第60話 雷影戦 ~反撃の狼煙~
地上にいた兵士たちが全滅した中で、速やかに防空壕の中へ逃げ込んだ僅かな一般兵たちは、黒焦げの死体にならずに済んだ。
亡くなった者達の中には憎たらしい魔導兵もいたが、気の知れた友人もいた。彼らを殺した存在に一矢報いてやりたかったが、その正体が幻獣だと聞いて、彼らはその場から動けなくなった。
ただただ震えながら身を潜めて、悪夢が過ぎ去ることを待った。
それ程までに、幻獣の脅威は兵士達の間で知れ渡っていた。
雷影が初めて出現した場所は、まだアメリカが国家機能をなんとか保っていた頃の西海岸だった。
間違いなく世界最大である、超大規模のアメリカS級ダンジョンは、どちらかといえば西海岸沿いに位置していたため、スタンピードによる自国民の大虐殺が繰り広げられる中、当代大統領は東海岸をぎりぎりの最終防衛ラインとして、徹底抗戦を決意していた。
だが、結果的に、大統領は自国の領土を狙って、何千発もの戦術核を打ち込んだ。
大統領をそのような暴挙に走らせた対象は、とある一体のモンスターだったという。それが、各軍事基地を次々と壊滅させていったという飛行型の黒い幻獣、雷影だ。
狙いもタイミングも、完璧だった。当時の軍人たちが捨て身の覚悟で囮役に徹して、核ミサイルが着弾するほんの数秒前まで、雷影は地上に留まっていた。
全国民の希望を乗せて、そして大勢の国民の命と引き換えに、核ミサイルの流星雨が東の空から飛来した。
だが、臨界に至る最後の瞬間、囮役を買って出たの兵士達から無線が飛んできた。
「やつが…飛んで、消えた」
「レーダー、射程…圏外です…ばかな…速すぎる」
「いやだいやだ……無駄死にはいやだ…無駄死――」
その後、事実を知った軍の指揮官達が戦意を喪失するまでには、大した時間はかからなかった。
全く無傷の雷影が東海岸へ到達したという事実を。
東からのミサイル攻撃に怒り、東海岸にあった首都中枢を徹底的に破壊し尽くした雷影は、またどこかに消えて行ったという。
それは『大災害』の夜が明けてから、まだ数日目の出来事だった。
雷影が破壊活動を始めてから、どれくらい経っただろうか。
たった一人で生き残った若い兵士は、ただただ、音を聞いていた。
壁上や壁内から放たれていた銃声はとうに鳴りやんでいた。
轟音をもたらす雷が荒れ狂い、ガラガラと壁が崩れ落ちる音が続いている。
雷の化身は自前の鉤爪を使うまでもなく、極大級の雷魔法を直接落とすまでもなく、稲妻と共に移動するだけで、生じた破壊的衝撃音が次々と壁を崩落させた。
もうすでに壁には大穴が空いてしまっており、あとは雷影が去れば、アメリカ側から万を超えるモンスターの群れが大挙して押し寄せるだけの状態となっている。
壁内の兵士たちも、あれだけ壁が破壊されていては、恐らく生きてはいないだろう。
すぐ隣で、崩れた土嚢の下敷きになってあっさりと死んだ戦友の姿を見る。生きているのはたぶん自分だけだ。それも、地上型のモンスターが押し寄せれば、簡単に見つかって食われて死ぬだろう。
どうせ死ぬのなら…一発でもいい。以前のように、兵士として戦って死にたい。
兵士がふらふらと崩れた土嚢の合間から這い出すと、空は既に明るみ始めていた。
何が人類の最重要拠点だ。いつになったら本部からの応援は届くのだろう。まぁ、魔導兵団の応援がいくら押し寄せたところで、あれを殺すことなんて、人間には到底不可能だろうが…。
ギュアギュアと耳をつんざく叫び声を喚き散らし続ける黒いバケモノとは、もう一刻も早くおさらばしたかった。
惰性で装備していたただのライフル銃の標準を合わせて、胴体のど真ん中を狙って、引金を引いた。
パンと軽い音が空に響くと、銃弾は見事に命中した。エコなペットボトルのようにへしゃげた銃弾が地面に落ちると同時に、雷影がゆっくりと兵士の方を向いた。猛禽類のように鋭い黄金の眼光に射抜かれて、身体が硬直した兵士は地面に尻もちをついた。
遺言を残せるとしたら、今が最後か。彼は最後の力を振り絞り、声帯を震わせた。
「それが銀の弾丸だったなら、お前は今頃あの世行きだ。ファッキュー」
「ギュァァァァァァァァァ!」
見事に雷影の怒りを買った兵士の頭上には、地響きのような特大の雷鳴がいななき始めた。
悪くない、と兵士は思った。これなら一瞬で逝けるだろう。
雷が弾けて視界がホワイトアウトする。
思わず目と耳を塞ぎ、激しい破裂音に備える。
だがいつまで経っても、衝撃はやってこなかった。
恐る恐る目を開けた兵士の目の前には、大柄なスーツの男が立っていた。
男と自分が存在する以外の地面が大きく抉れて、ブスブスと煙が立ち昇っている。
信じられないことに、どうやらこの目の前のグラサンスーツ男が、雷を防いでくれたらしい。
「若いが、先の口上は中々良かった。名は?」
男に問われた。
「あ…ルークです。ルーク・グラハム」
「よしルーク。次の雷が落ちてきたら、俺の背の向く方へとまっすぐ、全力で走るんだ。10キロも走れば街がある」
「えと、あの、あなたの名前はもしや…」
そこで、先程よりも大きいのではないかと思うくらい、また空が白く弾けた。
若い兵士は、今度こそ信じられないものを目の当たりにした。
何ヶ月もモンスターの進行を防いだあの壁を易々と破壊した雷を、目の前のこの男は、なんと手で受け止めていた。
「さぁ、行け!」
「は、はい!」
若い兵士は走り出した。
男は、雷が落ちる直前、クリスと名乗った。
その名前は知っていた。それどころか、密かに彼が信奉する人物の名前だった。
人類が組織した最後のレジスタンス、対ダンジョン協会。自分を含むキリシタンには、サタンがもたらす終末の日を回避するための、千年王国の再来と信じる者も多い。
その総本部の守護者、クリス・オーエンス。
自分と同じ、失われた祖国アメリカからの亡命者だと聞く。
若い兵士の心は躍った。
だが、自分などが及ぶ世界ではない。
彼はその後、振り返ることなく走り続けた。
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「二人共、メキシコラインに幻獣、雷影が出た。今すぐ出るぞ」
ブラジルのB級ダンジョンへ修行に出かけようとしていた俺達の元に、クリスが突如押しかけてきたのは、かれこれ数時間前になる。
「本部の許可を得ていないのでヘリは使えない。お前の車を出してくれ」
ダン協本部の庇護の元、ハイウェイは広大な南米大陸をアメリカとの国境に向かって一続きに繋いでいた。いつでも国境沿いに魔導兵団を派遣できるようにするためだ。
アイテムボックスから顕現させたカプセルカーは、限界突破した俺の魔力を浴びて完全に変貌している。車というより、タイヤのついたジェット機のようだ。
大きな噴出口から青色の火を噴きながら、5000キロメートル近い行程をわずか半日程で駆けて、俺達は目的地に到着した。
壁は、無残にも崩落し、大きく欠損していた。
あれでは、北からのモンスターを防げない。
それが視認できるようになるまで接近したところで、クリスから車を止めるように言われた。
「先に行く。注意は引いておく」
クリスはそう言い残して、敏捷Cとは思えない見事な『瞬歩』で走り去って行った。
あの壁の状態じゃ、生き残りすら怪しい。俺も急がないとな。
「兄さん、行こう」
「あぁ」
車を収納し、シュエと共にクリスの後を追いかけた。
途中で鼓膜が破れるんじゃないかってくらいの轟音が何度も聞こえた。既に始まっているようだ。
兵士たちの詰め所、壁に空いた穴の中心地と思われる場所では、既にクリスが戦闘を始めていた。
というより、一方的に攻撃を受けていた。どうやら生き残った兵士を保護しているようだ。
まぁどうやらあの凄まじい雷は魔法攻撃のようだから、特にあいつの心配はいらないだろう。
あいつの『柔剛一体』は、物理防御を上げつつ魔法攻撃を無効化するなんていうとんでもないチート防御スキルだ。だが代わりに敏捷が落ちるので、雷影が空を飛んでいる間は、近接しか攻撃手段のないあいつの攻撃は当てられないだろうな。
クリスのことよりも…。聞いていた通り、全身真っ黒で、針のような毛に覆われた怪鳥だ。
俺の目でもってしても殆ど追えないくらいの凄まじい速度で空を飛び回っている。
『ステータス閲覧』
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雷影 LV.200
種族:幻獣(雷の亜神)
性能:体力SSS+, 筋力SS, 魔力SSS+, 時制力Ⅲ, 運S
装備:なし
【スキル】
戦技:電光石火, 斬鉄爪
魔法:雷魔法(初~極大級), 風魔法(初~中級)
技能:消費魔力半減, 魔法耐性-中, 自己再生
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さすが幻獣というだけあって、敏捷が限界突破してⅢか。
だが、ルシファーみたいな規格外ではない。
今の俺たち三人がかりで戦うのであれば。
何より…。
必ず仲間たち全員と再会するために、もう一歩だって立ち止まっていられない。
「おいクリス!実は死んだまま固まってますってことはないよな?」
手をかざしたまま本物の避雷針のように動かないクリスに向かって呼びかけた。
「当たり前だ。だが俺の攻撃はあいつに当てられん。貴様がなんとかしろ」
どうやらノーダメージのようだ。さすが守護者といわれるだけある。
「了解」
ルシファーみたいな規格外の異能がある相手は怖い。
相対するためには、確実に何らかの対処法が必要だ。
だが、ことステータスに関して言えば、運以外であれば何か一つ突出していても対処はたやすい。
「『イン★フェルノ』」
瞬時に、空を無数の爆炎が蹂躙した。
この三か月の間で、この魔法の熟練度はほぼ完成されつつある。
ブラックホールのように黒い炎球が、星空を反転させたかのように散りばめられた。
動きは捉えられなくても、奴が飛べる空を塗りつぶす。
そして。
『ギュアアアアアア!!』
直撃とまではいかなかったようだが、20発程放った甲斐はあったようだ。
何発かは熱波をくらったようで、なんとか一瞬、肉眼で追えるレベルにやつの動きが落ちた。
すかさず右腕を空に向けて、左腕を添える。
二指をライフルのように見立てて構え、短い詠唱を呟いた。
「『ペネト☆レイ』」
ついに授かった二つ目の極大魔法。
聖と雷の複合魔法で、白色破壊光線とレールガンの中間のような存在らしい。光と雷の速度の違いだとか、相変わらず☆マークがついていることだとか、気にしない。
ナーシャの超級水魔法よりは随分と細い光線が、放った俺にも見えない超スピードで虚空へと消え去った。
バリッ…バリッ…
光線が通った跡を伝う放電だけが、その軌道を指し示していた。
第二極大魔法も第一とほぼ同量の魔力を食うが、その速度と貫通力は凄まじいものがある。
雷影の片翼には、風穴が空いていた。
そして、目に見えてスピードが落ちて、はっきりと視認できるようになった奴の頭上に、ふわりと小さな影が舞い降りた。
雪だ。
本当に…合図もしていないのに、なんて完璧なタイミングに、戦闘センスだろう。
彼女は代々風神を祀る家系の末裔だというせいか、風魔法を扱う才能が抜群に秀でていた。
風魔法を操ることで、地上戦と同じくらい、空中戦もやれる。
正直、空を蹴って飛べる俺よりも上手なくらいだ。
「兄さん、ナイス」
死神之鎌を軽やかに片手で構えた彼女の鋭利な殺意に恐怖したのだろうか。
雷影は狂ったように大量の放電を放った。
だが、クリスの『かばう』により大半の雷は地上へと吸い寄せられ、それを免れた電撃も、彼女は風を第6感に察知しながら、悉くを躱す。
そしてついに彼女の鎌の射程が雷影の片翼へと迫った。
「『風魔法剣』」
彼女が覚えた唯一の極大魔法。
死神之鎌は風の神の寵愛を授かり、荒れ狂う風の力を薄い膜ほどにまで細めて、一瞬だけその切っ先に宿す。決して魔力の多くはない彼女の攻撃手段として、それは最適の戦法だった。
一撃で彼女は大半の魔力を使い切り、しかし雷影の片翼を切り飛ばすことに成功していた。
『ギュアアアアアア!!』
防衛本能のまま反射的に放つ放電を、雪は難なく躱している。
さすが、極大魔法を発動しても離脱分の魔力はとっていたようだ。
そのまま落下する雷影。
しかしすでに再生は始まっているようで、千切れた翼の根本からぶくぶくと肉芽が盛り始めている。
だが、当然そんな時間を与えるわけがない。
無事なほうの翼へと向けて、再度電磁光線を放つ。
しっかりと魔力を練る時間があったので、指先から連続で5発を無事なほうの翼へと放つ。
全弾命中し、両翼ともにボロボロになった雷影は、断末魔のような悲鳴をあげながら、錐揉みしつつ地上へと落ちる。
その落下地点を予測しながら、熟練された『瞬歩』で距離をつめるクリスの、まさに真上に向けて。
「つぶれろ」
クリスは地上へと落下し、激しく放電を続ける雷影の電流のいくつかをまともに食らいながら、ついにその頭部に掌を被せて、彼が誇る最強の一撃を放った。
「『ゼロ・インパクト』」
…。
しばしの静寂ののちに。
内部へと伝播する激しい衝撃が何重にも干渉しあい、次第に雷影の顔面がボコボコと膨れてくる。
『ギャ…ギャ…ぎゃぶ』
眼球がポロリと零れ落ちそうになった直後、雷影の頭部は爆散した。
ビクビクと痙攣するその首から、新たな首は生えてこないようだった。
雷影は絶命した。
…あの技だけは絶対に自分で食らいたくないな。
なにがあってもクリスと敵対することがないようにしよう。
「雪、クリス、おつかれ」
「おつかれさま」
「ああ」
雷影の体は次第に溶けて消えていき、地面には特大の魔素核とともに、虹色に輝く大きな宝石が残された。
これが…。
「使用することで、一人のステータスを一つだけ限界突破させられるアイテム『宝玉』だね」
宝玉を手に取りながら、雪が言った。
「だな」
クリスも物珍しそうにしている。
雪の敏捷も限界突破できた今、必要なのは俺だけだ。だが、残る体力と筋力はまた幻獣や強敵との闘いで突破できる可能性もある。いざという時のためにも、このアイテムは温存すべきだろう。
「現状、とっておこうと思う。いいか?」
二人とも異論はないようだった。
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壊滅したメキシコラインの壁面に沿って三人で歩く。
兵士の黒焦げ死体がそこら中に転がっており、無残な有様だった。
すぐに本部に連絡し、幻獣討伐完了の報告とともに、メキシコライン防衛強化が必要の旨を通達した。どうやら、すぐに人を送るとのことだ。
電話の向こうで、議会は湧き上がっていた。アメリカを壊滅させた原因である幻獣をここまで簡単に討伐したことに皆が驚嘆していたようだ。
確かに俺はこの三か月で随分強くなったし、まだまだ余力もあった。
雪も見違えるほど強くなったし、クリスの力が借りられたことも大きい。
…今ならばルシファーともやり合えるだろうか。
生存者を探して回ったが、反応は返ってはこなかった。
助けられたのは、あの青年一人だけのようだ。
壁は大きく断裂してしまっており、このままでは、アメリカのS級から南米に向けてスタンピードが押し寄せてしまう状態だ。
俺たちがここに張り付いているわけにもいかないし、至急アレクに連絡をとる必要がある。
そう思い携帯電話を手にしたところで。
ズッ…
感じたことのないような、大きな大きな地響きを感じた。
ズシ…
ズシンッ
ズシンッッ
だんだんと音が近づいてきた。
そしてそれはとてもリズムがよく鳴り響いた。
まるで自分が靴で鳴らす足音のようなタイミングで。
しかし、とても大きな音だけでなく、同時に震度7はあろうかという程の地震で、ただでさえ壊れていた周囲の建物がガラガラと崩れていく。
そして、圧倒的な危機感。
雪とともに、壁の上へと飛び乗った。
そこに見えたのは、一山二山は向こうにいながらも、くっきりと見える程の存在。
凹凸が殆どない特異な顔もちでこちらをのぞき込む、東京タワー大はありそうかという程の、大きな大きな巨人だった。




