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第55話 意思疎通 初

 今日は4月4日。天気は、不明。

この区画には、窓がない。万が一にも奉魔教会の連中に彼女を奪われないように、広大だというダン協本部の中でも、最も最奥に位置するらしい。

この区画には、テレビがない。位置が特定されうる電子機器は置かないらしい。なので、今の俺が世界を知る唯一の情報は、壁にある時計と、時折連絡係としてやってくるクリスからの情報のみだ。

本日付けでダン協は、ロシアのA級がS級に侵されて変異してしまったことを、世界に公表したらしい。当然、人々の落胆は大いに想像でき、より一層、教徒たちが増殖していくかもしれない。

 (それよりも)

ロシア全土に住む人々は、無事なのだろうか。新しく出来たS級の写真は、ロシアの国土を覆い尽くすほどの巨大さは無かったようだが。


「おはよう、雪」

「…」

彼女から返事はない。

今日はまだ目が開いていないな。

実はここに来てからの3日間、俺はまだスキルを使っていない。

理由は、なんとなくだが、未だその時ではないと思っただけだ。

「今日は、俺がフリーターをしていた頃の話をするね。面白くないかもしれないけど、また聞いてくれよ。俺は物心がついた時から、この世界がひどく、色あせて見えていたんだ。理由は恐らく、後で分かったことなんだけど、子供の頃にダンジョンの『種』の被害に遭っていて、それをトラウマとして封じ込めて忘れていたからだったんだ。自発的な意欲は殆ど湧かなかったし、人生に夢なんてなかった。でも、生きていくためには、仕事をしなくちゃいけない。十八歳になって施設を出なければならなくなった時、たまたま近所にバイト募集のビラを配りにきていた当時の若い店長、ちょうど俺くらいの歳だったろうね。彼に道端で会ったんだ。俺が興味なさそうにそのビラを眺めていた時、彼はなんて言ったと思う?『君は、運がいい!開店キャンペーンだ!ちょうど来月から、私の店を開くつもりなんだ。君さえよければ、店員第一号として歓迎するよ』ってね。結局何の運が良かったのか分からなかったけど、元々は大手企業の営業マンだったらしいんだ。なんだか乗せられてしまって、面接を受けに行ったんだ。

いろんな人が入っては、辞めていった。

十年目になって、佳奈ちゃんって高校生の子が入ってきてね、ちょうど君くらいの歳だね。彼女はお金が欲しくてバイトを始めたんだ。その理由は、将来やりたい事のために貯金したかったんだって。立派だよね。

十二年目のあの日、神様に告げられて世界が壊れることを知った。俺は、最低だと思うんだけど、少しワクワクしたんだ。人生で初めて。この色褪せた世界が壊れて、自分をこの混沌とした何かから解き放ってくれるんじゃないかって。

でも。

初めてダンジョンを制覇して意気揚々と家に帰る途中で、店長のお店が『根』に壊されているのを見たんだ。その時俺は、なんだかとても、寂しかったよ」


ふぅ、と息をつく。

俺の人生でそんなに面白い話なんてありはしないけど。

いつの間にか、雪の目はぼんやりと開いていた。


----------------------------------------------------------------


 4月5日、今日の天気は晴れらしい。

「ワタセタイチ、お前は、雪の治療と平行して、神威の修行をしろ」

「へ、神威?」

「あぁ、お前たち『三人』は複数の最上位神の加護による潤沢なステータスと、『ガチャ』による豊富なスキルを持ち、それだけでも十分に強い。だが、それだけではルシファーのようなS級のダンジョンマスターには勝てないのかもしれん。お前はB級ダンジョンで妖怪に殺されかけた時、神威の門は既に開いたと聞いている。違いないか?」

「あぁ、龍神との会話は短かったし、ナーシャも神威を覚えていないからまだよく分かっていないんだが…もしかしてクリスお前、使えるのか!?」

「あぁ、アレクと俺、ジャンマリオっていうオカマ、じゃない仲間の3人は、実は神威のLv.2までを解放している。お前は『ステータス閲覧』を使えるんだったな。俺を『見て』みろ」

「あ、あぁ」


『ステータス閲覧』

========================

クリス・オーエンス(33) レベル:120

加護:守護神

性能:体力SS+, 筋力A+, 魔力D, 敏捷D, 運E

装備:アイアンフィスト, 魔導スーツ&アーマー, 魔導シールド

【スキル】

戦技:ゼロ・インパクト, 金剛, 柔剛一体, 瞬歩

魔法:なし

技能:物魔耐性-中/小, 状態異常耐性, ステータス閲覧

========================


あれ、神威は?

「そう、見えないだろう。神威は内なる神との調和。自分以外の相手の神威Lvは、見えない。今後、加護者の教徒とやり合うことがあれば、十分に注意しろ」

「あぁ、わかった。なぁお前達はいつ頃神威に目覚めたんだ?」

「ちょうどお前がB級ダンジョンを攻略していた頃、まだ教徒どもの武装蜂起が起きる前、俺達三人でブラジルのC級を幾つか攻略していたんだが、そこで拾ったコイツが、色々と詳しくてな」

クリスの後ろに隠れていた何かが、ぴょんと飛び出してきた。

先程から感じていた気配は、こいつか。

「火の玉の妖怪、ボイタタだ。ボイタタ、自己紹介だ」

「うぃ。おぃはボイタタ。この地に住まう火の大妖怪だゾイ。おれに触れるとヤケドじゃすまないぜオイ。さすればお前は手負イ、そっから先は入れ食イ」

この火の玉、ノリノリだ。

おまけみたいな両腕が生えていて、結構かわいい。

「無駄話はいい」

クリスはボイタタの先っちょのほうをひょいとつまんだ。

「あぁよせー。この頑丈バカめー」

「大妖怪だけあって長生きしてるんだろう?知ってることを話してやってくれ」

「まーなー大妖怪だからなー、仕方ねーなー、オイよーく聞くんだぞイ」


 ボイタタによると。

神威とは、神の好む情動を捧げることで、神の力を引き出すものである。

神事や祭事みたいなものだが、能動的である分、授かる力は絶大である。

魔力も闘気(生命力)も消費しない分、エネルギーは星から頂戴することになる。

 

 神威には4段階ある。

第1段階=戒。神の得意とした戦い方を模倣できる。

第2段階=昏。神の祝福を得て、肉体が保護される。

第3段階=憑。神の戦い方を、より深く模倣できる。

第4段階=來。神を現世へと受肉召喚する。


「コツは、神様の好みをちゃあんと把握して、喜怒哀楽の波長をバッチリ合わせていくことだぞイ。神様によっては、怒り100%みたいなマニアックで超しんどいのもいるけど、普通はそうじゃなイから安心しろイ。

ちなみに神と精神を同調させると脳ミソに負担がかかるから、才能があってもずっとやってれば廃人まっしぐらだ。ちなみに來ができた人間は、過去の仙人や霊能者でも、ごくごく僅かだったぞイ」

ボイタタが俺の頭の上へひゅるひゅると乗っかってきた。

「おぃはオマエの神様の好みをトレースできる。教えるから、おぃ相手に流してみろ。波長が合っていなかったら炎がメラメラ燃えるから、覚悟しろイ」


…俺の頭頂部、守り切れるだろうか…。


「そういうことだ。じゃぁな、ワタセタイチ。そいつはここに置いていくから、雪との対話をする時以外は、常にそいつと特訓だ。ここには何もないが、お前には風呂と睡眠以外に余計な時間はないと思っておけ」

「あぁ、望むところだ」

「…昔、自然信仰が残っていた頃は、多くの人間に神が宿っていたようだ。その信仰は、ロシアにも、ブラジルにも、日本にもあった。人間は、思い出すべき時が来ているのかもしれないな」


それだけ言って、クリスは去っていった。


「…ふぅ。そういえばボイタタ。お前やけに人間に協力的な妖怪みたいだけど、あいつに何か弱みでも握られてるのか?」

「ン?まぁダンジョンに食われそうだったのを助けてもらったのもあるが、あいつ、がそりんっていうウマイ汁をいっぱい食べさせてくれるから、結構いいやつなんだぞイ」


絶滅危惧種である妖怪の飼い方は、どこぞの神獣ペットの手懐け方と、よく似ていた。


---------------------------------------------------


 4月6日、雨。

「おはよう、雪。今日はどうやら、雨みたいだよ」


「…ア」


この部屋からは外の景色は見えないが、遠くで僅かに、雨音が聞こえてくる。

雨の日の彼女は、ほんの少しだけ、外界に意識が向いている気がする。

雨が好きなのかなと思う。

彼女と同じ理由なのかは分からないが、俺も雨が好きだ。

雨の日には窓の外に水滴のヴェールがかかって、それが外の世界と自分を隔絶させてくれているみたいで、なんだか安心感を覚えるんだ。


「俺は君の味方だよ。いつか君を、ここから連れ出してあげるからね」


「…ッレ……ツ……?」


お、反応している?

「そ、そうだよ。君を、ここから出してあげるからね!」


「…ダ…ス……イャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


俺の言葉か、何かが悪かったのか。


ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン

ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン


彼女は、首を垂れたまま、異形の左腕を振り続けた。

椅子や彼女自身を消さないように何重にもかけられた鎖の抑制が、軋む音をたて続ける。


俺はただ、茫然とその姿を見続けた。

すぐにでも謝りたい衝動にかられるが、それも適切ではないような気がして、ただ、見続けた。


永遠にも感じられる時間が経過して、ようやく彼女の動きは止まった。

眠ったようだった。


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 4月15日、天気は気にしないことにした。


神威の修行の方は、割と順調だ。

最初は頭頂部からブスブスと焦げ臭い臭いが漂っていたが、それも少なくなってきた。

非常に常識的で同調しやすい神であるという龍神(ボイタタ曰く)から修練して、その次に偏屈な魔神(あくまでボイタタ曰く。俺は思っていません)に取り掛かる予定だ。


順調でないのは、雪のほうだ。

スキルを使わずに話しかけるだけでは、全くもって成果らしい成果は得られていなかった。

時折目が開いたり、奇声を発したりするだけだ。

そりゃ専門家ですら匙を投げるくらいだから、無理もないのだが。

ずっと彼女を見ていて思うのは、これは単なるPTSDではないだろう、ということだ。

彼女が改造されたのは腕だけだが、彼女の髪は少し赤く染まっている。

あの腕が、彼女の精神にまで何らかの影響を及ぼしていると考えるのが正しい気がする。


------------------------------------------------------------------


4月20日。


アレクは地上で、バラバラになりそうな人類をまとめるために奔走しているらしい。


そろそろ、決心しよう。

『意思疎通』を用いて、彼女の心の中に土足で入っていくという、決心を。

この半月以上に渡る彼女との対話は、自己満足ではあるが、決して無駄なものだったとは思わない。

人間と人間が向き合うのに、きっと最低限の時間は必要だから。


明日、決行することにする。

その前に、事前のアポイントメントを入れておこう。


「明日、君のいるところに会いに行くから。許してくれよ。…お休み」


「…」


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 4月21日。


椅子に腰かける彼女の正面に向かい合うように、あぐらをかいて座る。

雪は、眠っているようだ。

少し、顔色が悪いような気がする。

俺の隣には、クリスが立っている。


(『意思疎通』か)

外国語を理解したり、モンスターや擬人と対話を図ったり。

これまでは、あくまで意識の表層でのやり取りを手助けするツールでしかなかった。

でもナーシャは、URスキルは運命を変える力をもつと言っていた。

このスキルは、もっと大きな意味をもつはずだ。


今までやろうと思ったことさえなかったけど。

相互理解のプロセスを早めるとか、あるいは強制的に相手の認識に介入したりだとか。

使い方によっては、精神攻撃すら可能かもしれない。

まぁそれはさておき、今俺がしなければならないのは、彼女のトラウマに接触してその認識を変えたり、彼女の精神にストレスを与えている肉体的要因があるとすれば、それを彼女の精神から切り離したりすることだ。


下手をすると、俺自身の精神にも影響があるかもしれない。

俺が彼女の精神世界に潜っている間に、万が一現実でまずい事態が起きれば、クリスが対応してくれることになっている。

「ワタセタイチ、心理の先生方から一応、専門的なアドバイスだ」

おお、有難い。

完全に手探りだからな、なんでもいいから道しるべが欲しい。

「自我論によると。人の精神を構成するものは、欲求のエス、禁欲の超自我、両者を調整する自我の三つだ。表層の意識下には自我が、深層の無意識下にはエスと超自我、そしてそれら三つを守る防衛機制が存在する。表層で自我と疎通できれば話が早いが、恐らくはオーバーフロー気味の防衛機制が伸ばした手が、自我を外界から隔絶しているだろう。その場合深層へと潜って、まずは侵略者の遺伝子が及ぼす精神汚染があれば、必ずそれを排除しろ。それから必要であれば防衛機制を一時的に緩和させる。ただし、絶対に彼女のエスと超自我には接触するな。それは、彼女の精神崩壊に繋がりかねない。2つの障害をクリアしてから、最終的に、表層の自我と接触し、安定させろ」


…えー…っと。


「まず深層に潜ってエスと超自我を避けながら精神汚染要素を排除、防衛機制を緩和させる。それから表層の自我を安定させろ」

「了解!」


「じゃぁクリス、行ってくる」

「あぁ。しっかりやれ」


今までの『意思疎通』は、表層も表層だった。

今回は違う。彼女の内の、その最も深い領域へと足を踏み入れる。

失敗すれば、彼女は取り返しのつかない状況に陥るかもしれない。


強い意思をもつ。

もう俺は、与えられた力に振り回されるだけじゃだめだ。

完璧に使いこなしてみせる。そして、彼女を地獄から救い出すんだ。


「『意思疎通』開始」


だんだんと、輪郭が、あやふやになっていく。

自分と、他人との。

だんだん。

だんだんと―。

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