを窮地にたたせているのは、自分のせいだ。
四カ月の間眠り続けていただけの自分は、皆と違って、何も成長していない。
…それでも。
私は今、無性に、強く思う。
彼の力になりたいと。
自分に出来ることは少ないかもしれない。
それでも今すぐにでも駆け付けて、傷ついた彼を癒したい。
一人で絶望的な状況から這い上がった彼の奮闘を、少しでも労うためにも。
そして、また皆で家に帰るんだ。
アナスタシアは、決意とともに目を開けた。
ルーパーはそっと背中を差し出して、彼女を載せて飛び立った。
ジロウも乗りたかったが、さすがに我慢して走って後を追った。
リーリャは、黒焦げになった死体を一瞥した。
結局、この男がしたかったことは何だったのか。
復讐だったのか。自尊心を守りたかったのか。それとも、ただの一科学者の狂気に過ぎなかったのか。
自分がこれからしようとしていることが只の復讐ではないことを祈りながら。
リーリャは塔を後にした。
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「…」
―そして部屋に誰もいなくなった後。
それまで灯っていなかった緑色の灯りが、静かに点灯を始めた。




